髙野邊上人偽儲妻女事
髙野の邊に年來行聖有けり。本は伊勢國の人
也けり。自ら彼に居付たりける也。行德あるのみならず、
人の帰依にていとまづしくも非ざりければ、弟子なむども
あまたありける。年やう/\たけて後殊に相憑たる弟子を
よびて云ける樣、聞へばと思事の日比はんべるを其心
の内をはゞかりてためらひ侍べりつるぞ、穴賢くたがへ給
なと云。何事なりともの給はん事争てたがへ侍らむ。
又へだて給べからず。速かに承はらむと云へば、かく人を憑
たる樣にて過す身は左樣のふるまひ思よるべき事な
らねども、年たかく成行まゝに傍もさびしく、事にふれて
たつきなく覚れば、さもあらむ人を語ひて夜のとぎ
せばやとなむ思たる也。其にとりていたふ年若からん
人はあしかりなん。物の思やり有らん人を忍やかに尋
て我とぎにせさせ給へ。さて世の中の事を其にゆづり
申さむ。唯我ありつるやうに此坊の主にて人の祈なむ
どをも沙汰して、我を奧のやにすえて二人が食物ばか
りを形のやうにして贈給へ。左樣になりなむ後はそこの
心の内にはづかしかるべければ、對面なむともえすまじ。況や
其外の人にはすべて世にある物ともしるべからず。死うせたる
物の樣にてわづかに命つぐべくばかり沙汰し給へ。此を
たがへ給はざらむ計ぞ年來の本意なるべしと、かきく
どきつゝ云。浅増く思はずに覚へながら、加樣に心をか○
語らはする本意に侍べり。急ぎ尋ね侍らむ云て、近
く遠く聞あるきける程に、男にをくれたりける人の年
四十ばかりなる有けるを聞出て、念比に語ひて便
よき樣にさたしすべつ。人も通さず我も行事も無て
過けり。覚束無も又物言あわせまほしくもあれど
さしも契りし事なれば、いぶせなからずくる程に、六年へて
後、此女人うちなきて此暁はやをわり給ぬとて來る。
驚て行てみれば、持佛堂の内に佛の御手に五色の
糸かけて、其を手にひかへて○足にうちよりてかゝりて念佛し
ける手も、ちともかはらず。ずゞのひきかけられたるも、唯生たる
人の子ふりたるやうにて露も例にたがはず。壇には行ひの具うる
はしくをき鈴の中に紙を押入たりける。いと悲て
事の有樣をこまかに問へば女の云樣、年來かくて
侍べりつれども、例のめをとこの樣なる事なし。夜はたゞみを
ならへて我も人も目ざめたる時は、生死のいとはしき
樣浄土ねがうべき樣なむとをのみこま/"\とをしへつゝ、由
なき事をば云はず。ひるは阿弥陀の行法三度事かく
事なくて、ひま/\には念佛を自も申。又我にもすゝめ給
て、始つ方ふた月三月までは心をゝきて、かくよのつねな
らめ有樣をば、わびしくは思ふ。さらば心にまかす○若
うとき事になるとも、加樣に縁ををむすぶもさるべき事也。
此ありさまを努々人に語るな。若又互に善知識とも
思て後世までの勤をもしづかにせむとならばこひねがふ處
也とのたまっへしかば、さら/\御心をき給べからず。年來相具
したりし人をば、はかなくみなして、いかでか其後世をも訪はざらん。
我も又かゝるうき世にめぐりこしとねかい厭心は侍べりし
かど、さても一日たちめぐるべき樣もなき身にて、本
意ならぬ方にて見たてまつれば、なべての女の樣に覚ずに
やゆめ/\しかには非ず。いしじき善知識と、人しれず喜びて
こそすぎ侍べりしと申しゝかば、返々うれしき事とて、今
隠れ給へる事も兼て知て終らむ時、人になつげぞと有
しかば、かくとも申さずとぞ云ける。
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