にぶしの手へかへされけり。ぶし是をうけ取て、木津川のはた にて、すでにきり奉らんとしけるに、す千人の大衆、しゆごのぶ し見る人幾千万と云数を知ず。こゝに三位の中将の、年比の侍 に、木工右馬のぜうともときといふ者有。八条の女院に、けんざん にて候けるが、御さいごを見奉らんとて、むちをうちてぞはせ たりける。すでにきり奉らんとしける処に、はせついて、いそぎ 馬よりとんでおり、す万人のたちうこふだる中を、おしわけ/\ 三位の中将の、御そばちかふ参りて、とも時こそ御さいごを見 奉らんとて、參て候へと申ければ、中将心ざしの程、まことに神 べうなり。いかにとも時、あまりにつみふかう覚ゆるに、さいごに 仏をおがみ奉て、きらればやと思ふはいかにとの給へば、とも時 やすい程の御事候とて、しゆごのぶしに申合て、其へんち かき里より仏をつたいむかへ奉て参りたり。さいわゐあみだ にてぞまし/\ける。かはらのいさごのうへにすへ奉り、とも ときかりぎぬの、袖のくゝりをといて、仏の御手にかけ、中将 にひかへさせ奉る。中将これをひかへつゝ、仏にむかひ奉て申さ れけるはつたへきくてうだつが三逆をつくり、八万ざう のしやうげうをやきほろぼし奉つたりしも、つゐには天王 によらいのきべつにあづかり、しよさのざいごうまことにふかし といへ共、しやうげうにちぐせし、逆縁くちずして、かへつ とくどう しげひら て得道の因となる。今重衡がぎゃくざいをおかす事、まつた そんす ばかり くぐゐのほつきにあらず。たゞよの理りを存る斗也。生をう わうめい くる者たれか王命をべつぢよせん。命をたもつ者たれか父 いひ の命をそむかん。かれと申是と云、じするに所なし。りひ仏だの せうらんに有。きればさいほうたち所にむくひ、うんめいすでに たゞし 只今をかぎりとす。こうくわい千万、かなしんでも程あまり有。但 ゆへ 三寶のきやうかいは、じひ心をもつて心とする故に、さいどのりやう ゑんまち/\なり。ゆいゑんけういぎゃくそくぜしゆん。此 もんきもにめいず。一ねんみだ仏そくめつむりやうざい。ねがわ くはぎやくえんをもつてじゆんえんとし、只今のさいごの 平家物語巻第十二
一 重衡のきられの事 に武士の手へ返されけり。武士是を受け取て、木津川の端にて、既に切り奉らんとしけるに、数千人の大衆、守護の武士見る人幾千万と云ふ数を知らず。 ここに三位の中将の、年比の侍に、木工右馬の允知時といふ者有り。八条の女院に、見參にて候ひけるが、御最後を見奉らんとて、鞭を打てぞ馳せたりける。既にに切り奉らんとしける処に、馳せ着いて、急ぎ馬より飛んで降り、数万人の立ちうこふだる中を、押し分け押し分け三位の中将の、御側近ふ參りて、 「知時こそ御最後を見奉らんとて、參て候へ」と申しければ、中将 「志の程、真に神妙(べう)なり。いかに知時、余りに罪深う覚ゆるに、最後に仏を拝み奉て、切らればやと思ふは如何に」と宣へば、知時 「易い程の御事候」とて、守護の武士に申し合せて、その辺近き里より仏をつたい迎へ奉て參りたり。幸い阿弥陀にてぞましましける。河原の砂の上に据へ奉り、知時狩衣の、袖の括りを解いて、仏の御手に掛け、中将にひかへさせ奉る。中将これを控へつつ、仏に向かひ奉て申されけるは、 「伝へ聞く。調達(てうだつ)が三逆を作り、八万蔵の聖教(しやうげう)を焼き滅ぼし奉つたりしも、遂には天王如来の記別に預り、所作の罪業真に深しと云へ共、聖教に値遇(ちぐ)せし、逆縁朽ちずして、反つて得道の因となる。今、重衡が逆罪を犯す事、全く愚意の発起にあらず。ただ世の理りを存するばかり也。生を受くる者、誰か王命を蔑如せん。命を保つ者、誰か父の命を背かん。かれと申す、これと云ふ、辞するに所無し。理非仏陀の照覧(せうらん)に有り。切れば罪報立ち所に報ひ、運命既に只今を限りとす。後悔千万。悲しんでも程あまり有り。但し三宝の境界(きやうかい)は、慈悲心を以て心とする故に、済度の良縁(りやうゑん)まちまちなり。唯円教意(ゆいゑんけうい)逆即是順(ぎゃくそくぜしゆん)。この文肝に銘ず。一念弥陀仏即滅無量罪。願わくは逆縁を以て順縁とし、只今の最後の
※たちこふだる 「立ち囲みたる」の音便 ※天王如来の記別 法華経提婆達多品で、提婆達多の将来成仏して天王如来となる事を授記した例。記莂とも書くが、本来は記別。 木津川市木津川重衡墓附近河原