春のよの夢の
うきはしとたへ
して
みねにわかるゝ
よこ雲の
空
守覚法親王家五十首歌に 藤原定家朝臣
春の夜の夢のうきはしとだえして峯にわかるるよこ雲の空
よみ:はるのよのゆめのうきはしとだえしてみねにわかるるよこぐものそら
松月庵徹書記
正徹
(永徳元年(1381年) - 長禄三年(1459年))。室町時代中期の臨済宗の歌僧。道号は清巌(岩)、庵号は招(松)月庵。
石清水八幡宮に仕える祀官一族の出身で、父は小松(または小田)康清といわれ、備中国小田郡の小田荘を知行していた。俗名は正清。
和歌を冷泉為尹と今川了俊(貞世)に学ぶ。応永二十一年(1414年)出家、法号を正徹と号した。京都東福寺の書記であったことから徹書記とも呼ばれた。室町幕府6代将軍足利義教に忌避され謫居。そのためか『新続古今和歌集』に正徹の歌は入集していない。義教の没後は歌壇に復帰し活躍。歌人のみならず古典学者としても評価をされており、8代将軍足利義政に『源氏物語』の講義を行っている事等が知られている。
20000首近くの詠が現存する、室町時代最大の歌人。歌風も際立って特色あり、二条派からは異端視されたが、藤原定家を尊崇し、時に前衛的、象徴的、夢幻的で、独自の幽玄の風体を開拓した。門下には心敬らがいる。家集に『草根集』、歌論に正徹物語がある。
また、古典学者としては『源氏物語』の研究のほか、『伊勢物語』などの物語類や藤原定家などの歌人の家集など、多くの古典籍の書写を行い、現存の伝本流布に貢献している。なかでも正徹の書写した『徒然草』は現存最古の写本として重要なものであり、彼が「つれづれ草は枕草子をつぎて書きたる物也」と、両書を同じ文学の形態として認めた点は、現代では常識であるが、当時の文学史家として優れた着眼点といえる。
極
朝倉茂入(初代)
平成28年5月1日 貮點陸