美作守顯能家入來僧事
美作守顯能のもとになまめきたる僧の入來て經を
よみたふとく讀あり。主聞てなにわざし給ふ人ぞと云。
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近く寄て云樣、乞食に侍べり。但し家ごとに物こひあ
くわざをば仕まつらず。西山なる寺に住侍べるか。聊か
望み申べき事有てなむと云。物ざまむげに思下べきには非
ありければ、かみゃかに尋問申に付ていと異樣には侍
べれど、ある所のなま女房「を相語ひて物すゝがせなむどし
侍べりし程に、はからざる外にたゞならず成て此月にまか
り當りて侍べるを、偏に我あやまちなれば殊更こもり
ゐて侍べらむ程、彼が命つぐばかりの物あたへ侍らば
やと思給へるか。いかにも/\力及侍べらねば、若御あ
われみや侍べるとてなむと云。事のをこりはげにと覚へず
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なれど、さこそ思らめといとをしく覚へて、いと安事にこそ
とて、をしはからひて人一人に持せそへて取せんと
す。此僧の云樣、方々きわめてつゝましく侍べり。殊更そ
ことはしらじと思給へるなり。自持てまからんとて、持る
るほど負て出てぬ。主猶あやしく思て左樣の方云
かひなき者を付てやる。樣をやつして見かくれに行ける
程に、北山の奧にはる/"\とわけ入て、人もかよはぬ深
谷に入にけり。一間ばかりなるあやしき柴の菴の内に入
て物うち並て、あなくるし三寶のたすけなれば、安居
の食もまうけたりと獨打云て、足うちあらひてしづまり
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ぬ。此使いとめづらかにも有哉と聞けり。日暮てこ
よひ歸べくも非ねば、木陰にやわらかくし居にけり。夜ふくる
程に法華經をよもすがら讀奉る聲いとたふとくて
泪もとゞまらず。明るやをそしと立帰りて主に有つる
樣を聞へければ、驚ながら、さればよたゞ者には非と見きとて
重て消息をやる。思かけず安居の御料と承る。しかあ
らば一日の物はすくなくこそ侍らめ。此を奉る猶も入
らむ事候はゞ、かならずの給はせよといはせたりければ、經うち
讀て何とも返事云ざりけり。とばかり待かねて物を
ば庵の前に取並て歸りぬ。日來經てさても有つる
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僧こそ不審なりけれとて、をとづれたりけれど其庵には
人も無て、前に得たりし物をば外へもちいにけると覚
しくて、後のをくり物をばさとからをきたりければ、鳥けだ
ものくひ散したる樣にて、こゝ彼にこぼれちりてぞ有ける。
實に道心ある人は、かく我身の德をかくさむと過を
あらはして貴まれん事を恐るゝなり。若人世を遁たれ
ども、いみじくそむけりと云はれん。貴く行由を聞んと思
へば世俗の名聞よりも甚し。此故に有經に出世の
名聞は譬へば血を以て血を洗か如しと説けり。本
の血はあらはれて落もやすらん知らず。今の血は大にけ
がす。愚なるに非ずや。
發心集一巻終
※顕能 葉室顕能。保延五年(1139年)没。正五位下右衛門権佐。以前美作守だった。
※西山 京都市西部の山地。大原野周辺。
※北山 京都市の北部の山地。
※有經に 神宮本に瑜伽師地論と明示されている。