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軒場の梅 明月記 後白河院遺産

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建久三年三月
十四日丙戌 朝後陰る。申後小雨。午の時許りに院に參ず。人々多く參入す。法王御尊号、後白河院と云々。
…略…
人々云ふ、殷富門院御受分け押小路《彼御後主上の御領となすべし》、宣陽門院《六条殿、長講堂已下事、庄々等》、前齋院《大炊殿、白河常光院、其の外の御庄両三分け奉らると云々》、前齋宮花園殿《仁和寺》、法住寺殿、蓮華王院、六勝寺、鳥羽等惣て公家の御沙汰となすべし。
即ち寳倉以下、殿下御封を付けらるると云々。爲保出家。自餘大略虚言。


元徳二年三月日吉社並叡山行幸記

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元徳二年(1330年)
松坂松岡をこえ、五位墓四宮河原になりぬれば、鴨長明が述懐せし外山はるかにみえわたり

※四宮河原
仁明天皇第四皇子人康親王が、出家し、山科に御所を造成した。その御所旧跡の寺が十禅寺(山科区四ノ宮泉水町)で、その後四宮河原と言われた。

明月記 治承の辻風

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治承四年四月
廿九日辛亥 天晴る。未の時許り雹降る。雷鳴先づ兩三聲の後、霹靂猛烈。北方に煙立ち揚がる。人燒亡を称ふ。是れ飈なり。京中騒動すと云々。
木を抜き、沙石を揚げ、人家門戸并に車等皆吹き上ぐと云々。
古老云ふ、未だ此の如き事聞かずと。
前齋宮四条殿、殊に以て其の最となす。北壺の梅樹、根を露はし仆る。件の樹、簷に懸りて破壊す。權右中辨二條京極の家、叉此の如しと云々。

謡曲 定家

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定家                             三番目物 金春禅竹

北国に僧一行が、都に上り千本辺りで時雨が降り出し、庵で晴れ間を待つ間女が現れ、ここが定家卿の時雨亭と教え、蔦葛にまとわれた式子内親王の墓に案内する。内親王は定家との秘めた恋が世間に漏れ始めたため、二度と会わずにこの世を去ったが、定家は、思いは晴れず、死後の執心が蔦葛となって墓にまとわりついていると語り、自分こそ内親王と告げ、救いを求めて姿を消す。所の者が僧の問いに答えて定家葛の由来を語り、供養を勧めて退く。
その夜読経し弔っていると、痩せ衰えた内親王の霊が現れ、薬草喩品の功徳で呪縛が解け、苦しみが和らいだと喜び報恩の舞を舞い、再び墓の中に消えると定家葛がまとわりつく。

ワキ・ワキツレ 山より出づる北時雨、山より出づる北時雨、行ゑや定めなかるらん。

ワキ 是は北國より出たる僧にて候、我未だ都を見ず候程に、此度思ひ立都に上り候。
ワキ・ワキツレ 冬立つや、旅の衣の朝まだき、旅の衣の朝まだき、雲も行違遠近の、山又山を越過て、紅葉に殘る眺めまで、花の都に着にけり、花の都に着にけり。
ワキ 急候程に、是ははや都千本あたりにて有げに候、暫く此あたりに休らはばやと思ひ候。
 
ワキ 面白や比は神無月十日あまり、木々の梢も冬枯れて、枝に殘りの紅葉の色、所々の有樣までも、都の氣色は一入の、眺め殊なる夕かな、荒笑止や、俄に時雨が降り來りて候、是に由有げなる宿りの候、立寄り時雨を晴らさばやと思候。
シテ女 なふなふ御僧、其宿りへは何とて立ち寄り給ひ候ぞ
ワキ 唯今の時雨を晴らさむために立寄りてこそ候へ、扨ここをばいづくと申候ぞ
女 それは時雨の亭とて由ある所なり、其心をも知ろしめして立寄らせ給ふかと思へばかやうに申なり。
ワキ げにげに是なる額を見れば、時雨の亭と書かれたり、折から面白うこそ候へ、是はいかなる人の立置かれたる所にて候ぞ。
女 是は藤原の定家卿の建て置き給へる所なり、都のうちとは申ながら、心凄く、時雨物哀なればとて、此亭を建て置き、時雨の比の年々は、爰にて歌をも詠じ給ひしとなり、古跡といひ折からといひ、其心をも知ろしめして、逆縁の法をも説き給ひ、彼御菩提を御とぶらひあれと、勧め參らせん其ために、これまで顯れ來りたり

ワキ 扨は藤原の定家卿の建て置き給へる所かや、扨々時雨を留むる宿の、歌は何れの言の葉やらん
女 いや何れとも定めなき、時雨の比の年々なれば、分きてそれとは申がたし去ながら、時雨時を知るといふ心を、偽のなき世なりけり神無月、誰がまことより時雨れ初めけん、此言書に私の家にてと書かれたれば、若此歌をや申べき
ワキ 實あはれなる言の葉かな、さしも時雨は偽の、なき世に殘る跡ながら
女 人は徒なる古事を、語れば今も假の世に
ワキ 他生の縁は朽ちもせぬ、是ぞ一樹の陰の宿り
女 一河の流を汲みてだに
ワキ 心を知れと
女 折からに
同 今降るも、宿は昔の時雨にて、宿は昔の時雨にて、心すみにし其人の、哀を知るも夢の世の、實定めなや定家の、軒端の夕時雨、古きに歸る涙かな、庭も籬もそれとなく、荒れのみ増さる草むらの、露の宿りも枯れ/\に、物凄き夕べ成りけり、物凄き夕べ成りけり。
 
女 今日は心ざす日にて候ほどに、墓所へ參り候、御參候へかし。
ワキ それこそ出家の望にて候へ、頓而參らふずるにて候。
女 なふなふ是なる石塔御覧候へ
ワキ 不思議やな是なる石塔を見れば、星霜古りたるに蔦葛這ひ纏ひ、形も見えず候、是は如何なる人のしるしにて候ぞ
女 是は式子内親王の御墓にて候、又此葛をば定家葛と申候
ワキ 荒面白や定家葛とは、いかやうなる謂れにて候ぞ御物語候へ
女 式子内親王始めは賀茂の齋の宮にそなはり給ひしが、程なく下り居させ給しを、定家卿忍び/\御契り淺からず、其後式子内親王ほどなく空しく成給ひしに、定家の執心葛となつて御墓に這ひ纏ひ、互ひの苦しび離れやらず、共に邪婬の妄執を、御經を読み弔ひ給はば、猶々語り參らせ候はん。
同 忘れぬものをいにしへの、心の奧の信夫山、忍びて通ふ道芝の、露の世語由ぞなき。

女 今は玉の緒よ、絶えなば絶えねながらへば

同 忍ぶることの弱るなる、心の秋の花薄、穂に出初めし契りとて、また離れ/\の中となりて


女 昔は物を思はざりし
同 後の心ぞ、果てしもなき
同 あはれ知れ、霜より霜に朽果てて、世々に古りにし山藍の、袖の涙の身の昔、憂き戀せじと禊せし、賀茂の齋院にしも、そなはり給ふ身なれ共、神や受けずも成にけん、人の契りの、色に出けるぞ悲しき、包むとすれど徒し世の、徒なる中の名は洩れて、外の聞えは大方の、空恐ろしき日の光、雲の通路絶え果てて、乙女の姿留め得ぬ、心ぞ辛きもろともに

女 實や歎く共、戀ふ共逢はむ道やなき
同 君葛城の峰の雲と、詠じけん心まで、思へばかかる執心の、定家葛と身は成て、此御跡にいつとなく、離れもやらで蔦紅葉の、色焦がれ纏はり、荊の髪も結ぼほれ、露霜に消えかへる、妄執を助け給へや
地 古りにし事を聞からに、今日もほどなく呉織、あやしや御身誰やらむ
女 誰とても、亡き身の果ては淺茅生の、霜に朽にし名ばかりは、殘りても猶由ぞなき
地 よしや草場の忍ぶ共、色には出でよ其名をも
女 今は包まじ
地 この上は、われこそ式子内親王、是まで見え來れ共、まことの姿はかげろうふの、石に殘す形だに、それ共見えず蔦葛、苦しびを助け給へと、言ふかと見えて失せにけり、言ふかと見えて失せにけり

<中入>

ワキ・ワキツレ 夕も過ぐる月影に、夕も過ぐる月影に、松風吹て物凄き、草の陰なる露の身を、念ひの玉の數々に、とぶらふ縁は有難や、とぶらふ縁は有難や。
後女 夢かとよ、闇のうつつの宇津の山、月にも辿る蔦の細道
女 昔は松風蘿月に詞を交はし、翠帳紅閨に枕を並べ
地 樣々なりし情の末
女 花も紅葉も散々に
地 朝の雲
女 夕の雨と
同 古言も今の身も、夢も現も幻も、共に無常の、世となりて跡も殘らず、なに中々の草の陰、さらば葎の宿ならで、そとはつれなき定家葛、是見給へや御僧

ワキ 荒痛はしの御有樣やあらいたはしや、佛平等説如一味雨 随衆生性所受不同
女 御覽ぜよ身は徒波の立ち居だに、亡き跡までも苦びの、定家葛に身を閉ぢられて、かかる苦しび隙なき所に、有難や
シテ 唯今讀誦給ふは薬草喩品よなふ
ワキ 中々なれや此妙典に、洩るる草木のあらざれば、執心の葛をかけ離れて、佛道ならせ給ふべし
女 荒有難や、げにもげにも、是ぞ妙なる法のへ
ワキ 普き露の惠みを受けて
女 二つもなく
ワキ 三つもなき。
同 一味の御法の雨の滴り、皆潤ひて草木国土、悉皆成佛の機を得ぬれば、定家葛もかかる涙も、ほろ/\と解け広ごれば、よろ/\と足弱車の、火宅を出でたる有難さよ。この報恩にいざさらば、ありし雲井の花の袖、昔を今に返すなる、其舞姫の小忌衣
 
女 面無の舞の
地 あり樣やな
女 面無の舞の有樣やな
 
同 面無や面映ゆの、有樣やな
女 本より此身は
地 月の顏はせも
女 曇りがちに
地 桂の黛も
女 おちぶるる涙の
同 露と消えても、つたなや蔦の葉の、葛城の神姿、恥づかしやよしなや、夜の契りの、夢のうちにと、有つる所に、歸るは葛の葉の、もとのごとく、這ひ纏はるるや、定家葛、這ひ纏はるるや、定家葛の、はかなくも、形は埋もれて、失せにけり

※巻第十一 戀歌一 百首歌の中に忍恋を 式子内親王

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ることの弱る

※巻第四 秋歌上 百首歌に 式子内親王

花薄まだ露ふかし穂に出でばながめじとおもふ秋のさかりを

※第十五 戀歌五 和歌所の歌合に逢不遇戀のこころを 皇太后宮大夫俊成女 異本歌

夢かとよ見し面影も契りしも忘れずながらうつつならねば

※第十 羇旅歌 駿河の國宇都の山に逢へる人につけて京にふみ遣はしける 在原業平朝臣

駿河なる宇都の山邊のうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり

※続古今集 小野小町

夢ならばまた見る宵もありなまし何中々のうつつなるらむ 

第八 哀傷歌 六條攝政かくれ侍りて後植ゑ置きて侍りける牡丹の咲きて侍りけるを折りて女房のもとより遣はして侍りければ 大宰大貳重家

形見とて見れば歎のふかみぐさ何なかなかのにほひなるらむ

伝 式子内親王墓

軒端の梅 明月記 四条殿 辻風被害

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治承四年五月
一日 天晴る。齋宮に參じ、健御前を訪ね申す。
姫宮を抱き奉る。心中又存命すべきの儀を存ぜずと云々。
檜皮庭上に分散。破損口の宣ぶべきにあらず。

※姫宮
以仁王、殷富門院治部卿局の王女。

手鑑(中村記念美術館蔵) 伝慈円筆 新古今和歌集巻第四 秋歌上

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                 慈鎮和尚 印

新古今倭謌集巻第四

 秋哥上

  題不知       中納言家持

神なひ○(乃)みむろ乃やま能くす可川ら

うらふき可へすあきはき尓け里

  百首の哥尓者川あきのこゝろを

             崇徳院御哥

い川し可とおきの者むけの可多よ里耳

そらやあきとそ可せもきこゆ留

秋歌上

題知らず 中納言家持

神なびのみむろのやまのくずかずら

裏吹き返す秋は来にけり

百首の歌に初秋の心を

            崇徳院

いつしかと荻の葉向けの片寄りに

そらやあいとぞ風も聞こゆる

 

 

神がおはします神奈備山の葛葉に、風が吹いてひるがえすようになると秋が来たことがわかります。

大伴家持おおとものやかもち718?~785旅人の子越中守、万葉集の編者の一人とみなされている。

いつの間にか荻の葉が片方に靡き、風もそそや(そうだろうそうだろう)と秋になったと聞こえます。

すとくてんのう1119~1164鳥羽天皇の皇子。鳥羽上皇の命で弟近衛天皇に譲位。鳥羽上皇崩御後、後白河天皇と対立し保元の乱により讃岐に配流。讃岐院。崇徳院御時百首

歌論 無名抄 あさも川明神事

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丹後の國よさの郡に、あさも川の明神と申神います。國の守の神拝とかいふ事にも、みてぐらなどえ給てまつらるヽ程の神にてぞおはすなる。是は、むかしの浦嶋の翁の神となれるとなむいひつたへたる。物さはがしくはこあけし程の心に、神と跡をとヾめ給へるは、さるべき權者などにてや有けん。

網野神社
京都府京丹後市網野町網野789
浅茂川明神山に鎮座
万葉集
水江の浦嶋の子を詠める一首并せて短歌
1740
春の日の霞める時に墨吉の岸に出で居て釣船のとをらふ見れば古の事ぞ思ほゆる。水江の浦島の子が堅魚釣り鯛釣り矜り七日まで家にも来ずて海境を過ぎて漕ぎ行くに海若の神の女にたまさかにい漕ぎ向ひ相眺ひ言成しかばかき結び常世に至り海若の神の宮の内の重の妙なる殿に携はりふたり入り居て老もせず死にもせずして永き世にありけるものを世間の愚人の吾妹子に告げて語らくしましくは家に帰りて父母に事も告らひ明日のごと吾は来なむと言ひければ妹が言へらく常世辺にまた帰り来て今のごと逢はむとならばこの篋開くなゆめとそこらくに堅めし言を墨吉に還り来りて家見れど家も見かねて里見れど里も見かねて恠しみとそこに思はく家ゆ出でて三歳の間に垣もなく家滅せめやとこの箱を開きて見てばもとの如家はあらむと玉篋少し開くに白雲の箱より出でて常世辺に棚引きぬれば 立ち走り叫び袖振り反側び足ずりしつつたちまちに情消失せぬ若くありし膚も皺みぬ黒かりし髪も白けぬゆなゆなは気さへ絶えて後つひに命死にける。水江の浦島の子が家地見ゆ。
反歌
1741 
常世辺に住むべきものを剣太刀汝が心から鈍やこの君

軒端の梅 明月記 以仁王事件

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治承四年五月

十六日丁卯 九坎 今朝傳へ聞く、三條宮配流の事、日來と云々。

夜前検非違使軍兵を相具し、彼の第を囲む〈源氏の姓を賜る。其の名は以光と云々〉。是より先主人逃げ去る〈其の所を知らず〉。同宿の前齋宮(亮子内親王)又逃げ出で給ふ。漢主出づるに成皐勝公と車を共にするが如きか。

巷説に云ふ、源氏園城寺に入る。衆徒等鐘を槌き兵を催すと云々。

平中納言頼盛卿、八條院に參じ、御所の中を探索。彼の孫王を申し請ふ。遅々たるに依り、捜求に及ぶと云々。良々久しくして、孫王遂に出で給ふ。重實〈越中大夫を称ふ〉、一人相随す。但し納言相具し白川に向ひ、宮出家と云々。

一昨日、法皇鳥羽より八條坊門烏丸に渡りおはします〈八條院旧御所と云々〉。

※三条宮 以仁王 治承4年5月26日、興福寺へ落ちのびる途中、追討軍に討たれた。

※検非違使 土岐光長と源兼綱

※園城寺 天台宗寺門派の総本山。三井寺とも云ふ。以仁王は、一旦園城寺に逃れるが、比叡山と園城寺は不仲なため、延暦寺の支援を得られなかった。

※平頼盛 忠盛五男。八条院の女房を妻としている。平家の都落ちの際、置いてけぼりを喰らったので、京に留まり、八条院に匿って貰っていた。

※八條院 八条院東洞院殿。

※孫王 平家物語は道尊大僧正としている。しかし、仁和寺で出家していることから、道性安院宮僧正や真性天台座主大僧正とも考えられる。


歌論 無名抄 静縁こけ歌事

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静縁法師みづからが哥を語て云、
鹿の音を聞に我さへなかれぬる谷のいほりは住うかりけり
とこそつかふまつりて侍れ。これいかヾ侍。
と云。予云、
よろしく侍り。但、なかれぬると云詞、あまりこけすぎて、いかにぞや聞え侍れ。
といふを、静縁云、
其詞をこそ此哥の詮とは思給ふるに、この難はことの外に覚え侍。
とて、いみじうわろく難ずと思げにてさりぬ。よしなくおぼゆるまヽに物をいひて、心すべかりける事を、と悔しく思程に、十日ばかりありて、又來て云ふよう、
ひとひの哥難じ給しを、隠れ事なし。心えず思給て、いぶかしくおぼえ侍しまヽに、さはいへども、大夫公のもとに行てこそ、我ひがごとを思ふか、人のあしく難じ給ふか、ことをば切めとおもひて、行て語り侍りしかど、
何條御房のかヽるこけ哥よまんぞよと。なかれぬるとは何事ぞ。まさなの心ねや。
となん、はしたなめられて侍し。されば、よく難じ給けり。我あしく心得たりけるぞと。をこたり申にまうでたるなり。
といひて帰り侍にき。心のきよさこそ有がたく侍れ。

※静縁 天台僧
※大夫公 俊恵

軒端の梅 金戒光明寺

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二世信空上人の祖父中山顕時の邸宅を法然坊源空の師の叡空が寄進を受け、白川禅坊としていたのを、法然が受け継いだ。
法然は、白川、吉水、加茂、西山広谷を拠点としていたが、建永二年安楽、住蓮事件により、讃岐に流された。建暦元年帰京し、二年二月二十五日寂滅。
信空は、叡空により受戒し、法然の死により、叡山黒谷と白川を相続。
嘉禄三年衆徒の迫害により、法然の遺体を荼毘にし、門弟が、それぞれ分骨して廟塔を建てた。


中山顕時 天永元年- 仁安2年3月14日 藤原北家勧修寺流、藤原長隆の子。通称は中山中納言。

歌論 無名抄 隔海恋事

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或所にて哥合し侍し時、海路をへだつる戀と云題に《哥は忘れたり》つくしなる人の戀しきよしをよめりしに、かたへは是を難ず。
更なり、つくしは海をへだてたれば、おもひつヾくるはさる事なれども、かちより行人のためには、もじの關までおほくの野山を過てたヾいさヽか海をわたるべければ、題の本意もなく頗荒涼なるかたもあり。たとへばみちのくなる人を戀るよしをよみては、此哥ひとつにて、野を隔戀にも山をへだつる題にも、もしは里をへだて河をへだつるにも用ゐむとやする。題の哥はさもと聞ゆるこそよけれ。あまりざびろ也。
と難ず。或は、
哥はさのみこそよめ。まさしく海を隔てば必彼のいそなる人を此浦にて見わすべき事かは。あまりの難なり。
争あへりしを、其座に先達あまた侍しもかた/"\わかれて、おほきなる論にてなん侍し。されど、心にくき程の人おほくは、難をばいますこしいはれたりとぞ定侍し。

軒端の梅 式子内親王法名

軒端の梅 常光院

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○常光院
建仁寺 源頼家建立 開基栄西
金戒光明寺 開基法然
六波羅蜜寺 平清盛
聖護院旧称

○常光寺
宇治 橋寺 放生院

謡曲 江口

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江口

             三番目物・本鬘物 観阿弥原作、世阿弥改作

西行と江口の遊女妙の歌と性空上人の遊女に普賢菩薩の生身を見た話が元。諸国一見の僧が都から天王寺に参詣に行く途中、江口で西行の歌を口ずさむと里の女が現れ返歌の真意を教え、不審に思うと里の女は江口の遊女の霊だと教え消える。僧が供養をしていると舟
に三人の遊女が乗って現れ、身の儚さ、棹の歌を謡いつつ舟遊びをしながら、六道輪廻の有様を述べ、遊女の罪業の深さを嘆き、無常と執着の罪を説き、舞を舞う。やがて遊女は普賢菩薩に変じ、白象になった舟に乗り西方の空に消える。

ワキ・ワキツレ 月は昔の友ならば、月は昔の友ならば、世のほかいづくならまし。
ワキ 是は諸國一見の僧にて候、我いまだ津の國天王寺に參らず候程に、此たび思ひ立ち天王寺に參らばやと思ひ候。
ワキ・ワキツレ 都をば、まだ夜深きに旅立ちて、まだ夜深きに旅立ちて、淀の川舟行く末は、鵜殿の蘆のほの見えし、松の煙の波寄する、江口の里に着きにけり、江口の里に着きにけり。

ワキ 扨は是なるは江口の君の旧跡かや、痛はしや其身は土中に埋むといへども、名は留まりて今までも、昔語りの旧跡を、今見る事のあはれさよ、實や西行法師此所にて、一夜の宿を借りけるに、主の心なかりしかば、世の中を厭ふまでこそ難からめ、假の宿りを惜しむ君かなと詠じけんも、此所にての事なるべし、あら痛はしや候。

シテ女 なふなふあれなる御僧、今の歌をば何と思ひ寄りて口ずさび給ひ候ぞ

ワキ 不思議やな人家も見えぬ方よりも、女性一人來りつつ、今の詠歌の口ずさびを、いかにと問はせ給ふ事、そも何故に尋ね給ふぞ
女 忘れて年を經し物を、又思ひ染む言の葉の、草の陰野の露の世を、厭ふ迄こそ難からめ、假の宿りを惜しむとの、其言の葉も恥づかしければ、さのみは惜しみ參らせざりし、其理りをも申さむ爲に、是まであらはれ出たる也
ワキ 心得ず、假の宿りを惜しむ君かなと、西行法師が詠ぜし跡を、ただ何となくとぶらふ所に、さのみは惜しまざりにしと、理給ふ御身は扨、いかなる人にてましますぞ
シテ いやさればこそ惜しまぬよしの御返事を、申し歌をば何とてか、詠じもせさせ給はざるらん
ワキ 實其返歌の言の葉は、世を厭ふ
シテ 人とし聞けば假の宿に、心留むなと思ふ計ぞ、心留むなと捨て人を、諫め申せば女の宿りに、泊め參らせぬも理りならずや
ワキ 實理也西行も、假の宿りを捨て人と云
シテ こなたも名に負ふ色好みの、家にはさしも埋れ木の、人知れぬ事のみ多き宿に
ワキ 心留むなと詠じ給ふは
女 捨て人を思ふ心なるを
ワキ ただ惜しむとの
女 言の葉は
同 惜しむこそ、惜しまぬ假の宿なるを、惜しまぬ假の宿なるを、などや惜しむといふ波の、返らぬいしにへは今とても、捨て人
の世語りに、心な留め給ひそ。
地 實や憂き世の物語、聞けば姿も黄昏に、かげろふ人はいかならん
シテ 黄昏に、佇む影はほのぼのと、見え隠れなる川隈に、江口の流れの、君とや見えん恥づかしや
地 扨は疑ひあら磯の、波と消えにし跡なれや
女 假に住こし我宿の
地 梅の立ち枝や見えつらん
シテ 思ひの外に
同 君が來ませるや、一樹の陰にや宿りけん、又は一河の流れの水、汲みても知ろしめされよや、江口の君の幽霊ぞと、聲ばかりして失にけり、聲ばかりして失にけり。
 
ワキ 扨は江口の君の幽霊假に顕れ、われに言葉を交はしけるぞや、いざとぶらひて浮かべんと。
ワキ・ワキツレ いひもあへねば不思議やな、いひもあへねば不思議やな、月澄みわたる川水に、遊女の歌ふ舟遊び、月に見えたる不思議さよ、月に見えたる不思議さよ。
 
同 河舟を、泊めて逢瀬の波枕、泊めて逢瀬の波枕、憂き世の夢を身慣はしの、驚かぬ身のはかなさよ、佐用姫が松浦潟、片敷く袖の涙の、唐船の名殘なり、又宇治の橋姫も、訪はんともせぬ人を待つも、身の上とあはれなり。よしや吉野の、よしや吉野の、花も雪も雲も波も、あはれ世に逢はばや。
 
ワキ 不思議やな月澄み渡る水の面に、遊女のあまた歌う謡、色めきあへる人影は、そも誰人の舟やらん
シテ 何此舟を誰が舟とは、恥づかしながらいにしへの、江口の君の河逍遙の、月の夜舟を御覽ぜよ
ワキ そもや江口の遊女とは、それは去にしいにしへの
シテ いやいにしへとは御覽ぜよ、月は昔に變はらめや
ツレ女 我らもか樣に見え來るを、いにしへ人とは現なや
シテ よし/\何かと宣ふとも
ツレ いはじや聞かじ
シテ 六借や
二人 秋の水、漲り落ちて、去る舟の
シテ 月も影さす、棹の歌、
同 歌へや歌へ泡沫の、あはれ昔の戀しさを、今も遊女の舟遊び、世を渡る一節を、歌ひていざや遊ばん
 
地 夫十二因縁の流転は車の庭に廻るがごとしシテ 鳥の林に遊ぶに似たり
同 前生又前生
シテ かつて生々の前を知らず
地 来世猶来世、さらに世々の終りを辨ふる事なし
シテ 或ひは人中天上の善果をを受くといへども
同 顛倒迷妄して未解脱の種を植へず
シテ 或ひは三途八難の惡趣に堕して
同 患に碍へられて既に發心の媒を失ふ
シテ 然るに我ら偶々受けがたき人身を受けたりといへども
同 罪業深き身と生れ、殊に例少なき河竹の、流れの女となる、先の世の酬まで、思ひやるこそ悲しけれ
同 紅花の春の朝、紅錦繍の山、粧ひをなすと見えしも、夕べの風に誘はれ、黄葉の秋の夕、黄纐纈の林、色を含むといへども、朝の霜にうつろふ松風蘿月に、言葉を交はす賓客も、去って來る事なし、翠帳紅閨に、枕を並べし妹背も、いつの間にかは隔つらん、をよそ心なき草木、情けある人倫、いづれあはれを免るべき、かくは思ひ知りながら、
シテ ある時は色に染み、貪着の思ひ淺からず
同 又有ときは聲を聞き、愛執の心いと深き、心に思ひ口に言ふ、妄染の縁となる物を、實に皆人は、六塵の境に迷ひ、六根の罪を作る事も、見る事聞事に、迷ふ心なるべし。
 
地 面白や 【序の舞】
 
シテ 實相無漏の大海に、五塵六欲の風は吹かねども地 随縁眞如の浪の、立ぬ日もなし、立ぬ日もなし
シテ 波の立ち居も何故ぞ、假なる宿に
シテ 心留むる故
地 心留めずは、憂き世もあらじ
シテ 人をも慕はじ
地 待暮もなく
シテ 別れ路も嵐吹
地 花よ紅葉よ、月雪の古言も、あらよしなや
シテ 思へば假の宿
同 思へば假の宿に、心留むなと人をだに、諫めし我なり、是まで成や歸るとて、則普賢菩薩とあらはれた舟は百象となりつつ、光と共に白妙の、白雲にうち乗て、西の空に行給ふ、ありがたくぞ覺ゆる、有難くこそは覺ゆれ。

巻第十 羇旅歌 978 西行
天王寺へまうでけるに俄に雨の降りければ江口に宿を借りけるにかし侍らざりければよみ侍りける

世の中を厭ふまでこそ難からめ、假の宿りを惜しむ君かな

巻第十 羇旅歌 979 返し 遊女妙

世を厭ふ人とし聞けば假の宿に、心留むなと思ふ計ぞ 

謡曲 遊行柳

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遊行柳

                      三番目物 観世信光

新古今和歌集の夏歌 262 西行 と雑歌上 1448 菅原道真を主題とする。遊行上人が白河の関を越えて陸奥に入ると老人が現れ、遊行聖が通った古道と朽ち木の柳を案内すると申し出、柳の朽ち木を西行がここで休んで歌を詠んだと教える。上人から十念を受け取ると柳の塚に消えて行く。その夜念仏を唱えていると柳の精が現れ、十念により草木までも成仏出来たことを喜び、柳に纏わる故事を連ねる。やがて夜が明けると翁も柳の葉も消えて朽ち木だけが残った。

ワキ・ワキツレ 歸るさの知らぬ旅衣、歸るさの知らぬ旅衣、法に心や急ぐらむ
ワキ 是は諸國遊行の聖にて候、我一遍上人のを受け、遊行の利益を六十餘州に弘め、六十萬決定往生の御札を、普く衆生に與へ候、此程は上總國に候しが、是より奧へと心ざし候
ワキ・ワキツレ 秋津州の、國々巡る法の道、國々巡る法の道、迷はぬ月も光添ふ、心の奧を白河の、關路と聞けば秋風も、立つ夕霧のいづくにか、今宵は宿をかり衣、日も夕暮になりにけり、日も夕暮になりにけり
ワキ 急候程に、音に聞し、白河の關をも過ぎぬ、又これにあまた道の見えて候、廣き方へ行かばやと思ひ候

シテ老人 なふなふ遊行上人の御供の人に申べき事の候

ワキ 遊行の聖とは札の御所望にて候か、老足なりとも今少急ぎ給へ
老人 有難や御札をも給り候べし、先々年遊行の御下向の時も、古道とて昔の海道を御通り候ひし也、されば昔の道をえ申さむとて、はる/\是まで參りたり
ワキ 不思議や扨は先の遊行も、此道ならぬ古道を、通りしことのありしなふシテ老 昔は此道なくして、あれに見えたる一村の、森のこなたの河岸を、御通りありし海道なり、其上朽木の柳とて名木あり、かかる尊き上人の、御法の聲は草木までも、成佛の縁ある結縁たり
同 こなたいらせ給へとて、老たる馬にあらね共、道しるべ申なり、いそがせ給へ旅人。
同 さぞな所から、實さぞな所から、人跡絶て荒れ果つる、葎蓬生刈萱も、亂れ合ひたる淺茅生や、袖に朽ちにし秋の霜、露分け衣來てみれば、昔を殘す古塚に、朽木の柳枝寂びて、陰踏道は末もなく、風のみ渡る氣色かな、風のみ渡る氣色かな

シテ 是こそ昔の海道にて候へ、又是なる古塚の上なるこそ朽木の柳にて候能々御覽候へ
ワキ 扨は此塚の上なる名木の柳にて候ひけるぞや、實河岸も水絶て、川沿ひ柳朽殘る、老木はそれとも見え分かず、蔦葛のみ這ひ掛り、青苔梢を埋む有樣、まことに星霜年經りたり、扨いつの世よりの名木やらん、委しく語り給ふべし
老 昔の人の申置しは、鳥羽院の北面、佐藤兵衞則出家し、西行と聞えし歌人、此國に下り給ひしが、比は水無月半なるに、此川岸の木の本に、暫し立寄給ひつつ、一首を詠じ給ひしなり 
ワキ 謂を聞けば面白や、扨々西行上人の、詠歌はいづれの言の葉やらん
老 六時不斷の御勤めの、隙なき中にも此集をば、御覽けるか新古今に
同 道野邊に、水流るる柳陰、水流るる柳陰、暫しとてこそ立ち止まり、涼みとる言の葉の、末の世々までも殘る老木は懐かしや、かくて老人上人の、御十念を給はり、御前を立つと見えつるが、朽木の柳の古塚に、寄るかと見えて失にけり、寄るかと見えて失にけり

(中入り 問答・語・問答)

ワキ 不思議や扨は朽木の柳の、われに言葉を交はしけるよと
ワキ・ワキツレ 思ひの珠の數々に、思ひの珠の數々に、御法をなして稱名の、聲うち添ふる初夜の鐘、月も曇らぬ夜もすがら、露を片敷く袂哉、露を片敷く袂哉
シテ老 ※元水羅紋海燕回る、柳条恨みを牽いて荊臺に到る。
シテ いてづらに、朽木の柳時を得て
地 今ぞ御法に合ひ竹の
シテ 直に導く彌陀のへ
地 衆生稱念、必得往生の功力に引かれて、草木までも、佛果に到る、老木の柳、髪も亂るる、白髪の老人、忽然と顯れ、出たる烏帽子も、柳さびたる、有樣なり。

※注 さんずいに元で洞庭湖に注ぐ川の名前

ワキ 不思議やなさも古塚の草深き、朽木の柳の木の本より、其樣化したる
老人の烏帽子狩衣を着しつつ、顯れ給ふは不審なり
シテ 何をか不審し給ふらむ、はや我姿はあらはし衣の、日も夕暮の道しるべせし、其老人にて候なり
ワキ 扨は昔のしるべせし、人は朽木の柳の
シテ 御法のへなかりせば、無情無心の草木の、臺に至る事あらじ
ワキ 中々なれや一念十念
シテ ただ一聲の中に生るる
ワキ 彌陀のを
シテ 身に受けて
同 此界一人念佛名、西方便有一蓮生、但使一生常不退、此華還つて爰に迎ひ、上品上生に到らん事ぞ嬉しき

シテ 釋迦すでに滅し、彌勒いまだ生ぜず、彌陀の悲願を頼まずは、いかで佛果に到るべき

地 南無や灑濁歸命頂礼本願偽りましまさず、超世の悲願に身を任せて、他力の船に法の道。
シテ 即彼岸に到らん事、一葉の舟の力ならずや
同 彼黄帝の貨狄が心、聞くや秋吹風の音に、散來る柳の一葉の上に、蜘蛛の乗りてささがにの、絲引渡る姿より、巧み出だせる船の道、是も柳のならずや
シテ 其外玄宗花宮にも
同 宮前の楊柳寺前の花とて、詠め絶えせぬ、名木なり
地 そのかみ洛陽や、水寺のいにしへ、五色に見えし瀧波を、尋ね上りし水上に、金色の光さす、朽木の柳忽ちに、楊柳観音と顯れ、今に絶せぬ跡とめて、利生あらたなる、歩を運ぶ霊地也、されば都の花盛、大宮人の御遊にも、蹴鞠の庭の面、四本の木陰枝垂れて、暮に數ある沓の音
シテ 柳櫻をこきまぜて
同 錦を飾る諸人の、花やかなるや小簾の隙、洩り來る風の匂ひより、手飼の虎の引綱も、長き思ひに楢の葉の、その柏木の及なき、戀路もよしなしや、是は老たる柳色の、狩衣も風折も、風に漂ふ足のもとの、弱きもよしや老木の柳、気力もなふして弱々と、立舞ふも夢人を、現と見るぞはかなき

シテ へ嬉しき法の道

地 迷はぬ月に連れて行かむ。青柳に、鶯伝ふ、羽風の舞
地 柳華苑とぞ、思ほえにける

シテ 柳の曲も歌舞の菩薩の、舞の袂をかへす/\も、上人の御法を受け、喜ぶ。

シテ 報謝の舞も、是までなりと名殘の涙の
地 玉にも貫ける、春の柳の
シテ 暇申さむと、いふつけの鳥も啼き
地 別れの曲には
シテ 柳条を綰ぬ
地 手折は青柳の
シテ 姿もたをやかに
地 結ぶは老木の
シテ 枝もすくなく
同 今年ばかりの、風や厭はんと、漂ふ足もとも、よろ/\弱々と、倒れ伏し柳、假寝の床の、草の枕の、一夜の契りも、他生の縁ある、上人
の御法、西吹秋の、風うち拂ひ、露も木の葉も、散々に、露も木の葉も、散り/\に成りはてゝ、殘る朽木と、なりにけり

※今宵は宿をかり衣、日も夕暮になりにけり

巻第十 羇旅歌 952 攝政太政大臣歌合に羇中晩風といふことをよめる 藤原定家朝臣 

※葎蓬生刈萱も、亂れ合ひたる

巻第四 秋歌上 345 題しらず 坂上是則

※淺茅生や、袖に朽ちにし秋の霜

巻第十六 雑歌上 1562 寄風懷舊といふことを 左衛門督通光

※陰踏道  巻第一 春歌上 69 題しらず 大宰大弐高遠

※道野邊に、水流るる柳陰、水流るる柳陰、暫しとてこそ立ち止まり

巻第三 夏歌 262 西行 題しらず


歌論 無名抄 晴歌一見人事

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はれの哥は必人に見せあはすべき也。我心ひとつにてはあやまりあるべし。予そのかみ高松の女院の北面のきく合といふ事侍し時、戀哥に、

せきかぬるなみだの川の瀬をはやみくづれにけりな人目づヽみは

とよめりしを、いまだはれの哥などよみなれぬ程にて、勝命入道に見せ合侍しかば、
此哥大なる難あり。御門后のかくれ給をば崩ずといふ。其文字をばくづるとよむ也。いかでか院中にてよまむ哥に此言葉をばよむべき。
と申侍しかば、あらぬ哥を出してやみにき。其後女院程なくかくれおはしましにき。此哥いだしたらば、さとしとぞさたせられ侍らまし。

※高松院 姝子内親王 永治元年11月8日-安元2年6月13日 鳥羽天皇・美福門院皇女。二条天皇の中宮。

※北面の菊合 安元元年 高松院北面菊合

※勝命 しょうみょう1112~1187頃俗名は藤原親重。親賢の子。歌林苑の会衆の一人。

古今著聞集 神祇第一 二條宰相雅經賀茂社に日參して利生を蒙る事

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神祇第一
32 二條宰相雅經賀茂社に日參して利生を蒙る事

二條宰相雅經卿は、賀茂大明神の利生にて、成あがりたる人也。そのかみ世間あさましくたえ/”\しくて、はか/”\しく家などもたたざりければ、花山院の釣殿に宿して、それにより歩行にて、ふるにもてるにも只賀茂へまいるをもてつとめとしてけり。其比よみ侍ける。

世の中に數ならぬ身の友千鳥なきこそわたれかもの河原に

この歌、心の中ばかりに思つらねて、世にちらしたる事もなかりけるに、社司忘却其名 が夢に、大明神、
われは、なきこそわたれ數ならぬ身に、とよみたるものゝいとをしき也。たづねよ。
としめし給けり。それよりあまねく尋ければ、この雅經のよみたるなりけり。此示現きゝて、いか計彌信仰の心も深かりけん。
さて、次第に成あがりて、二位宰相までのぼり侍り。是併大明神の利生也。

十訓抄 九ノ七 近ごろ、鴨社の氏人に菊大夫長明といふものありけり

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九ノ七

近ごろ、鴨社の氏人に菊大夫長明といふものありけり。
和歌、管絃の道に、人に知られたりけり。社司を望みけるが、かなはざりければ、世を恨みて、出家してのち、同じくさきだちて、世を背きける人のもとへ、いひやりける。

いづくより人は入りけむ眞葛原秋風吹きし道よりぞ來し

深き恨みの心の闇は、しばしの迷ひなりけれど、この思ひをしもしるべにて、眞の道に入るといふこそ、生死、涅槃ところ同じく、煩悩、菩提一つなりけることわり、たがはざりとおぼゆれ。

この人、のちには大原に住みけり。方丈記とて假名にて書き置きけるものを見れば、はじめの詞に、

行く水の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず

とあるこそ、

世閲人而爲世 人苒々行暮 世は人を閲べて世を為す 人苒々として行き暮れぬ
河閲水而爲河 水滔々日度 河は水を閲べて河を為す 水滔々として日に渡る

といふ文を書けるよ、とおぼえて、いとあはれなれ。しかれども、かの庵にも、折琴、繼琵琶などをともなへり。念佛のひま/\には、絲竹のすさみを思ひ捨てざりけるこそ、數奇のほど、いとやさしけれ。
そのゝち、もとのごとく和歌所の寄人にて候べき由を、後鳥羽院より仰せられければ、

沈みにきいまさら和歌の浦波に寄らばや寄らむ海人の捨て舟

と申して、つひに籠り居て、やみにけり。
世をも人をも恨みけるほどならば、かくこそあらまほしけれ。

新古今和歌集に撰歌された万葉集

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新古今和歌集に撰歌された万葉集 62首

上段 新古今和歌集

下段 万葉集

 

8 第一 春歌上 題しらず よみ人知らず 風まぜに雪は降りつつしかすがに霞たなびき春は來にけり

10-1836 春雑歌 雪を詠む 風交 雪者零乍 然為蟹 霞田菜引 春去尓来

9 第一 春歌上 題しらず  よみ人知らず 時はいまは春になりぬとみ雪ふる遠き山べにかすみたなびく
8-1439 春雑歌 中臣朝臣武良治 時者今者 春尓成跡 三雪零 遠山辺尓 霞多奈婢久

11 第一 春歌上 題しらず  山部赤人 明日からは若菜摘まむとしめし野に昨日も今日も雪は降りつつ
8-1427 春雑歌 従明日者 春菜将採跡 標之野尓 昨日毛今日毛 雪波布利管

20 第一 春歌上 題しらず  中納言家持 まきもくの檜原のいまだくもらねば小松が原にあわ雪ぞ降る
10-2314 春雑歌 人麻呂歌集 巻向之 檜原毛未 雲居者 子松之末由 沫雪流

21 第一 春歌上 題しらず よみ人知らず 今さらに雪降らめやも陽炎のもゆる春日となりにしものを
10-1835 春雑歌 雪を詠む  今更 雪零目八方 蜻火之 燎留春部常 成西物乎

29 第一 春歌上 春歌とて 山部赤人 あづさゆみはる山近く家居して絶えずききつるうぐいすの聲
10-1829 春雑歌 鳥を詠む 読人不知 梓弓 春山近 家居之 続而聞良牟 鶯之声

30 第一 春歌上 春歌とて よみ人知らず 梅が枝に鳴きてうつろふ鶯のはね白たへにあわ雪ぞ降る
10-1840 春雑歌 雪を詠む 梅枝尓 鳴而移徙 鶯之 翼白妙尓 沫雪曽落

32 第一 春歌上 題しらず  志貴皇子 岩そそぐたるひの上のさ蕨の萌えいづる春になりにけるかな
8-1418 春雑歌 石激 垂見之上乃 佐和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨

104 第二 春歌下 題しらず 山部赤人 ももしきの大宮人はいとまあれ櫻かざして今日もくらしつ
10-1883 春雑歌 野に遊ぶ 読人不知 百礒城之 大宮人者 暇有也 梅乎挿頭而 此間集有

110 第二 春歌下 題しらず 山部赤人 春雨はいたくな降りそさくら花まだ見ぬ人に散らまくも惜し
10-1870 春雑歌 花を詠む 読人不知 春雨者 甚勿零 桜花 未見尓 散巻惜裳

151 第二 春歌下 曲水宴をよめる 中納言家持 からびとの舟を浮かべて遊ぶてふ今日ぞわがせこ花かづらせよ
19-4153   三月三日館の宴にて 漢人毛 筏浮而 遊云 今日曽我勢故 花縵世余

161 第二 春歌下 題しらず  厚見王 かはづなく神なび川に影見えていまや咲くらむ山吹の花
8-1435 春雑歌 河津鳴 甘南備河尓 陰所見 今香開良武 山振乃花

175 第三 夏歌 題しらず 持統天皇御歌 春過ぎて夏來にけらししろたへの衣ほすてふあまのかぐ山
1-28 雑歌 藤原宮御宇天皇代 春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山

193 第三 夏歌 題しらず よみ人知らず 五月山卯の花月夜ほととぎす聞けども飽かずまたなかむかも
10-1953 夏雑歌 鳥を詠む 五月山 宇能花月夜 霍公鳥 雖聞不飽 又鳴鴨

314 第四 秋歌上 題しらず 山部赤人 この夕べ降りくる雨は彦星のと渡るふねのかいのしづくか
10-2052 夏雑歌 七夕 読人不知 此夕 零来雨者 男星之 早滂船之 賀伊乃散鴨

333 第四 秋歌上 題しらず 柿本人麿 秋萩の咲き散る野邊の夕露に濡れつつ來ませ夜は更けぬとも
10-2252 秋相聞 露に寄せて 読人不知 秋芽子之 開散野辺之 暮露尓 沾乍来益 夜者深去鞆

334 第四 秋歌上 題しらず  中納言家持 さを鹿の朝立つ野邊の秋萩に玉と見るまで置けるしらつゆ
8-1598 秋雑歌 棹壮鹿之 朝立野辺乃 秋芽子尓 玉跡見左右 置有白露

346 第四 秋歌上 題しらず 柿本人麿 さを鹿のいる野のすすき初尾花いつしか妹が手枕にせむ
10-2277 秋相聞 花に寄せて 読人不知 左小壮鹿之 入野乃為酢寸 初尾花 何時加妹之 将手枕

454 第五 秋歌下 題しらず よみ人知らず 秋田守る假庵つくりわがをればころも手さむみ露ぞ置きくる
10-2174 秋雑歌 露を詠む 秋田苅 借廬乎作 吾居者 衣手寒 露置尓家留

457 第五 秋歌下 題しらず 中納言家持 今よりは秋風寒くなりぬべしいかでかひとり長き夜を寝む
3-462 挽歌 亡き妾を傷み悲みて 従今者 秋風寒 将吹焉 如何独 長夜乎将宿

459 第五 秋歌下 題しらず 柿本人麿 さを鹿のつまどふ山の岡べなる早稻田は刈らじ霜は置くとも
10-2220 秋雑歌 水田を詠む 読人不知 左小壮鹿之 妻喚山之 岳辺在 早田者不苅 霜者雖零

464 第五 秋歌下 題しらず 柿本人麿 秋されば置くしら露にわがやどの淺茅が上葉色づきにけり
10-2186 秋雑歌 黄葉を詠む  読人不知 秋去者 置白露尓 吾門乃 浅茅何浦葉 色付尓家里

497 第五 秋歌下 題しらず 柿本人麿 垣ほなる荻の葉そよぎ秋風の吹くなるなべに雁ぞ鳴くなる
10-2134 秋雑歌 鴈を詠む 読人不知 葦辺在 荻之葉左夜芸 秋風之 吹来苗丹 鴈鳴渡

498 第五 秋歌下 題しらず 柿本人麿 秋風に山飛び越ゆるかりがねのいや遠ざかり雲がくれつつ
10-2128 秋雑歌 鴈を詠む 読人不知 秋風尓 山跡部越 鴈鳴者 射矢遠放 雲隠筒

541 第五 秋歌下 題しらず 柿本人麿 飛鳥川もみぢ葉ながる葛城の山の秋かぜ吹きぞしくらし
10-2210 秋雑歌 黄葉を詠む 読人不知 明日香河 黄葉流 葛木 山之木葉者 今之落疑

582 第六 冬歌 題しらず 柿本人麿 時雨の雨まなくし降ればまきの葉も争ひかねて色づきにけり
10-2196 秋雑歌 黄葉を詠む 読人不知 四具礼能雨 無間之零者 真木葉毛 争不勝而 色付尓家里

641 第六 冬歌 題しらず 山部赤人 うばたまの夜のふけ行けば楸おふるき川原に千鳥鳴くなり
6-925 雑歌 吉野離宮に行幸して 烏玉之 夜乃深去者 久木生留 清河原尓 知鳥数鳴

654 第六 冬歌 題しらず 湯原王 吉野なるなつみの川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山かげにして
3-375 雑歌 吉野にて 吉野尓有 夏実之河乃 川余杼尓 鴨曽鳴成 山影尓之弖

657 第六 冬歌 題しらず 柿本人麿 矢田の野に淺茅色づくあらち山嶺のあわ雪寒くぞあるらし
10-2331 冬雑歌 黄葉を詠む 読人不知 八田乃野之 浅茅色付 有乳山 峯之沫雪 寒零良之

675 第六 冬歌 題しらず 山部赤人 田子の浦にうち出でて見れば白たへの富士の高嶺に雪は降りつつ
3-318 雑歌 富士山を望みて 田児之浦従 打出而見者 真白衣 不尽能高嶺尓 雪波零家留

708 第七 賀歌 題しらず よみ人知らず はつ春のはつねの今日の玉菷手にとるからにゆらぐ玉の緒
20-4493   正月3日王臣らを召して、宴を催し、仲麻呂を介して歌を作り詩を賦せと仰せになって 大伴家持 始春乃 波都祢乃家布能 多麻婆波伎 手尓等流可良尓 由良久多麻能乎

849 第八 哀傷歌 奈良御門ををさめ奉りけるを見て 柿本人麿 久方のあめにしをるる君ゆゑに月日も知らで戀ひわたるらむ
2-200 挽歌 高市皇子尊の城上の殯宮の時 久堅之 天所知流 君故尓 日月毛不知 恋渡鴨

896 第十 羇旅歌 和銅三年三月藤原の宮より奈良の宮に遷り給ひける時  元明天皇御歌 飛ぶ鳥の飛鳥の里をおきていなば君が邊は見えずかもあらむ
1-78 雑歌 飛鳥 明日香能里乎 置而伊奈婆 君之当者 不所見香聞安良武

897 第十 羇旅歌 天平十二年十月伊勢の國に行幸し給ひける時  聖武天皇御歌 いもにこひわかの松原見わたせば汐干のかたにたづ鳴き渡る
6-1030 雑歌 藤原広嗣の謀反に軍を発して伊勢国の河口で 妹尓恋 吾乃松原 見渡者 潮干乃滷尓 多頭鳴渡

898 第十 羇旅歌 唐土にてよみ侍りける 山上憶良 いざこどもはや日の本へ大伴の御津の濱松待ち戀ひぬらめ
1-63 雑歌 大唐に在る時、本郷を憶って 去来子等 早日本辺 大伴乃 御津乃浜松 待恋奴良武

899 第十 羇旅歌 題しらず 柿本人麿 あまざかる鄙のなが路を漕ぎくれば明石のとよりやまと島見ゆ
3-255 雑歌 羈旅の歌 天離 夷之長道従 恋来者 自明門 倭嶋所見

900 第十 羇旅歌 題しらず 柿本人麿 ささの葉はみ山もそよに亂るなりわれは妹思ふ別れ來ぬれば
2-133 相聞 岩見国より妻と別れて上った時に  小竹之葉者 三山毛清尓 乱友  吾者妹思 別来礼婆

901 第十 羇旅歌 帥の任はてて筑紫より上り侍りけるに 大納言旅人 ここにありて筑紫やいづこ白雲の棚びく山の西にあるらし
4-574 相聞 (筑紫の沙弥満誓が歌を贈り、それに和して) 比間在而 筑紫也何処 白雲乃 棚引山之 方西有良思

902 第十 羇旅歌 題しらず よみ人知らず 朝霧に濡れにし衣ほさずしてひとりや君が山路越ゆらむ
9-1666 雑歌 斉明天皇が紀伊の国に行幸した時  朝霧尓 沾尓之衣 不干而 一哉君之 山道将越

910 第十 羇旅歌 題しらず よみ人知らず しなが鳥猪名野を行けば有馬山ゆふ霧立ちぬ宿はなくして
7-1140 雑歌 摂津で 志長鳥 居名野乎来者 有間山 夕霧立 宿者無而

911 第十 羇旅歌 題しらず よみ人知らず 神風の伊勢の濱荻をりふせてたび寝やすらむあらき濱邊に
4-500 相聞 伊勢国へ往った時、留守の妻が 碁檀越の妻 神風之 伊勢乃浜荻 折伏 客宿也将為 荒浜辺尓

992 第十一 戀歌一 題しらず  柿本人麿 あしびきの山田守る庵に置くかびの下焦れつつわが戀ふらくは
11-2649 寄物陳思 読人不知 足日木之 山田守翁 置蚊火之 下粉枯耳 余恋居久

993 第十一 戀歌一 題しらず 柿本人麿 石の上布留のわさ田のほには出でず心のうちに戀ひや渡らむ
9-1768 相聞 筑紫に任じられた時、豊前国の娘子の紐児を娶って 抜気大首 石上 振乃早田乃 穂尓波不出 心中尓 恋流比日

1025 第十一 戀歌一 題しらず  中納言家持 秋萩の枝もとををに置く露の今朝消えぬとも色に出でめや
8-1595 秋雑歌 大伴宿祢像見 秋芽子乃 枝毛十毛二 降露乃 消者雖消 色出目八方

1050 第十一 戀歌一 題しらず  柿本人麿 み狩する狩場の小野のなら柴の馴れはまさらで戀ぞまされる
12-3048 寄物陳思 読人不知 御狩為 鴈羽之小野之 櫟柴之 奈礼波不益 恋社益

1208 第十三 戀歌三 題しらず  柿本人麿 衣手に山おろし吹き寒き夜を君來まさずは獨かも寝む
13-3282 相聞 読人不知 衣袖丹 山下吹而 寒夜乎 君不来者 独鴨寐

1358 第十五 戀歌五 題しらず  よみ人知らず 妹が袖わかれし日より白たへのころもかたしき戀ひつつぞ寝る
11-2608 正述心緒 妹之袖 別之日従 白細乃 衣片敷 恋管曽寐留

1368 第十五 戀歌五 題しらず  よみ人知らず 君があたり見つつを居らむ伊駒山雲なかくしそ雨は降るとも
12-3032 寄物陳思 君之当 見乍母将居 伊駒山 雲莫蒙 雨者雖零

1373 第十五 戀歌五 題しらず  柿本人麿 夏野行くをじかの角のつかのまもわすれず思へ妹がこころを
4-502 相聞 夏野去 小壮鹿之角乃 束間毛 妹之心乎 忘而念哉

1374 第十五 戀歌五 題しらず 柿本人麿 夏草の露わけごろも着もせぬになどわが袖のかわくときなき
10-1994 夏相聞 露に寄せて 読人不知 夏草乃 露別衣 不著尓 我衣手乃 干時毛名寸

1377 第十五 戀歌五 中納言家持に遣はしける  山口女王 あしべより滿ち來る汐のいやましに思ふか君が忘れかねつる
4-617 相聞 従蘆辺 満来塩乃 弥益荷 念歟君之 忘金鶴

1426 第十五 戀歌五 題しらず  よみ人知らず わがよはひ衰へゆけば白たへの袖の馴れにし君をしぞおもふ
12-2952 正述心緒 吾齢之 衰去者 白細布之 袖乃狎尓思 君乎母淮其念

1427 第十五 戀歌五 題しらず  よみ人知らず 今よりは逢はじとすれや白たへのわがころも手の乾く時なき
12-2954 正述心緒 従今者 不相跡為也 白妙之 我衣袖之 干時毛奈吉

1428 第十五 戀歌五 題しらず よみ人知らず 玉くしげあけまく惜しきあたら世を衣手かれて獨かも寝む
9-1693 雑歌 紀伊国で作った 玉匣 開巻惜 悋夜矣 袖可礼而 一鴨将寐

1430 第十五 戀歌五 題しらず よみ人知らず 秋の田の穂むけの風のかたよりにわれは物思ふつれなきものを
10-2247 秋相聞 水田に寄せて 秋田之 穂向之所依 方縁 吾者物念 都礼無物乎

1586 第十七 雜歌中 朱鳥五年九月紀伊國に行幸の時  河嶋皇子 白波の濱松が枝のたむけぐさ幾世までにか年の經ぬらむ
1-34 雑歌 川島皇子 白浪乃 浜松之枝乃 手向草 幾代左右二賀 年乃経去良武

1587 第十七 雜歌中 題しらず 式部卿宇合 山城の岩田の小野のははそ原見つつや君が山路越ゆらむ
9-1730 雑歌   山品之 石田乃小野之 母蘇原 見乍哉公之 山道越良武

1590 第十七 雜歌中 題しらず  よみ人知らず しかの蜑の鹽燒く煙風をいたみ立ちはのぼらで山にたなびく
7-1246 雑歌 之加乃白水郎之 焼塩煙 風乎疾 立者不上 山尓軽引

1648 第十七 雜歌中 題しらず 柿本人麿 もののふの八十うぢ川の網代木にいさよふ波の行方知らずも
3-264 雑歌 近江国より上りて、宇治川辺に至りし時 物乃部能 八十氏河乃 阿白木尓 不知代経浪乃 去辺白不母

1686 第十七 雜歌中 題しらず 柿本人麿 秋されば狩人越ゆる立田山たちても居てもものをしぞ思ふ
10-2294 秋相聞 山に寄せて  読人不知 秋去者 鴈飛越 竜田山 立而毛居而毛 君乎思曽念

1700 第十八 雜歌下 題しらず  よみ人知らず さざなみや比良山風の海吹けば釣するあまの袖かへる見ゆ
9-1715 雑歌 槐本の歌 楽浪之 平山風之 海吹者 釣為海人之 袂変所見

162b 第二 春歌下 題しらず  山部赤人 戀しくばかたみにせよとわがやどにうゑし藤なみ今さかりなり
8-1471 夏雑歌 恋之家婆 形見尓将為跡 吾屋戸尓 殖之藤浪 今開尓家里

新古今和歌集 春歌上 雪の玉水

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第一 春歌上

百首歌たてまつりし時春の歌   式子内親王


山ふかみ


 春とも知らぬ松の戸に


    たえだえ


      かかる


    雪の玉水



読み:やまふかみはるともしらぬまつのとにたえだえかかるゆきのたまみず隠


意訳:深い山奥で春などの気配も見えないが、春が来るのを待っている松の戸(粗末な家の門)にぽつりぽつりと落ちる雪どけの水(が春が来たことを教えてくれている。)


作者:しきしないしんのう1149~1201しょくしないしんわうとも。後白河上皇の皇女、賀茂神社の斎院。藤原俊成に和歌を学ぶ。忍恋の情熱的な秀歌が多い。


備考:正治二年後鳥羽院初度御百首歌、女房三十六人歌合、新三十六人歌合 定家十体 美濃の家苞 常縁原撰本新古今和歌集聞書 新古今和歌集抄出聞書(陽明文庫) 新古今集聞書(牧野文庫本)


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