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Channel: 新古今和歌集の部屋
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平家物語巻第十二 付 紺掻の沙汰の事

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                        付 こんかきのさたの事                                                 よし おなじき八月廿二日、髙をのもんがく上人、故左馬の頭義 朝の、うるはしきかうべとて、たづね出してくびにかけ、かま 田兵衛がくびは、でしがくびにかけさせ、くはんとうへぞくだら れける。去ぬる治承四年七月にむほんをすゝめ申さん がために、ひじりそゞろなるどくろを一つ取出し、しろはいぬ                   こさま のにつゝんで、是こそ故左馬のかみよしとものかうべに とて奉られたりければやがてむほんをおこし程なく世を 打とつて一かうちゝのかうべとしんぜられける所に、今又 たつね出してぞ下られける。これは義朝の、年ころふびんに して、召つかはれけるごんがきの男、平治の後は、ごくしやの まへなる、こけの下にうづもれて、後世とふらふ人もなかりし を、時の大りにつけて申うけ、兵衛の佐殿は、今こそる人 でおはす共、すゑたのもしき人也。世に出てたづね給ふ事も やと、ひがし山ゑんがく寺といふ所に、ふかうおさめてをきた りしを、もんがくたづね出してくびにかけ、かのこんかきのお とこ共に、あひ「ぐしてぞ下られける。ひぐりけふかまくらへ 入と聞こしかば源二位かたせ川のはたまで、むかへにぞ出給 ふ。それよりいろのすがたに出たちて、かまくらへ帰り入らる ひじりをば大ゆかにたて、我身は庭に立て、なく/\父の かうべをうけ取給ふぞあはれなる。これを見奉る大名小名、 みな袖をぞぬらされける。せきがんのさだしきをきりはら つてあらたなるだうちやうをつくり、一かうちゝの御ためと                                     くげ くやうして、せうちやうしゆゐんとごうせらる。公家にも                    こさま    かみよしとも かやうの事を聞し召て、故左馬の頭義朝のはかへ、 内大臣正二位をゝくらる。ちくしは左小弁かねたゞ とぞ聞えし。よりともの卿、武ようめいよちやうじ 給へるによつて、身をたて家をゝこすのみならず、ばうふ そんりやうまで、ぞう官、そう位に及びぬる社有がたけれ。   平家物語巻第十二
  付 紺掻の沙汰の事 同じき八月廿二日、髙尾の文覚上人、故左馬の頭義朝の、麗しき頭部(かうべ)とて、尋ね出して首に掛け、蒲田兵衛が頸は、弟子が首に掛けさせ、関東へぞ下られける。 去ぬる治承四年七月に謀反を勧め申さんが為に、聖、そぞろなる髑髏を一つ取り出し、白はい布に包んで、是こそ故左馬の頭義朝もの頭部にとて奉られたりければ、やがて謀反を起こし、程なく世を打取つて、一向父の頭部と信ぜられける所に、今又、尋ね出してぞ下られける。 これは義朝の、年比不便にして、召使はれける紺掻(ごんがき)の男、平治の後は、獄舎の前なる、苔の下に埋もれて、後世弔ふ人も無かりしを、時の大理に付けて申し受け、 「兵衛の佐殿は、今こそ流人でおはす共、末頼もしき人也。世に出て訪ね給ふ事もや」と、東山円覚寺といふ所に、深う納めて置きたりしを、文覚尋ね出して首に掛け、彼の紺掻の男共に、逢ひ具してぞ下られける。 日繰り今日鎌倉へ入ると聞こしかば、源二位、片瀬川の端まで、迎へにぞ出で給ふ。それより色の姿に出立ちて、鎌倉へ帰り入らる。聖をば大床にたて、我身は庭に立て、泣く泣く父の頭部を受け取り給ふぞ哀れなる。これを見奉る大名小名、皆袖をぞ濡らされける。 石厳のさがしきを切り払つて、新たなる道場を作り、一向父の御為と供養して、勝長寿院(せうちやうしゆゐん)と号せらる。公家にもかやうの事を聞し召して、故左馬の頭義朝の墓へ、内大臣正二位を贈らる。勅使は、左小弁兼忠とぞ聞えみし。頼朝の卿、武勇名誉長者(ちやうじ)給へるによつて、身を立て、家を興すのみならず、亡父精霊(そんりやう)まで、贈官、贈位に及びぬるこそ有難けれ。

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