建仁三年の年の霜月の二十日余りの何日だったかしら、五条の三位入道俊成様が九十歳になられましたと聞かせおわしまして、後鳥羽院より長寿の御祝を賜う事とになり、贈物の法服の装束の袈裟に歌を書くべしと勅命がございまして、師光入道の娘の宮内卿の宮殿に歌を召されて、紫の糸にて院の仰せで私が刺繍致しましたが、
命が長らえて今朝、袈裟を頂きとても嬉しく寄る年波の老た私ですが帝の長寿の八千代をかけて君に仕へましょう
とありましたが、賜る方への人の歌としては今少し良くはないのでは?と心の中では、覚えましたけれども、そのままに刺繍すべき事なので、縫いましたが、「けさぞ」の「ぞ」の文字、「仕へむ」の「む」の文字を、「や」と「よ」とに変えるべきと言うことになり、急にその夜になって、私に二条殿へ参るべき由仰せ事となって、範光の中納言の車を迎えに寄越し、それに乗って参りまして、文字二つを刺繍し直し、やがて祝賀会が始まり、御子左家の方々も懐かしくて、夜もすがら脇に控えて見ていた所、昔の俊成様や母の事などを思い出して、大変歌道一筋の面目は格別の事だと覚えましたので、次の早朝に入道様の元へその由申し上げました。
俊成様の長寿は、猶今日より後も数えるべき九十歳が過ぎて更に百歳を超えるまで御活躍を御祈念申し上げます
建仁三年の年霜月の二十日余り幾日のひやらむ、五條の三位入道俊成九十に滿つと聞かせおはしまして、院より賀たまはするに、贈物の法服の装束の袈裟に歌を書くべしとて、師光入道の女宮内卿の殿に歌は召されて、紫の糸にて院の仰せ事にておきて参らせたりし、
ながらへてけさぞうれしき老の波八千代をかけて君に仕へむ
とありしが、たまはりたらむ人の歌にては今少しよかりぬべく心のうちにおぼえしかども、そのままにおくべき事なればおきてしを、けさぞのぞの文字、仕へむのむの文字を、やとよとになるべかりけるとて、にはかにその夜になりて、二條殿へ參るべき由仰せ事とて、範光の中納言の車とてあれば、參りて、文字二つおき直して、やがて賀もゆかしくて夜もすがらさぶらひて見しに、昔の事おぼえて、いみじく道の面目なのめならずおぼえしかば、つとめて入道のもとへその由もうしつかはす。
君ぞなほけふより後もかぞふべき九のかへりの十のゆく末