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賀歌 子の日の松

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新古今和歌集 巻第七賀歌

 永保四年内裏
 子日に

    大納言經信

ねのひするみかきの

  うちのこまつはら

 千代をはほかの

   ものとやはみる

 

歌:子の日する御垣の内の小松ばら千代をば外の物とやは見る
読み:ねのひするみがきのうちのこまつばらちよをばほかのものとやはみる
意味:子の日の行事を行う宮中の小松の原の千年の年を数える松も、万代の天皇の御代に比べれば少ない日数です。
作者:源経信1016-1097帥大納言。桂大納言、源都督と称された。詩、歌、管弦に優れた。
備考:新古今注、十代集抄

 


○文政八乙酉二月
文政八年(乙酉) グレゴリオ暦 1825年

○鷹司殿諸大夫小林筑前守
小林 良典(文化5年(1808年) - 安政6年(1859年))。幕末の地下人。小林元次男、母は小森頼望女叙子。
尊皇の志篤く、青蓮院宮尊融法親王や近衛忠熙、三条実万らと交流する一方で、日下部伊三治・橋本左内ら志士たちとも接点を持ち国事に奔走した。将軍継嗣問題や水戸藩への密勅降下では主家鷹司政通を説いて攘夷派の重鎮へと転換させた。また一橋派に属して政通・輔煕父子を補佐する。しかし安政五年(1858年)安政の大獄に連座して江戸に捕えられる。翌安政6年水戸・福井藩を密勅降下のために入京させたとして遠島刑となる。後に肥後人吉藩預かりに減刑されるも、江戸に獄中で病没した。


○近衛
近衛 忠煕(文化5年(1808年) - 明治31年(1898年))公武合体派として活動した。翠山と号す。
経歴
安政4年(1857年)左大臣となるが、将軍継嗣問題で一橋派に属し、戊午の密勅のために献策したため、安政の大獄により失脚し、落飾謹慎する。
文久2年(1862年)に復帰して関白内覧を務めるが、翌年関白職を辞す。
官歴
文化13年(1816年)元服し、従五位上に叙位。左近衛権少将、左近衛権中将。
文化14年(1817年)従三位に昇叙、権中納言に転任、左近衛権中将は元の如し。
文政2年(1819年)8月17日、権大納言。
文政4年(1821年)8月11日、正三位に昇叙。
文政6年(1823年)3月16日、従二位に昇叙。
文政7年(1824年)左近衛大将を兼任、左馬寮御監を兼帯。正二位に昇叙。
6月28日、内大臣に転任、左近衛大将・左馬寮御監は元の如し。
天保5年(1834年)従一位に昇叙、内大臣・左近衛大将・左馬寮御監は元の如し。
9月22日、左近衛大将・左馬寮御監を辞す。


○増田周造
不明

平成27年7月15日 肆點壱  


恋歌三 宮内卿 聞くやいかに

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新古今和歌集 巻第十三恋歌三
 水無瀬にて恋十五首歌合に寄風恋
            宮内卿


   まつに

あり  をとする

  とは ならひ

きくやいかにうは
       の
  そらなる

    風たにも

歌:聞くやいかにうはの空なる風だにもまつに音する習ありとは
読み:きくやいかにうはのそらなるかぜだにもまつにおとするならいありとは
意味:お聞きですか?上空を吹く風さえも、松に音を立てる習性があるのに。私はうわのそらで、来ない貴方が訪れるのを待っているのですよ。
作者:?ー1205?源師光女、後鳥羽院女房。
備考:水無瀬恋十五首歌合。新三十六人歌合、女房三十六人歌合、定家十体、美濃、新古今和歌集抜抄、新古今抜書抄、新古今和歌集抄出聞書

平成27年7月19日 貮點壱

恋歌一 沼に寄せる恋 伝正般筆コレクション

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新古今和歌集 巻第十一恋歌一

          中納言ともたヽ

人つてにしらせてしかなかくれぬの

  みこもりにのみ恋やわたらむ

   女につかはしける

          たかとを

みこもりのぬまのいはかきつヽめとも

  いかなるひまにぬるヽたもとそ

          けんとくこう

から衣そてに人めはつヽめとも

  こほるヽものはなみたなり
               けり

          きんたう

あまつそらとよのあかりにみし人の

  なほおもかけのしひて恋しき

あらたまのとしにまかせてみるよりは

  われこそこえめあふさかのせき

天暦御時歌合に             中納言朝忠

人傳に知らせてしがな隱沼のみごもりにのみ戀ひや渡らむ

読み:ひとづてにしらせてしがなかくれぬのみごもりにのみこいやわたらむ 隠

意味:人を介しても私の秘めた思いを伝えたいものだ。一面草に覆われている沼の水の中に隠れているような恋がこのまま続くのだろうか。

作者:藤原朝忠ふじわらのあさただ910~966定方の子。土御門中納言と号する。多彩な恋愛相聞歌、晴の歌を残す。三十六歌仙の一人。

備考:天暦御時歌合 八代抄、新古今注


初めて女に遣はしける            大宰大貳高遠

みごもりの沼の岩垣つつめどもいかなるひまに濡るる袂ぞ

読み:みごもりのぬまのいわがきつつめどもいかなるひまにぬるるたもとぞ 隠

意味:水の中にある沼を包んでいる岩垣のように、面には出ないで貴女への思いを包み隠しているのに、どうしてその間から水が漏れる様につい私の袂が涙で濡れてしまうのでしょうか

作者:藤原高遠ふじわらのたかとお949~1013?斉敏の子。中古三十六歌仙の一人。笛の名手。

備考:新古今注


いかなる折にかありけむ女に        謙徳公

から衣袖にひとめはつつめどもこぼるるものは涙なりけり

読み:からころもそでにひとめはつつめどもこぼるるものはなみだなりけり 隠

意味:衣の袖に私の恋心は、人目につかない隠していますが、隠しきれないものは貴女を思って流す涙なのですよ

作者:藤原伊尹ふじわらのこれただ924~972これまさとも。師輔の子。摂政太政大臣で一条摂政とも呼ばれた。撰和歌所別当となり後撰和歌集に関与。 

備考:八代抄

 

 

左大將朝光五節舞姫奉りけるかしづきを見て遣はしける

                         前大納言公任

天つ空豐のあかりに見し人のなほおもかげのしひて戀しき

読み:あまつそらとよのあかりにみしひとのなおおもかげのしいてこいしき 隠

意味:豊明節の五節の舞に付き添われた貴女を見て、その面影が今なおどうしようもなく恋しく思われます

作者:藤原公任ふじわらのきんとう966~1041実頼の孫。正二位権大納言通称四条大納言。四納言の一人。三十六歌仙を撰んだ。和漢朗詠集などの撰者。

備考:八代抄、新古今注、宗長秘歌抄


つれなく侍りける女に師走つごもりに遣はしける

                         謙徳公

あら玉の年にまかせて見るよりはわれこそ越えめ逢坂のせき

読み:あらたまのとしにまかせてみるよりはわれこそこえめおうさかのせき 隠

意味:年月の流れに任せて、貴女にお逢いできるのを待つよりも、私があの逢坂の関を越えるように、障害を乗り越えて逢いに行きます

作者:藤原伊尹ふじわらのこれただ924~972これまさとも。師輔の子。摂政太政大臣で一条摂政とも呼ばれた。撰和歌所別当となり後撰和歌集に関与。

備考:本哥 待つ人は来ぬと聞けどもあらたまの年のみ越ゆる逢坂の関(後撰集雑歌四)。一条摂政集では第四句は「我こそこさめ」。歌枕名寄

正般(しょうはん 永享五年1433-?)室町-戦国時代の歌人。 正徹、その弟子正広に学ぶ。正徹二十五回忌和歌を勧進。文亀元年(1501)「山何百韻」に出座したときに69歳という。号は招月庵。

肆點陸

恋歌一 わきて流るる泉川

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新古今和歌集 巻第十一恋歌一

 題しらず     中納言兼輔

みかの原わきて

     流るる

  いづみ河

いつ見きとてか

    恋し

    かるらむ


読み:みかのはらわきてながるるいづみがわいつみきとてかこいしかるらむ 隠

意味:みかの原から涌き出て泉川になるように、いつ貴女を見てこんなに恋しく思うようになったのでしょうか。

作者:藤原兼輔ふじわらのかねすけ877~933三十六歌仙の一人。従三位中納言兼右衛門督。加茂川の近くに家があったので、堤中納言とも呼ばれる。

備考:百人一首、古今和歌六帖。歌枕 瓶原(〈甕原〉〈三日原〉〈三香原〉)、泉川

時代不同歌合、八代抄、歌枕名寄、 俊成三十六人歌合、常縁原撰本新古今和歌集聞書、新古今和歌集抄出聞書(陽明文庫) 

冬歌 俊成またも今年に 常尊筆コレクション

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新古今和歌集 巻第六冬歌

千五百番歌合に        皇太后宮大夫俊成



今日ことにけふや

かきりとおしめ

ともまたもこと

  しにあひに

     けるか
       な

歌:今日ごとに今日や限と惜しめども又も今年に逢ひにけるかな

読み:きょうごとにきょうやかぎりとおしめどもまたもことしにあいにけるかな 隠

意味:八十八歳となり、毎年の大晦日ごとに、今年限りの大晦日だと惜しんできたが、また1年の最後の日を迎えてしまった。

作者;藤原俊成ふじわらのとしなり1114~1204しゅんぜいとも。法号は釈阿。千載和歌集の撰者で定家の父。

備考:千五百番歌合、美濃の家づと



円滿院殿常尊
(慶長9年(1604年)頃ー寛文11年(1671年))。天台宗の僧。円満院三十三世門跡。足利義昭の孫、足利義尋の子。大僧正・寺長吏・法務護持僧。幼少より円満院に入り同院を再興する。明正天皇の護持僧。

古筆了榮(慶長12年(1607年)-延宝6年(1678年))江戸時代前期の古筆鑑定家。古筆了佐の4男。古筆宗家2代。姓は平沢、名は定門、通称は源五郎、三郎衛門。

壬子寛文12年(1672年)

平成27年7月19日 伍点貳伍

愚管抄 平重衡、大納言佐の別れ

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愚管抄巻第五
大津ヨリ醍醐トヲリ、ヒツ川へイデヽ、宇治橋ワタリテ奈良ヘユキケルニ、重衡ハ、邦綱ガヲトムスメニ大納言スケトテ、高倉院ニ侯シガ安徳天皇ノ御メノトナリシニムコトリタルガ、アネノ大夫三位ガ日野ト醍醐トノアハイニ家ツクリテ有リシニ、アイグシテ居タリケル。コノモトノ妻ノモトニ便路ヲヨロコビテヲリテ、只今死ナンズル身ニテ、ナク/\小袖キカヘナドシテ、スギケルヲバ、頼兼モユルシテキセサセケリ。

夏歌上 夏越の御祓

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新古今和歌集 巻第三 夏歌

 延喜御時月次屏風に    紀貫之

    みそぎ

   する河

  の瀬見

 れば唐衣ひも

ゆふぐれに波ぞたちける

 

読み:みそぎするかわのせみればからころもひもゆうぐれになみぞたちける 隠

意味:夏越しの禊ぎを終えた川の瀬を見ると、解いていた夕暮れの紅のような御贖(みあがも)の衣の紐を結び、日も夕暮れとなって罪穢れを乗せた波が流れて行きます。

作者:きのつらゆき866~945?三十六歌仙。土佐守の時土佐日記を著す。古今和歌集の撰者。古今の秀歌の新撰和歌集も撰んだ。

備考:延喜六年月次屏風歌。題は水無月祓。古今六帖。「紐」と「日も」の掛詞。新古今和歌集抄出聞書(陽明文庫) 

鴨川

夏歌 ひぐらしの声

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新古今和歌集 第三 夏歌

 百首の歌中に          式子内親王

ゆふだちの

      雲も

  とまらぬ

夏の日の

 かた

   ぶく

    山に日ぐらしの聲

読み:ゆうだちのくももとまらぬなつのひのかたぶくやまにひぐらしのこえ 隠

意味:夕立を降らせた雲がどこかに消え、夏の太陽が傾いた西の山にひぐらしの声が響いています。

作者:しきしないしんのう1149~1201しょくしないしんわうとも。後白河上皇の皇女、賀茂神社の斎院。藤原俊成に和歌を学ぶ。忍恋の情熱的な秀歌が多い。

備考:出典未詳。美濃の家づと、九代抄、九代集抄

琵琶湖疏水


吾妻鏡 元暦大地震

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吾妻鏡 第四 元暦二年七月十九日
庚子地震良久京都去九日午尅大地震。得寿院、蓮花王院、最勝光院以下仏閣、或顛倒、或破損又閑院御殿棟折釜殿以下登屋々少々顛倒古文之所推其慎不軽云云。而源延尉六条室町亭云門垣云家屋牙○類傾云云。可謂不思議歟。漢書曰杜叙云日食地震陽微陰盛也。

南都八景屏風

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梅小路三位共方
1686 従三位
1705 従二位

万里小路大納言淳房
1686-1691 権大納言
1709 歿

冷泉中将為綱
1722 歿

屏風製作年
貞享3年(1686)-宝永(1704)

雲のみね

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雲の峰

どちから見ても
     雲の峰

素稿

俳句を知らない人が見たら、大笑いしてしまうほどの句である。

俳諧味を学ぶ良い題材かも知れない。

リフレインが、雲の峰の高さ、大きさを強調して、その暑さ、蝉のうるささまで聞こえて来る。

 

拙句

雲の峰下行く人を冷しけり

37℃の猛暑お見舞い申し上げます。

男なら

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おとこ
  なら

ひとり呑むほど

 しみづ哉

俳諧松の声 1771年


この句は、酒のキャッチコピーでも酒飲みの俳句でもないれっきとした千代女の俳句である。

しかし、どう読んでも酒飲みの私には、酒飲みの俳句に見える。

ギンギンに冷やしたコップに氷を入れ酒を注ぎ、一人酒を楽しむ事としよう。

拙句
柳蔭垂れてる糸は動かずに
(季語:清水)

昔長等の山桜哉

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○写真 長等神社歌碑

千載和歌集 巻第一 春歌上
故郷花といへる心をよみはべりける
           よみ人しらず
さざ波や志賀のみやこは荒れにしをむかしながらの山ざくらかな

○写真 長等公園歌碑

忠度集 為業歌合に故郷花を

○写真 近江大津宮錦織遺跡歌碑

本歌 
万葉集 巻第一
  近江の荒れたる都を過ぎし時、柿本人麻呂朝臣の作れる歌
玉襷畝火の山の橿原の日知の御代ゆ 生れましし神のことごと樛の木のいやつぎつぎに天の下しろしめししを天みつ大和を置きてあをによし奈良山を越えいかさまに念ほしめせか天離る鄙にはあれど石走る近江の国の楽浪の大津の宮に天の下知らしめしけむ天皇の神の尊の大宮はここと聞けども大殿はここと言へども春草の繁く生ひたる霞立つ春日の霧れるももしきの大宮処見れば悲しも
   反歌
楽浪の志賀の唐崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ 
楽浪の志賀の大わだ淀むとも昔の人にまたも逢はめやも
近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへおもほゆ

さざ波や志賀の都は荒れにしをまだすむものは秋の夜の月(久安五年右衛門督家歌合 藤原清輔)
○写真 長等公園歌碑

延慶本  巻第七 廿九さつまのかみみちよりかへりてしゆんぜいのきやうにあひたまふこと
そのなかにやさしくあはれなりし事は、さつまのかみただのりはたうせいずいぶんのかうしなり。そのころ、くわうだいこうくうのだいぶしゆんぜいのきやう、ちよくをうけたまはりてぜんざいしふえらばるる事ありき。既にぎやうがうのおんともにうちいでられたりけるが、のりがへいつきばかりぐして、よつづかより帰て、かのしゆんぜいのきやうのごでうきやうごくのしゆくしよの前にひかへて、かどたたかせければ、内より「いかなる人ぞ」ととふ。「さつまのかみただのり」となのりければ、「さてはおちうとにこそ」とききて、世のつつましさにへんじもせられず、かどもあけざりけれ
ば、そのとき忠度、「べちのことにては候わず。このほどひやくしゆをしてさうらふを、げんざんにいらずして、ぐわいとへまかりいでむ事のくちをしさに、持て参て候。なにかはくるしく候べき。たちながらげんざんしさうらはばや」と云ければ、三位あわれとおぼして、わななくわななくいであひ給へり。「世しづまりさうらひなば、さだめてちよくせんのこうをはりさうらわむずらむ。身こそかかる有様にまかりなりさうらふとも、なからむあとまでも、このみちに名をかけむ事、しやうぜんのめんぼくたるべし。しふせんじふの中に、このまきものの内にさるべきくさうらはば、おぼしめしいだして、いつしゆいれられさうらひなむや。かつうは又念仏をもおんとぶらひさうらふべし」
とて、よろひのひきあはせより百首のまきものをとりいだして、かどより内へなげいれて、
「忠度今はさいかいの浪にしづむとも、このよにおもひおくことさうらわず。さらばいらせ給へ」とて、涙をのごいてかへりにけり。
しゆんぜいのきやうかんるいををさへて内へかへりいりて、ともしびのもとにてかのまきものを見られければ、しうかどもの中に、「こきやうの花」といふだいを。
さざなみやしがのみやこはあれにしをむかしながらの山ざくらかな
「しのぶこひ」に。
いかにせむみやぎがはらにつむせりのねのみなけどもしる人のなき
そののちいくほどもなくて世しづまりにけり。かのしふをそうせられけるに、ただのりこのみちにすきて、道よりかへりたりしこころざしあさからず。ただしちよくかんの人の名を入るる事、はばかりある事なればとて、このにしゆを「よみびとしらず」とぞいれられける。さこそかわりゆくよにてあらめ、てんじやうびとなむどのよまれたる歌を、「読人しらず」といれられけるこそくちをしけれ。

○写真 大津京シンボル緑地歌碑

源平盛衰記巻第三十二
第三十二 落行人々歌付忠度自淀帰謁俊成事
中にもやさしき事と聞えしは、薩摩守忠度と申は入道の舎弟也。淀の河尻まで下たりけるが、郎等六騎相具して、忍て都へ帰上る。如法夜半の事なるに、五条三位俊成卿の宿所に行て門を扣く。内には是を聞けれ共、懸る乱の世なる上、いぶせき夜半の事なれば、敲共々々開ざりけり。余に強く敲ければ、良久有て青侍を出、戸をひらかせて是を問。忠度と申者、見参に申入度事ありて参たりと答ければ、三位大庭に下、世に恐て内へは入ざりけれ共、門をば細目に開て対面あり。忠度宣けるは、懸身として御ため憚あれ共、所詮一門栄花尽て都に不安堵、西海へ落下侍、亡ん事疑なし、世静て後、定て勅撰の沙汰候はんか、縦身は八重の塩路の底に沈とも、藻塩草書置末の言葉、後の世までも朽ぬ形見に伝はり侍れかしと思出て、河尻より忍上て侍、是ぞ年比読集たりし愚詠共にて侍る、身と共に波の下にみくづとなさん事遺恨に侍り、是を砌下に進置候、勅撰之時は必思召出よとて、巻物一巻、泣々鎧の引合より取出たり。三位感涙を流し、是を請取、御詠一巻預置候畢、是永代秀逸の御形見、未来歌仙の為指南歟、此怱劇之中に御音信に預事、恐悦不少候哉、縦浮生を万里の波に隔とも、御形見をば一戸の窓に納て、勅撰の時は思出侍べしと宣へば、忠度今は身を波の底に沈め、骨を山野に曝とも思事なしとて馬にのり、古詩を、
 前途程遠馳思於雁山之暮雲
 後会期無霑纓於鴻臚之暁涙
と打上々々詠じつゝ、南を指てぞ落行ける。本文には、後会期遥也と書たるを、忠度還見るべき旅ならず、今を限の別也と思ければ、後会期無と詠じけるこそ哀なれ。三位も遺の惜して、遥に是を見送ても、あはれ世に在しには、此人共にこそ諂追従せしに、替習とて、今は門を隔る事の悲さよと、哀なるにも涙、優なるにも涙、忍の袖をぞ絞られける。
代静て後千載集を撰れけるに、忠度の此道を嗜、河尻より上たりし志を思出給て、故郷の花と云題に、読人しらずとて一首被入たり。
  さゞ浪や志賀の都は荒にしを昔ながらの山桜かな
とよめる歌也。名字をも顕し、あまたも入まほしかりけれ共、朝敵となれる人の態なれば憚給て、只一首ぞ被入ける。亡魂いかに嬉く思けん、哀にやさしくぞ聞えし。

○写真 園城寺桜

歌論 無名抄 関の清水の事

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ある人のいはく、
逢坂の関の清水といふは走井と同じ水ぞとなベて人知り侍めり。しかにはあらず、清水は別の所にあり。今は水もなければ、そことしれる人だになし。三井寺に圓寳坊の阿閣梨といふ老僧、たゞひとり其所を知れり。かゝれど、さる事やしりたるとたづぬる人もなし。我しなん後は知る人もなくてやみぬベき事と、人にあひて語りける由傳聞てかのあざり、知れる人の文を取て建暦の始の年、十月廿日余りの頃、三井寺に行く。阿闇梨対面して、かやうに古き事を聞まほしくする人もかたく侍めるを珍らしくなん。いかでしるべ仕らざらんとて、伴ひて行く。関寺よりにしへ二三丁ばかり行きて道より北のつらに少し立上れる所に一丈許なる石の塔あり。その塔の東へ三段ばかり到りて、窪める所は即ち昔の関の清水の跡なり道より三段ばかりや入りたらん。今は小家の後になりて当時は水もなくて、見どころもなけれど、昔の名残、面影に浮かびていうになん覺え侍し。阿閣梨語りて曰く、此の清水に向ひて水より北にうす檜はだ葺たる家近くまで侍りけり。誰のすみ家とはしらねど、いかにも唯人の井所にはあらざりけるなめりとぞ語り侍し。

羈旅歌 旅の夜風 筆者不明コレクション

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新古今和歌集 巻第十羈旅歌

天王寺に参りけるに難波の浦にとまりてよみ侍りける   肥後

さよふけてあしのすゑこすうらかぜに


あはれうちそふなみのおとかな

旅哥とてよみ侍りける

           大納言經信

旅ねしてあかつき方の鹿の音に

いな葉をしなひあき風ぞふく

           惠慶法師

わぎもこがたびねの衣うすきほと

よきてふかなむよはのやまかぜ

後冷泉院の御時うへのをのこども

旅の哥よみ侍りけるに 左近中將隆綱

 

歌:さ夜ふけて葦のすゑ越す浦風にあはれうちそふ波の音かな

読み:さよふけてあしのすえこすうらかぜにあわれうちそうなみのおとかな 隠

作者:ひご平安後期の女流歌人。藤原定成の娘、藤原実宗の妻。白河天皇皇女に仕えた。

歌:旅寝してあかつきがたの鹿のねに稻葉おしなみ秋風ぞ吹く

読み:たびねしてあかつきがたのしかのねにいなばおしなみあきかぜぞふく 隠

作者:源経信みなもとのつねのぶ1016~1097帥大納言、桂大納言、源都督と称された。詩、歌、管弦に優れた。 

意味:旅寝した暁方には、鹿の音に混じって稲葉を靡かせて秋風が吹く音が聞こえる

歌:わぎも子が旅寝の衣薄きほどよきて吹かなむ夜半の山かぜ

読み:わぎもこがたびねのころもうすきほどよきてふかなむよわのやまかぜ 隠

作者:えぎょう平安中期の僧えけいとも中古三十六歌仙の一人。播磨講師とも。河原院に出入りしていた。

備考:八代抄

 作者:源隆綱みなもとのたかつな1043~1074隆国の子。正三位參議中将。

平成27年8月7日 壱點九貮


秋歌上 伏見山の初秋

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新古今和歌集 巻第四秋歌上

 百首歌奉りし時

      皇太后宮大夫俊成

伏見山

  松のかげより

みわたせば

  あくる
  たのも

    に秋風ぞ
        吹く

読み:ふしみやままつのかげよりみわたせばあくるたのもにあきかぜそふく 隠

意味:伏見山の松の蔭より見渡すと夜が明けようとする田の面に秋風が吹いています。

作者:藤原俊成ふじわらのとしなり1114~1204しゅんぜいとも。法号は釈阿。千載和歌集の撰者で定家の父。

備考:正治二年後鳥羽院初度百首。本歌:山城の鳥羽の田の面を見渡せば仄かに今朝ぞ秋風の吹く(曾禰好忠 詞花集)

歌枕名寄、美濃の家づと、

玉葉 元暦大地震

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玉葉 元暦二年七月

九日庚寅晴天。(略)

午刻大地震。古來雖有大地動事未聞損亡人家之例仍暫不騒之間舎屋忽欲壊崩。仍余女房等令乗車。大將同之引立庭中。余獨候佛前。舎屋等雖不伏地悉傾危。或棟折或壁壊。於築垣一本如不殘。如傳聞者京中之人家多以顛倒。又白川邊御領等或有顛倒之所或築垣許破壊。法勝寺九重塔心柱雖不倒瓦已下皆震剥如無成云々。大地所々破裂水出如涌云々。又聞天台山中堂燈承仕法師取之不令消云々。但於堂舎廻廊者多以破損。其他所々堂場悉破壊顛倒云々。余家前邊使馬助國行 於院八条院等申事由依所労不能參入也。法皇降庭上御坐樹下云々者女院又乗車令立庭給云々。院御所破損殊甚。大略寝殿傾危、不足爲御所之間御坐北對云々。凡往古來今異域他郷惣以未有如此之事。末代之至、大地之惡君弆國爰而炳焉者歟。法皇御參籠今熊野而依恐此事忽被出御云々。今日廣基天文博士持來地震之奏案占文云。

大喪  天子凶

七日動 百日内大兵起

上旬動 害諸大臣云々

或又女王慎 旱魃等云々。

於未來之徴者次事也。見當時天下損亡了。凡不能左右云々。主上渡御池中島云々。其後又南庭打幄爲御在所云々。内裏西透廊顛倒云々。

恋歌二 忍ばじよ 筆者不明コレクション

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新古今和歌集 巻第十二恋歌二

和歌所歌合に依忍増戀といふことを

春宮權大夫公繼

忍ばじよいはまづたひの谷川もせをせくにこそ水まさり

                               けれ

 題不知            信濃

人もまだふみゝぬ山のいはがくれ流るゝ水を袖にせくかな

西行法師

はるかなる岩のはざまに獨ゐて人め思はでもの思はゞや

數ならぬ心のとがになしはてゝしらせでこそは身をも恨め

 水無瀬の恋十五首歌合に夏恋

攝政太政大臣

草ふかき夏野わけ行くさを鹿の音をこそ立てね露ぞこぼるる

 入道前關白右大臣に侍りける時百首哥

 人々によませ侍りけるに忍戀のこころを

読み:しのばじよいわまづたいのたにがわもせをせくにこそみずまさりけり

作者:藤原公継ふじわらんきんつぐ1175~1227実定の子。野宮左大臣と呼ばれる。

読み:ひともまだふみみぬやまのいわがくれながるるみずをそでにせくかな 隠

作者:しなの鎌倉初期の女流歌人祝部允仲の娘。後鳥羽院の女房。源家長の妻。 

読み:はるかなるいわのはざまにひとりいてひとめおもわでものおもわばや

意味:遠く人里に離れた岩の間に独りでいて、人目を気にしないであの人を思って涙を流したいものです

作者:さいぎょう1118~1190俗名佐藤義清23歳で出家諸国を行脚。

備考:山家集では、題は「恋」。

西行物語、八代集抄、

読み:かずならぬこころのとがになしはててしらせでこそはみをもうらみめ

意味;あの人への恋心を、つまらない自分の罪としないで、あの人に私の想いを知らせてから自分自身を恨みましょう。

作者;さいぎょう1118~1190俗名佐藤義清23歳で出家諸国を行脚。

備考:山家集では、題は「恋」

西行物語

読み:くさふかきなつのわけゆくさおしかのねをこそたてねつゆぞこぼるる 隠

意味:草が深い夏野を分けて行く牡鹿が声を出さないが露が零れるので分かるように私の忍ぶ恋も声に出して泣かないが、つい涙が零れ落ちるので知られてしまいます

作者;藤原良経ふじわらのよしつね1169~1206關白九條兼實の子。後京極殿と呼ばれた。新古今和歌集に関与

備考:水無瀬恋十五首歌合

常縁原撰本新古今和歌集聞書、 新古今和歌集抜抄、 新古今抜書抄、新古今和歌集抄出聞書(陽明文庫)

 

平成27年8月7日 壱

雑歌上 氷の道 筆者不明コレクション

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新古今和歌集 巻第十六 雑歌上

百首歌奉りしに

土御門内大臣

朝ごとにみぎはの氷ふみわけて君につかふる道ぞかしこき

最勝四天王院障子にあぶくま川かきたる所

家隆朝臣

君が代にあふくま川の埋木も氷のしたに春を待ちけり

元輔が昔すみ侍ける家のかたはらに

少納言住けるころ雪いみじくふりてへだての

かきもたふれて侍ければ申つかはしける

赤染衞門

跡もなく雪ふる里はあれにけりいづれ昔の垣根なる覧 

御なやみをもくならせ給て雪の朝に


読み:あさごとにみぎわのこおりふみわけてきみにつかうるみちぞかしこき 隠

意味:

作者:源通親み毎朝、汀の氷を踏み分けて、君に仕え申し上げる道を通っているが、畏れ多くもったいないことだ

作者:なもとのみちちか1149~1202雅通の子。養女在子を後鳥羽天皇に入内させ、土御門天皇となり、後鳥羽院政の中権力を握る。

備考:本歌 峰の雪汀の氷踏み分けて君にぞ惑ふ道は惑はず(源氏物語 浮舟) 戦々恐々深淵に臨むが如く、薄氷を踏むが如し(詩経 小雅)

定家十体、新古今注、十代抄書

読み:きみがよにあぶくまがわのうもれぎもこおりのしたにはるをまちけり 隠

意味:我が君の御代に会って、阿武隈川の埋もれ木も氷の下で春を待っております

作者:ふじわらのいえたか1158~1237壬生二品とも呼ばれ、かりゅうとも読む。新古今和歌集の選者。

備考:最勝四天王院障子歌。あぶくまと逢ふの掛詞。

歌枕名寄、美濃の家づと、新古今注、十代抄書

 

読み:あともなくゆきふるさとはあれにけりいずれむかしのかきねなるらむ 隠

意味:人の訪れた様子も無い雪が降る昔住まれていた所は荒れていらっしゃるでしょう。どれが昔お父上の時代からあった垣根なのでしょうか。

作者:あかぞめえもん平安中期女流歌人赤染時用の娘実父は母の前夫平兼盛とも。大江匡衡の妻藤原道長の娘倫子とその子上東門に仕えた。

備考:降る里と古里の掛詞

 平成27年8月7日 壱

釈教歌 夢うつつ 筆者不明コレクション

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新古今和歌集 巻第二十釋歌

維摩経十喩中に此身如夢といへるこころを

赤染衞門

夢やゆめうつつや夢とわかぬかないかなる世にか覺んとすらむ

二月十五日の暮かたに伊勢大輔がもとにつ

かはしける           相模

常よりもけふの煙のたよりにや西をはるかに思やるらん 

返し               伊勢大輔

けふはいとゞ泪に暮ぬ西の山おもひ入日のかけをながめて

(肥後歌 闕)

西行法師をよび侍けるにまかるべき由を

ば申ながらまうでこで月のあかりけるにかどの

まへをとほるときゝてよみてつはしける

待賢門院堀河

西へ行くしるべとおもふ月影の空だのめこそかひなかりけれ 

読み:ゆめやゆめうつつやゆめとわかぬかないかなるよにかめざめむとすらむ

作者:あかぞめえもん平安中期女流歌人赤染時用の娘実父は母の前夫平兼盛とも。大江匡衡の妻藤原道長の娘倫子とその子上東門に仕えた。

備考:新古今注

読み:つねよりもきょうのけむりのたよりにやにしをはるかにおもいやるらむ

意味;斉信様がお亡くなりになったので、いつもより今日の涅槃会の栴檀のお香の煙を縁として、西方浄土に旅立たれたのを思いやっているのでしょう。

作者:さがみ平安中期の女流歌人。三十六歌仙の一人。養父は源頼光。相模守大江公資の妻となり、夫と別れた後脩子内親王に仕えた。

備考:新古今注、九代抄、九代集抄

読み:きょうはいとどなみだにくれぬにしのやまおもいいりひのかげをながめて

意味:今日の涅槃会は、大変涙にくれて、あの方が向かわれた西方浄土の方角に思い入り、入り日の光を眺めて偲んでおりました。

作者:いせのおおすけ平安中期の女流歌人。いせのたゆうともよむ。伊勢の祭主の大中臣輔親の娘。高階成順と結婚。。一条天皇中宮藤原彰子に仕えた。

備考:涙にくれると日が暮れる、思い入ると日の入りの掛詞

新古今注

 平成27年8月7日 壱

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