椎本
八宮 山風に霞吹き解く声はあれど隔てて見ゆる遠の白波
やまかせにかすみふきとくこゑはあれとへたててみゆるをちのしらなみ
匂宮 遠近の汀の浪は隔つともなほ吹き通へ宇治の川風
をちこちのみきはになみはへたつともなほふきかよへうちのかはかせ
匂宮 山桜匂ふ辺りに尋ね来て同じ挿頭を折りてけるかな
やまさくらにほふあたりにたつねきておなしかさしをわりてけるかな
八宮 挿頭折る花の便りに山賤の垣根を過ぎぬ春の旅人
かさしをるはなのたよりにやまかつのかきねをすきぬはるのたひひと
八宮 我亡くて草の庵は荒れぬともこの一言は枯れじとぞ思ふ
われなくてくさのいほりはあれぬともこのひとことはかれしとそおもふ
薫 如何ならむ世にか離れせむ長き世の契結べる草の庵は
いかならむよにかかれせむなかきよのちきりむすへるくさのいほりは
匂宮 牡鹿鳴く秋の山里如何ならむ小萩が露の掛かる夕暮
をしかなくあきのやまさといかならむこはきかつゆのかかるゆふくれ
大君 涙のみ霧塞がれる山里は籬に鹿ぞ諸声に鳴く
なみたのみきりふたかれるやまさとはまかきにしかそもろこゑになく
匂宮 朝霧に友惑はせる鹿の音を大方にやはあはれとも聞く
あさきりにともまとはせるしかのねをおほかたにやはあはれともきく
薫 色変はる浅茅を見ても墨染めに窶るる袖を思ひこそやれ
いろかはるあさちをみてもすみそめにやつるるそてをおもひこそやれ
大君 色変はる袖をば露の宿りにて我が身ぞ更に置き所無き
いろかはるそてをはつゆのやとりにてわかみそさらにおきところなき
薫 秋霧の晴れぬ雲居にいとどしくこの世を仮と言ひ知らすらむ
あききりのはれぬくもゐにいととしくこのよをかりといひしらすらむ
大君 君亡くて岩の懸道絶えしより松の雪をも何とかは見る
きみなくていはのかけみちたえしよりまつのゆきをもなにとかはみる
中君 奥山の松葉に積もる雪とだに消えにし人を思はましかば
おくやまのまつはにつもるゆきとたにきえにしひとをおもはましかは
大君 雪深き山の架橋君ならで又ふみ通ふ跡を見ぬかな
ゆきふかきやまのかけはしきみならてまたふみかよふあとをみぬかな
薫 氷柱閉ぢ駒踏みしたく山河を導しがてらまづや渡らむ
つららとちこまふみしたくやまかはをしるへしかてらまつやわたらむ
薫 立ち寄らむ蔭と頼みし椎が本空しき床に成りにけるかな
たちよらむかけとたのみししひかもとむなしきとこになりにけるかな
大君 君が折る峰の蕨と見ましかば知られやせまし春の印も
きみかをるみねのわらひとみましかはしられやせましはるのしるしも
中君 雪深き汀の小芹誰がために摘みかはやさむ親無しにして
ゆきふかきみきはのこせりたかためにつみかはやさむおやなしにして
匂宮 伝に見し宿の桜をこの春は霞隔てず折りて挿頭さむ
つてにみしやとのさくらをこのはるはかすみへたてすをりてかささむ
中君 何処とか尋ねて折らむ墨染めに霞籠めたる宿の桜を
いつくとかたつねてをらむすみそめにかすみこめたるやとのさくらを
総角
薫 総角に長き契りを結び込め同じ所に縒りも合はなむ
あけまきになかきちきりをむすひこめおなしところによりもあはなむ
大君 貫きもあへず脆き涙の玉の緒を長き契りを如何結ばむ
ぬきもあへすもろきなみたのたまのをになかきちきりをいかかむすはむ
薫 山里の哀れ知らるる声々にとり集めたる朝朗けかな
やまさとのあはれしらるるこゑこゑにとりあつめたるあさほらけかな
大君 鳥の音も聞こえぬ山と思ひしを世の憂きことは訪ね来にけり
とりのねもきこえぬやまとおもひしをよのうきことはたつねきにけり
薫 同じ枝を分きて染めける山姫に何れか深き色と問はばや
おなしえをわきてそめけるやまひめにいつれかふかきいろととははや
大君 山姫の染むる心は分かねども移ろふ方や深きなるらむ
やまひめのそむるこころはわかねともうつろふかたやふかきなるらむ
匂宮 女郎花咲ける大野を防ぎつつ心狭くや注連を結ふらむ
をみなへしさけるおほのをふせきつつこころせはくやしめをゆふらむ
夕霧 霧深きあしたの原の女郎花心を寄せて見る人ぞ見る
きりふかきあしたのはらのをみなへしこころをよせてみるひとそみる
薫 導せし我や返りて惑ふべき心も行かぬ明け暗れの道
しるへせしわれやかへりてまとふへきこころもゆかぬあけくれのみち
大君 方々に暗す心を思ひやれ人遣りならぬ道に惑はば
かたかたにくらすこころをおもひやれひとやりならぬみちにまとはは
匂宮 世の常に思ひやすらむ露深き道の笹原分けて来つるも
よのつねにおもひやすらむつゆふかきみちのささはらわけてきつるも
薫 小夜衣着て馴れきとは言はずとも恨言ばかりは掛けずしも有らじ
さよころもきてなれきとはいはすともかことはかりはかけすしもあらし
大君 隔て無き心ばかりは通ふとも馴れし袖とは掛けじとぞ思ふ
へたてなきこころはかりはかよふともなれしそてとはかけしとそおもふ
匂宮 中絶えむ物ならなくに橋姫の片敷く袖や夜半に濡らさむ
なかたえむものならなくにはしひめのかたしくそてやよはにぬらさむ
中君 絶えせじの我が頼みにや宇治橋の遙けき仲を待ち渡るべき
たえせしのわかたのみにやうちはしのはるけきなかをまちわたるへき
蔵人少将 いつぞやも花の盛りに一目見し木の下さへや秋は寂しき
いつそやもはなのさかりにひとめみしこのもとさへやあきはさひしき
薫 桜こそ思ひ知らすれ咲き匂ふ花も紅葉も常ならぬ世を
さくらこそおもひしらすれさきにほふはなももみちもつねならぬよを
衛門督 何処より秋は行きけむ山里の紅葉の蔭は過ぎ憂きものを
いつこよりあきはゆきけむやまさとのもみちのかけはすきうきものを
中宮大夫 見し人も無き山里の岩垣に心長くも這へる葛かな
みしひともなきやまさとのいはかきにこころなかくもはへるくすかな
兵部卿宮 秋果てて寂しさ勝る木の本を吹きな過ぐしぞ峰の松風
あきはててさひしさまさるこのもとをふきなすくしそみねのまつかせ
匂宮 若草の寝見むものとは思はねど結ぼほれたる心地こそすれ
わかくさのねみむものとはおもはねとむすほほれたるここちこそすれ
匂宮 眺むるは同じ雲居を如何なれば覚束なさを添ふる時雨ぞ
なかむるはおなしくもゐをいかなれはおほつかなさをそふるしくれそ
中君 霰降る深山の里は朝夕に眺むる空もかき暗しつつ
あられふるみやまのさとはあさゆふになかむるそらもかきくらしつつ
薫 霜冴ゆる汀の千鳥打ち侘びて鳴く音悲しき朝朗けかな
しもさゆるみきはのちとりうちわひてなくねかなしきあさほらけかな
中君 暁の霜打ち払ひ鳴く千鳥物思ふ人の心をや知る
あかつきのしもうちはらひなくちとりものおもふひとのこころをやしる
薫 かき曇り日影も見えぬ奥山に心を暗す頃にあるかな
かきくもりひかけもみえぬおくやまにこころをくらすころにもあるかな
薫 紅に落つる涙も甲斐なきは形見の色を染めぬなりけり
くれなゐにおつるなみたもかひなきはかたみのいろをそめぬなりけり
薫 遅れじと空行く月を慕うかな終に住むべきこの世ならねば
おくれしとそらゆくつきをしたふかなつひにすむへきこのよならねは
薫 恋詫びて死ぬる薬のゆかしきに雪の山にや跡を消なまし
こひわひてしぬるくすりのゆかしきにゆきのやまにやあとをけなまし
薫 来し方を思ひ出づるも儚きを行く末掛けて何頼むらむ
きしかたをおもひいつるもはかなきをゆくすゑかけてなにたのむらむ
匂宮 行く末を短き物と思ひなば目の前にだに背かざらなむ
ゆくすゑをみしかきものとおもひなはめのまへにたにそむかさらなむ