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軒場の梅 山塊記 式子内親王准后

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山塊記

文治元年(1185年) 是月十四日改元暦爲文治
○八月 大建乙酉
十日庚申 …又有内文、別當(家通)、行之、前齋院准后之御封事云々。

十四日甲子 晴天。今日有改元事。頭右大辨光雅朝臣示送曰、今夜前齋院准后之後初可渡御院御所。人々可被扈從。…

次參八條院(八條北、烏丸東、八條院御所、東洞院面爲前齋院御方)、前齋院(故高倉三位腹、法王皇女)准后之後初渡御院御所(六條北西洞院西)頃之寄御車(院御車也。物見上有。庇、袖網代也)、御車副不賜當色。出車三兩。殿上人車也。予、大宮中納言(實宗網代車)、左兵衞督(頼實)、平宰相(親宗)扈從。左武衞候御車寄。殿上人十餘輩前駈。左將曹中臣近武(黄木賊上下帶劒、立鳥帽子)、在御車後、出車於院在六條面築垣外。御車入東門。奉寄寝殿南階。下御之後予逐電歸東山。予目去四月所勞。今日始出仕。於陣先可見吉書也。然而用改元吉書了。

山槐記(さんかいき)は、平安末期から鎌倉初期の公卿で内大臣を勤めた中山家の祖、中山忠親の仁平元年(1151年)から建久五年(1194年)までの40年間あまり日記で、書名の「山槐」とは中山と、大臣家唐名(槐門)を合わせたものに由来する。

史料
増補史料大成 第二十八巻 山塊記三 増補史料大成刊行会 臨川書店

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