はからひなればいかゞ有んずらんと思はれけれ共、廿日の命の
のひ給ふにぞ。母うへめのとの女ばう、すこし心をとりのべて、ひとへ
にはせのくはんをんの、御たすけなればにやと、たのもしうぞ思
はれける。かくてあかしくらさせ給ふ程に、廿日の過るは夢な
れや。ひじりもいまだみえ給はず。是はされば何としつる事
共ぞやと、中/\心くるしくて、今更もだへこがれ給ひけり。ほう
でうもひじりの廿日と申されし、やくそくの日数も過
ぬ。今はかまくら殿、御ゆるされなきにこそあんなれ。さのみさい
京して、年をくらすべきにあらず。今はくだらんとてひしめ
きけり。さい藤五さい藤六も、手をにぎりきもたましゐをけし
て思へ共、聖もいまだ見え給はず。使者をだにものぼせねば、お
もふばかりぞなかりける。是ら又大かく寺へ參り、ひじりもい
まだみえ給はず、北でうも此あかつき、下かう仕り候とて、涙
をはら/\とながしければ、母うへひじりのさしもたのも
しげに申て、くだりぬる後は、母うへめのとの女ばう、すこし心
もとりのべて、ひとへにくはんをんの、御たすけなりと、たのもし
う思はれつるに、此あかつきにも成しかば、母うへめのとの女房
の心のうち、さこそはたよりなかりけめ。母うへめのとの女房に
宣ひけるは、あはれおとなしやかならんずる者が、道にて
行あらんする所まで、此子をぐせよといへかし。もしこひうけ
てのぼらんに、きられたらんずる心うさをばいかゞせん。さてや
がてこしなひげなりつるかと、とひ給へば、此あかつきの程と
こそ見えさせまし/\候へ。其故は此程、御とのゐ仕り候ひ
つる、北でうの家の子らうどう共も、世になごりをしげに
て、あるひは念仏申す者も候。あるびはなみだをながす者も
候と申す。母うへさて此子が有樣は、何と有ぞとゝひ給へば、
人の見參らせ候時は、さらぬていにもてなひて、御じゆずを
くらせまし/\候。又人の見參らせ候はぬ時は、かたはらにむか
ばせ給ひて、御袖を御かほにをしあてゝ、なみだにむせり
せ給ひ候と申す。母うへさぞあるらめ、としこそおさなけ
平家物語巻第十二
六 六代の事 計らひなれば如何有らんずらんと思はれけれども、廿日の命の延び給ふにぞ。母上、乳母の女房、少し心をとりのべて、偏に長谷の観音の、御助けなればにやと、頼もしうぞ思はれける。 かくて、明かし暮らさせ給ふ程に、廿日の過るは、夢なれや。聖も未だ見え給はず。これはされば何としつる事どもぞやと、中々心苦しくて、今更悶へ焦がれ給ひけり。 北条も 「聖の廿日と申されし、約束の日数も過ぬ。今は鎌倉殿、御許され無きにこそあんなれ。さのみ在京して、年を暮らすべきにあらず。今は下らん」とて、ひしめきけり。 斎藤五、斎藤六も、手を握り肝魂を消して思へども、聖も未だ見え給はず。使者をだにも、上せねば、思ふばかりぞ無かりける。これら又、大覚寺へ參り、 「聖も未だ見え給はず、北条もこの暁、下向仕り候」とて、涙をはらはらと流しければ、母上、聖のさしも頼もしげに申して、下りぬる後は、母上、乳母の女房、少し心戻りのべて、偏に観音の、御助けなりと、頼もしう思はれつるに、この暁にも成しかば、母上も乳母の女房の心の内、さこそは頼りなかりけめ。母上乳母の女房に宣ひけるは、 「あはれおとなしやかならんずる者が、道にて行きあらんずる所まで、この子を具せよと言へかし。もし請ひ受けて上らんに、切られたらんずる心憂さをば如何せん。さて、やがてこしなひげなりつるか」と、問ひ給へば、 「この暁の程とこそ見えさせましまし候へ。その故は、この程、御宿直仕り候ひつる、北条の家の子郎党どもも、世に名残惜しげにて、或ひは念仏申す者も候。或ひは涙を流す者も候」と申す。母上、 「さてこの子が有樣は、何と有ぞ」と問ひ給へば、
「人の見參らせ候時は、さらぬていにもてなひて、御数珠をくらせましましまし候。又人の見參らせ候はぬ時は、傍らにむかばせ給ひて、御袖を御顏に押し当てて、涙にむせりせ給ひ候」と申す。母上 「さぞ有るらめ、年こそ幼け
六 六代の事 計らひなれば如何有らんずらんと思はれけれども、廿日の命の延び給ふにぞ。母上、乳母の女房、少し心をとりのべて、偏に長谷の観音の、御助けなればにやと、頼もしうぞ思はれける。 かくて、明かし暮らさせ給ふ程に、廿日の過るは、夢なれや。聖も未だ見え給はず。これはされば何としつる事どもぞやと、中々心苦しくて、今更悶へ焦がれ給ひけり。 北条も 「聖の廿日と申されし、約束の日数も過ぬ。今は鎌倉殿、御許され無きにこそあんなれ。さのみ在京して、年を暮らすべきにあらず。今は下らん」とて、ひしめきけり。 斎藤五、斎藤六も、手を握り肝魂を消して思へども、聖も未だ見え給はず。使者をだにも、上せねば、思ふばかりぞ無かりける。これら又、大覚寺へ參り、 「聖も未だ見え給はず、北条もこの暁、下向仕り候」とて、涙をはらはらと流しければ、母上、聖のさしも頼もしげに申して、下りぬる後は、母上、乳母の女房、少し心戻りのべて、偏に観音の、御助けなりと、頼もしう思はれつるに、この暁にも成しかば、母上も乳母の女房の心の内、さこそは頼りなかりけめ。母上乳母の女房に宣ひけるは、 「あはれおとなしやかならんずる者が、道にて行きあらんずる所まで、この子を具せよと言へかし。もし請ひ受けて上らんに、切られたらんずる心憂さをば如何せん。さて、やがてこしなひげなりつるか」と、問ひ給へば、 「この暁の程とこそ見えさせましまし候へ。その故は、この程、御宿直仕り候ひつる、北条の家の子郎党どもも、世に名残惜しげにて、或ひは念仏申す者も候。或ひは涙を流す者も候」と申す。母上、 「さてこの子が有樣は、何と有ぞ」と問ひ給へば、
「人の見參らせ候時は、さらぬていにもてなひて、御数珠をくらせましましまし候。又人の見參らせ候はぬ時は、傍らにむかばせ給ひて、御袖を御顏に押し当てて、涙にむせりせ給ひ候」と申す。母上 「さぞ有るらめ、年こそ幼け