て御なみだせきあへさせ給はず。仰此時たゞの卿と申は出羽 のぜんじとものぶがまご、ぞう左大臣ときのぶの子なり、 こけんしゆんもんゐん せうと けり。故建春門院の御兄、髙くらの上皇の御ぐわいせき、 又入道相国の北のかた、八条の二位殿も、あねにておはしけ れば、けんくはんけんしよく思ひのごとく、心のまゝなり。されば 正二位の大納言にも、程なくへ上つて、けんびゐしの別 てうむ 當にも三がとまどで成給へり。此人の朝務の時は、諸国のせ つたうがうたう、山ぞく海ぞくなどをば、やうもなくからめ 取て、つみにひぢのもとより、ふつ/\と、うちきり/\をつ はなたる。されば人、あく別當とぞ申ける。主上ならびに 三じゆの神ぎ事ゆへなう、都へ返し入べきよしの、院 ぜん 宣の御つかひ、おつぼのめしつぎ、花がたがつらに、なみかた といふやいじるしをせられけるも、ひとへに此時たゞの卿の もんゐん しよゐなり。こけんしゆん門院の、御なごりにておはしけれ ば、法皇も御かたみに、御らんぜまほしうは思し召れけれ あくぎやう 共、かやうの悪行によつて、御いきどをりあさからず判官 も又したしうなられたりければ、やう/\に申されけれ 共かなはずして、つゐにながされ給ひけり。子そくの侍従 とき家とて、生年十六に成給ふ。是はるざいにはもれて をぢのさいしやう、時みつの卿のもとにおはしけるが、さのふ より大納言のしゆく所におはして、はゝうへそつの介殿共 に大なごんのたもとにすがり、今をかぎりのなごりをぞお しまれける。大納言つゐにすまじきわかれかはと、心つよ くはの給へ共、さこそは心ぼそかりけめ。年たけよはひかた ふいて、さしもむつまじかりける。さいしにもみなわかれ はてゝ、すみなれし都をば、雲ヰのよそにかへり見て、 いにしへは名にのみ聞し、こしぢのたびにおもむいては る/"\とくだり給ふに、かれはしがからさき、是はまのゝ入江 かたゞの浦と申ければ、大納言なく/\ゑいじ給ひけり。 帰りこん事はかたゞに引あみのめにもたまらぬ我涙かな きのふは西かいの波の上にたゞよひて、をんぞうゑぐのうらみ をへんしうのうちにつみ、けふは北国の、雪の下にうづもれて あひべつりくのかなしみを、こきやうの雲にかさねたり。 平家物語巻第十二
三 平大納言のながされの事 て御涙塞き敢へさせ給はず。抑この時忠の卿と申すは出羽の前司知信が孫、贈る左大臣時信の子なり、けり。故建春門院の御兄、髙倉の上皇の御外戚、又、入道相国の北の方、八条の二位殿も、姉にて御座しければ、兼官兼職思ひの如く、心のままなり。然れば、正二位の大納言にも、程なくへ上つて、検非違使の別当にも三ケ度(がと)まどで成り給へり。この人の朝務の時は、諸国の竊盗強盗(せつたうがうたう)、山賊海賊などをば、やうもなく絡め取つて、罪に臂の本より、ふつふつと、打ち切り打ち切り落つ離たる。然れば人、悪別当とぞ申ける。主上並びに三種の神器事ゆへなう、都へ返し入べき由の、院宣の御使ひ、御壺の召次、花方が面(つら)に、浪方といふ焼印(やいじるし)をせられけるも、ひとへにこの時忠の卿の所為なり。 故建春門院の、御名残りにておはしければ、法皇も御形見に、御覧ぜまほしうは思し召れけれ共、かやうの悪行によつて、御憤り浅からず、判官も又、親しうなられたりければ、やうやうに申されけれ共、叶はずして、終に流され給ひけり。子息の侍従時家とて、生年十六に成給ふ。是は流罪には洩れて伯父の宰相、時光の卿の許に御座しけるが、さのふより大納言の宿所におはして、母上帥の介殿共に、大納言の袂に縋り、今を限りの名残りをぞ惜しまれける。大納言、 「遂にすまじき別れかは」と、心強くは宣へ共、さこそは心細かりけめ。年たけ齢傾ぶいて、さしも睦まじかりける。妻子にも皆別れ果てて、住み慣れし都をば、雲居の外に返り見て、古は名にのみ聞きし、越路の旅に赴いて遙々と下り給ふに、彼は、志賀、唐崎、是は真野の入江、堅田の浦と申しければ、大納言、泣く泣く詠じ給ひけり。
帰りこん事はかただに引く網の目にもたまらぬ我が涙かな
昨日は、西海の波の上に漂ひて、怨憎会苦(をんぞうゑぐ)の恨みを扁舟の内に積み、今日は、北国の、雪の下に埋もれて、愛別離苦の悲しみを、故郷の雲に重ねたり。
※侍従時家 平時家。時忠次男。官位は従四位下・右少将で侍従ではない。平家一門でありながら、治承三年の政変で上総に流された。上総広常に気に入られ、蹴鞠や管弦、礼儀にも通じていたため、源頼朝の側近として仕え、広常の粛清後も幕府のブレーンとして活躍。平家滅亡後に信時(のぶとき)と改名。
※時光卿 藤原時光。藤原顕時の子。時忠の室、帥典侍の兄。葉室時長の父。 ※遂にすまじき別れかは 後拾遺集 雑二 題しらず よみ人知らず 歎かじなつひにすまじき別れかはこれはあるよにと思ふばかりぞ ※帰りこん事はかただ 難と堅田の掛詞