十訓抄第一 可施人惠事
一ノ二
天智天皇、世につつみ給ふことありて、筑前の國上座の郡朝倉といふ所の山中に、黒木の屋を造りておはしけるを、木の丸殿といふ。圓木にて造るゆゑなり。
今、大嘗会の時、黒木の屋とて、北野の齋場所に造る、かの時のためしなり。民をわづらはさず、宮造りも倹約なるべきといふよしなり。唐堯の宮に土の階をもちゐぬ、萱の軒を切らざりけるためしなり。
さて、かの木の丸殿には用心をし給ひければ、入來の人、必ず名のりをしけり。
朝倉や木の丸殿にわがおれば名のりをしつつ行くは誰が子ぞ
これ、天智天皇の御歌なり。これ、民ども聞きとどめて、うたひそめたりけるなり。その國々の風俗ども、えらび給ひける時、筑前の國の風俗の曲にうたひけるを、延喜の帝、神樂の歌ども加へられけるに、うたひそへられたりけるなり。其駒も同じ御時加へられたるとぞ。
朝倉にとりては、めでたき曲なり。昔よりかたみにゆづりて、上手にうたはせむとするなり。ことかき、すががきを掻くに、拍子ばかりをうちて、上下、臈をいはず、堪能のものにゆづりて、かれがうたふを待つなり。暑堂の御神樂に、齊信、公任、本末の拍子とられける時も付歌にて、定頼ぞ朝倉をばうたはれる。
※朝倉や
巻第十七 雑歌中 1687 天智天皇御歌
題しらず