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源氏物語 幻
神無月には、大方も時雨がちなる比、いとど眺め給ひて、夕暮の空の景色も、えもいはぬ心細さに、「降りしかど」と 独りごちおはす。雲居を渡る雁の翼も、羨ましくまぼられ給ふ。 大空をかよふ幻夢にだに見えこぬ魂の行方たづねよ 何ごとにつけても、紛れずのみ、月日に添へて思さる。![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/2d/786f2478401e501ef4f04f653181ca3a.jpg?1702501589)
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雁 雁雁 雁 雁 秋の花 源氏 土佐光成 (正保三年(1647年) - 宝永七年(1710年)) 江戸時代初期から中期にかけて活躍した土佐派の絵師。官位は従五位下・形部権大輔。 土佐派を再興した土佐光起の長男として京都に生まれる。幼名は藤満丸。父から絵の手ほどきを受ける。延宝九年(1681年)に跡を継いで絵所預となり、正六位下・左近将監に叙任される。禁裏への御月扇の調進が三代に渡って途絶していたが、元禄五年(1692年)東山天皇の代に復活し毎月宮中へ扇を献ずるなど、内裏と仙洞御所の絵事御用を務めた。元禄九年(1696年)五月に従五位下、翌月に形部権大輔に叙任された後、息子・土佐光祐(光高)に絵所預を譲り、出家して常山と号したという。弟に、同じく土佐派の土佐光親がいる。 画風は父・光起に似ており、光起の作り上げた土佐派様式を形式的に整理を進めている。『古画備考』では「光起と甲乙なき程」と評された。 27cm×44cm 令和5年11月15日 伍/肆