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Channel: 新古今和歌集の部屋
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組打図絵 知盛 蔵書

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新中納言平知盛は

御座舩をくをまもり

てふせぎたゝかひ

けるがだん/"\と

みかたうたるゝ

ものおゝく其

中に知盛を

新中納言平知盛

取まき

矢を

もつて

ゐすく

めたり。

とももり

なぎなた

とりなをし

切はゝいついくつぎへ

けるに其身はよろひ

みのけを負ふ

ごとく身きん

せきにあら

ざれれば御座

ふねにのり

うつりおん

さきがけ

いたさんと

大の碇

をつな

にてみ

にまとひ

うづまき

上る海中へ飛

入たるこそ哀也。

新中納言平知盛

 

平知盛
平安時代末期の平家一門の武将。平清盛の四男。母は継室の平時子で、時子の子としては次男となる。同母兄に平宗盛、同母妹に平徳子がいる。世に新中納言と称された。寿永四年(1185年)三月二十四日、壇ノ浦の戦いで鎌倉軍と最後の戦闘に及ぶが、田口成良ら四国・九州在地武士の寝返りにあい、追い詰められた一門は入水による滅びの道を選ぶ。安徳天皇、二位尼らが入水し、平氏滅亡の様を見届けた知盛は、乳兄弟の平家長と手を取り合って海へ身を投げ自害した。享年34。
自害にあたり、知盛は碇を担いだとも、鎧を二枚着てそれを錘にし、「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と言い残して入水したとも言われている。共に入水後遺体となるか、あるいは生きたまま浮かび上がって晒しものになるなどの辱めを受けるのを避ける心得である。
これに想を得た文楽及び歌舞伎『義経千本桜』の「渡海屋」および「大物浦」は別名「碇知盛」とも呼ばれ、知盛が崖の上から碇とともに仰向けに飛込み入水する場面がクライマックスとなっている。


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