細源氏の御前也 源氏の夕霧に出あひ給ふ也
つゝ、おまへにまいりたまへれば、出給ひて御か
細源氏の詞也 孟本 しぶ/"\けに
へりなど聞え給。この宮づかへを、しぶ/"\には
蛍兵部卿也
おもひ給へれ。みやなどのれんじたまへるひと
にて、いと心ふかき哀をつくし、いひなやま
し給に心やしみ給ふらんとおもふになん。
冷泉院
心ぐるしき。されど大原野の行幸に、うへ
をみ奉り給ては、いとめでたくおはしけり
帝を也
と思ふ給へり。わかき人はほのかにもみ奉
りてえしもみやづかへのすぢもてはなれ
玉かづらの宮仕の事を也
じと思ひてなん。此事もかくものせしな
夕霧の詞
どの給へば、さても人ざまはいづかたにつけて
秋好也
かは、たぐひて物し給らん。中宮かくなら
頭注
御かへりなど 細玉かづら
よりの御返事を申
さるゝ也。
しぶ/"\にこそ 孟渋也。
師宮仕の事也。玉かづら
の御返事のやうをき
き給て心のうちを推
量して宣ふ也。玉は
さも思ひ給はぬにや。
宮などのれんじ
細れんじは念比調練(テウレン)
也。哢兵部卿宮好色に
てうれんし給事也。
うへを見たてまつり給ひ
てはいとめでたくおはし
けりと思ひ給へり。
師是も玉鬘の心を
推量して宣ふ事也。
みゆきの巻に玉かづら
の哥は朝ぐもりせしみ
ゆきにはなどおぼめき
ての給ひし也。
さても人ざまは 細夕霧の
返答也。いづ方さまにし
びなきすぢにておはしまし。またこきでん
やんごとなくおぼえことにてものし給へば
玉かづらに天子の御おぼへの事也 細中宮弘徽殿に及事
いみじき御思ひありとも、立ならび給ふ
はありがたきと也 蛍兵部卿也
ことかたくこそ侍らめ。宮はいとねんごろ
におぼしたなるを、わざとさるすぢの御みや
づかへにもあらぬものから、ひきたがへたら
蛍兵部卿の也
んさまに、御心をき給はんも、さる御なか
師宮の御さまを聞及ぶと也
らひにては、いと/\ほしくなんきゝ給ふ
細源の返答難儀なる事と也
ると、おとな/\しく申給。かたしや。わが心ひと
細ひげ黒也
つなる人のうへにもあらぬを大将さへわれ
をこそうらむなれ。すべてかゝることの心ぐ
るしさをみすぐさで、あやなき人のうら
頭注
て然るべきぞと也。
哢玉かづらの御さまいか
やうになし給てか似あ
ひ給はんと御けしきの
ゆかしきに夕霧の源氏
に申給也。
わざとさるすぢ 細うちよ
りは女御になどさりがた
き仰にてもなければ
出立給はんもめ如何と也。
ひきたがへたらんさまに
哢わざとならぬ宮仕な
るに兵部卿のの給を引
たがへ給はゞ、源氏の御兄
弟の御中にてうらみ
やし給はんとなり。
さる御なからひ 細源と
兵部卿の宮と也。此御中
にては引たがへがたき
事と也。さしもおり立
て念比にの給ふものを
と也。
つつ、御前に參りり給へれば、出で給ひて御返りなど聞こえ給ふ。
「この宮仕へを、渋々には思ひ給へれ。宮などの練じ給へる人にて、
いと心深き哀れを尽くし、言ひ悩まし給ふに心やしみ給ふらんと思
ふになん。心苦しき。されど大原野の行幸に、主上(うへ)を見奉
り給ては、いとめでたくおはしけり、と思ふ(←ひ)給へり。若き
人は、仄かにも見奉りて、えしも宮仕への筋もて離れじと思ひてな
ん。この事もかくものせし」など宣へば、
「さても人樣は、いづ方につけてかは、たぐひて物し給ふらん。中
宮、かく並び無き筋にておはしまし。又、弘徽殿、やんごとなく、
覚えことにてものし給へば、いみじき御思ひ有りとも、立ち並び給
ふ事、かたくこそ侍らめ。宮はいとねんごろにおぼしたなるを、わ
ざと、さる筋の御宮仕へにもあらぬものから、ひき違へたらん樣に、
御心置き給はんも、さる御仲らひにては、いといとほしくなん聞き
給ふる」と、大人大人しく申し給ふ。
「かたしや。我が心ひとつなる人の上にもあらぬを、大将さへ、我
をこそ恨むなれ。全て、かかることの心苦しさを見過ぐさで、あや
なき人の恨
略語 ※奥入 源氏奥入 藤原伊行 ※孟 孟律抄 九条禅閣植通 ※河 河海抄 四辻左大臣善成 ※細 細流抄 西三条右大臣公条 ※花 花鳥余情 一条禅閣兼良 ※哢 哢花抄 牡丹花肖柏 ※和 和秘抄 一条禅閣兼良 ※明 明星抄 西三条右大臣公条 ※珉 珉江入楚の一説 西三条実澄の説 ※師 師(簑形如庵)の説 ※拾 源注拾遺