れ共心すこしおとなしやかなる君也。こはしもあらば、北
でうとかやにいとまこふて歸り參らんといはひつれ共けふ
すでに廿日にあまるに、あれへもゆかず、是へも見えず。又
いづれの日、いづれの時、かならずあひみるべし共おぼえず。こ
よひかぎりの命と思ふて、さこそは心ぼそかりけめ。さて
なんぢらは、いかゞはからふらんと宣へば、是はいづくまでも、
御とも仕り、いかにもならせましまさば、御こつをとり奉
り、高野の御山におさめ奉り、出家入道仕り、御ぼだいを
とふらひ參らせとこそ、存じ候へとて、なみだにむせ
しづんでぞふしにける。かくてじこくはるかにをしかへり
ければ、母うへ時の程もおぼつかなし。さらばとう歸れとの
給へば、二人の者共、なく/\いとま申てまかりいづ。去程に
同じき十二月、十七日のあかつき、北でうの四ら時政、若君
ぐし奉て、すでに都を立にけり。さい藤五さい藤六も、御こ
しの左右についてぞ參りける。北でうのりがへ共おろいて
馬にのれといへ共のらず。さいごの御ともて候へば、くるしうも候は
ずとてちのなみだをながひてかちはだしでぞくだりける
若君は、さしもはなれがたう思しける、母うへめのとの女房
にもわかれはてゝ、すみなれし都をば、雲ヰのよそにかへ
りみて、けふをかぎりのあつまぢにおもむひてはる/"\とく
だられけん。心のうちをしはかられく哀也。ごまをはやむる
ぶしあれば、我くびきらんかときもをけし、ものいひかはすもの
あればすはとやと心をつくす。四のみや河原と思へ共、せき山を
も打過て、大津のうらにも成にけり。あはづのはらかとうかゞ
へば、けふもはやくれにけり。国々しゆく/\、打すぎ/\くだ
り給ふ程にするがの國にも成しかば、わが君の露の御命、
けふをかぎりとぞみえし。千本の松原といふ所に、御こしかき
すへさせ、わか君おはさせ給へとて、しきがはしいてすへ奉る北
でういそぎ馬よりとんでおりわか君の御そばちかふ參て
申されけるはもし道にてひじりにや、行あひ候と、是まで
平家物語巻第十二
六 六代の事 れども、心少し大人しやかなる君也。『こはしもあらば、北条とかやに暇請ふて歸り參らん』と言はひつれども、今日既に廿日に余るに、あれへも行かず、これへも見えず。又いづれの日、いづれの時、必ず相見るべしども、覚えず。今宵限りの命と思ふて、さこそは心細かりけめ。さて、汝らは、如何謀らふらん」と宣へば、 「これは、いづくまでも、御供仕り、いかにも成らせましまさば、御骨を取り奉り、高野の御山に収め奉り、出家入道仕り、御菩提を弔ひ參らせとこそ存じ候へ」とて、涙にむせ沈んでぞ伏しにける。かくて時刻遥かに押し返りければ、母上、 「時の程もおぼつかなし。さらばとう歸れと宣へば、二人の者ども、泣く泣く暇申して罷り出づ。 去る程に、同じき十二月、十七日の暁、北条の四郎時政、若君具し奉て、既に都を立にけり。斎藤五、斎藤六も、御輿の左右に付いてぞ參りける。北条乗り替へども、おろいて、
「馬に乗れ」と言へども乗らず。 「最後の御供で候へば、苦しうも候はず」とて、血の涙を流ひて、徒歩、裸足でぞ下りける。若君は、さしも離れがたう思しける、母上、乳母の女房にも別れ果てて、住み慣れし都をば、雲居のよそに返り見て、今日を限りの東路に赴ひて、遥々と下られけん。心の内をしはかられく哀也。駒早る武士ば、我首切らんかと肝を消し、物言ひ交わす者あれば、すはとやと心を尽くす。 四の宮河原と思へども、関山をも打過ぎて、大津の浦にもなりにけり。粟津の原かと伺へば、今日も早暮にけり。国々宿々、打過ぎ過ぎ下り給ふ程に、駿河の國にもなりしかば、わが君の露の御命、今日を限りとぞ見えし。千本の松原といふ所に、御輿かき据へさせ、若君おはさせ給へとて、敷皮敷いて据へ奉る。北条、急ぎ馬より飛んで降り、若君の御側近ふ參りて申されけるは、 「もし、道にて聖にや、行会ひ候と、これまで
六 六代の事 れども、心少し大人しやかなる君也。『こはしもあらば、北条とかやに暇請ふて歸り參らん』と言はひつれども、今日既に廿日に余るに、あれへも行かず、これへも見えず。又いづれの日、いづれの時、必ず相見るべしども、覚えず。今宵限りの命と思ふて、さこそは心細かりけめ。さて、汝らは、如何謀らふらん」と宣へば、 「これは、いづくまでも、御供仕り、いかにも成らせましまさば、御骨を取り奉り、高野の御山に収め奉り、出家入道仕り、御菩提を弔ひ參らせとこそ存じ候へ」とて、涙にむせ沈んでぞ伏しにける。かくて時刻遥かに押し返りければ、母上、 「時の程もおぼつかなし。さらばとう歸れと宣へば、二人の者ども、泣く泣く暇申して罷り出づ。 去る程に、同じき十二月、十七日の暁、北条の四郎時政、若君具し奉て、既に都を立にけり。斎藤五、斎藤六も、御輿の左右に付いてぞ參りける。北条乗り替へども、おろいて、
「馬に乗れ」と言へども乗らず。 「最後の御供で候へば、苦しうも候はず」とて、血の涙を流ひて、徒歩、裸足でぞ下りける。若君は、さしも離れがたう思しける、母上、乳母の女房にも別れ果てて、住み慣れし都をば、雲居のよそに返り見て、今日を限りの東路に赴ひて、遥々と下られけん。心の内をしはかられく哀也。駒早る武士ば、我首切らんかと肝を消し、物言ひ交わす者あれば、すはとやと心を尽くす。 四の宮河原と思へども、関山をも打過ぎて、大津の浦にもなりにけり。粟津の原かと伺へば、今日も早暮にけり。国々宿々、打過ぎ過ぎ下り給ふ程に、駿河の國にもなりしかば、わが君の露の御命、今日を限りとぞ見えし。千本の松原といふ所に、御輿かき据へさせ、若君おはさせ給へとて、敷皮敷いて据へ奉る。北条、急ぎ馬より飛んで降り、若君の御側近ふ參りて申されけるは、 「もし、道にて聖にや、行会ひ候と、これまで
※四の宮河原 京都市山科区の四ノ宮の河原 ※関山 逢坂の関山 ※粟津 滋賀県大津市粟津町 ※千本の松原 静岡県沼津市の狩野川河口から、富士市の田子の浦港の間約15kmの駿河湾岸(正式名称:富士海岸、通称:千本浜)に沿って続いている松原。