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Channel: 新古今和歌集の部屋
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雑歌上 伊勢物語 贈出家装束

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新古今和歌集第十六 雜歌上


 業平朝臣の装束遣はして侍りけるに

            紀有常朝臣

秋や來る

  露や

まがふと思

   ふまであるは

 涙の降

   るにぞありける


読み:あきやくるつゆやまがうとおもうまであるはなみだのふるにぞありける

意味:秋が来て袖に露が置いたのかと思うまでに。嬉し涙が降る為でした。ありがとう。

作者:きのありつね815~877名虎の子。従四位下周防権守。業平らと親交があった。

備考:伊勢物語十六

 

むかし、紀の有常といふ人ありけり。み世のみかどにつかうまつりて、時に遇ひけれど、後は世かはり時うつりにければ、世の常の人のごともあらず。人がらは、心うつくしくあてはかなることを好みて、こと人にも似ず。貧しく經ても、なほ昔よかりし時の心ながら、世の常のことも知らず。

年ごろあひ馴れたるめ、やう/\床離れて、つひに尼になりて、姉のさきだちてなりたる所へ行くを、をとこ、まことにむつましきことこそなかりけれ、今はと行くを、いとあはれと思ひけれど、貧しければ、するわざもなかりけり。思ひわびて、ねむごろにあひかたらひける友だちのもとに かう/\今はとてまかるを、何事もいさゝかなることもえせで、遣はすことと書きて、おくに

手を折りてあひ見しことをかぞふれば十といひつゝ四つは經にけり 

かの友だち、これを見て、いとあはれと思ひて、夜の物まで送りてよめる 

年だにも十とて四つは經にけるをいくたび君をたのみ來ぬらむ 

かくいひやりたりければ

これやこのあまの羽衣うべしこそ君がみけしとたてまつりけれ 

よろこびにたへで、又、 

秋や來る露やまがふと思ふまであるは涙の降るにぞありける


秋歌上 西行宮城野の露 筆者不明コレクション

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新古今和歌集 巻第四秋歌上
 題しらず

      西行法師

あはれいかに草葉の

つゆのこほるらむ

 秋あきかぜたちぬ

 みやぎ野のはら

 

歌:あはれいかに草葉の露のこぼるらむ秋風立ちぬ宮城野の原

読み:あわれいかにくさばのつゆのこぼるらむあきかぜたちぬみやぎののはら 隠

意味:ああ、どれくらい草葉の露が零れているだろうか。秋風が吹き始めた宮城野の原は。

備考:歌枕 宮城県仙台市宮城野で萩が有名 八代集抄、歌枕名寄、定家十体、美濃の家づと、 常縁原撰本新古今和歌集聞書、新古今抜書抄(松平文庫本)、新古今注(京都大学図書館本)、九代抄 九代集抄、新古今和歌集抄出聞書(陽明文庫)


平成27年6月7日點七

恋歌五 伊勢物語 疑忘恋

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新古今和歌集 巻第十五 戀歌五

 題しらず      よみ人知らず

   忘るらむと

 おもふこころの

疑に

 ありし

  よりけに

          ものぞ悲しき

 

読み:わするらむとおもうこころのうたがいにありしよりけにものぞかなしき 隠

意味:私のことを忘れてしまっているのではないかと疑っている自分に気づいて、前よりも一層悲しくなってしまいました。

備考:伊勢物語 第二十一段

 

むかし、をとこ女、いとかしこく思ひかはして、こと心なかりけり。さるをいかなる事かありけむ、いさゝかなることにつけて、世の中をうしと思ひて、出でていなむと思ひて、かゝる歌をよみて、物に書きつけける。

出でていなば心輕しといひやせむ世のありさまを人は知らねば

とよみおきて、出でていにけり。

この女かく書きおきたるを、けしう、心おくべきともおぼえぬを、何よりてかかゝらむと、いといたう泣きて、いづかたに求め行かむとかどに出でて、と見かう見みけれど、いづこをはかりとも覺えざりければ、かへり入りて、 

思ふかひなき世なりけり年月をあだにちぎりて我や住まひし

といひててながめ居り。

人はいさ思ひやすらむ玉かづら面影にのみいとゞ見えつゝ

この女いと久しくありて、念じわびてにやありけむ、いひおこせたる。

今はとて忘るゝ草のたねをだに人の心にまかせずもがな 

返し

忘れ草植うとだに聞くものならば思ひけりとは知りもしなまし

又/\ありしよりいにいひかはして、をとこ 

わするらむと思ふ心のうたがひにありしよりけにものぞかなしき

返し

中空に立ちゐる雲のあともなく身のはかなくもなりにけるかな

とはいひけれど、おのが世々になりにければ、うとくなりにけり。

冬歌 俊成雪の天香久山 筆者不明コレクション

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新古今和歌集 巻第六冬歌

 守覺法親王五十首歌よませ侍りけるに


 皇太后宮大夫俊成

雪ふればみねの

まさがきうづもれ
        て

 月にみがける

  あまのかぐやま


歌:雪降れば峰の正垣埋もれて月に研ける天の香久山

読み:ゆきふればみねのまさかきうずもれてつきにみがけるあまのかぐやま 隠

備考:守覚法親王五十首歌 八代集抄、歌枕名寄、美濃の家づと、 九代抄、 九代集抄



平成27年6月7日點七

新千載集 寄月恋 筆者不明コレクション

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新千載和歌集 巻十五恋五 1556
  粟田宮歌合に寄月恋
       花山院入道前右大臣

思ひ     契らぬ
  わび     月
           の

いく世の    忘れ
   そらに    かた
  かこつらむ    み
              を


読み:おもひわびいくよのそらにかこつらむちぎらぬつきのわすれがたみを
作者:花山院忠経1173-1229
備考:粟田宮歌合 承元四年(1210年)九月二十二日 寄海朝、寄山暮、寄月恋

玉葉集 寝る夜の夢 筆者不明コレクション

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玉葉集 巻第十八雑歌五 2457
 夢をよませ給うける
        伏見院御歌

夢はただぬる夜

のうちのうつヽ
     にて
さめての(ぬる)のちの

なにこそありけれ

読み:ゆめはただぬるよのうちのうつつにてさめぬるのちのなにこそありけれ

意味:夢はただ寝ている夜の中の現実であって、覚めてしまった後は本当に何もないものだ

作者:伏見天皇 文永2年(1265年)-文保元年(1317年)、在位:弘安10年(1287年)-永仁6年(1298年8月30日)。書道の伏見院流の祖、京極派の有力歌人としても知られる。

備考:玉葉和歌集、鎌倉時代後期の勅撰和歌集である。和歌数約2800首、京極派和歌を中核とした和歌集として知られる。撰者は、永仁勅撰の議などの紆余曲折の後、京極為兼となった。

恋歌五 恋歌三 伊勢物語 高安の女

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新古今和歌集 巻第十五戀歌五

 題しらず

      よみ人知らず


   君があたり

 見つつ

を居らむ

   伊駒山

     雲なかくしそ

  雨は降るとも

 

読み:きみがあたりみつつをおらむいこまやまくもなかくしそあめはふるとも

意味:あの人がいる大和の国の方をみていたいので、生駒山を雲で隠さないでください。例え雨が降ったとしても。

備考:伊勢物語 第二十三段 万葉集 第巻十二 3032

 

巻第三戀歌三

 題しらず

       よみ人知らず


君來む

 といひ

  し夜毎に

 過ぎぬれば頼まぬ物

の戀ひつつぞ經る

 

読み:きみこむといいしよごとにすぎぬればたのまぬもののこいつつぞふる 隠

意味:君がまた来ようとおっしゃった夜が幾夜過ぎてしまいましたので、貴方のことはあてにしないつもりですが、それでもやはり貴方のことが恋しく思いながら過ごしています。

備考:伊勢物語 二十三段 八代集抄、定家十体

むかし、ゐなかわたらひしける人の子ども、井のもとに出でてあそびけるを、おとなになりにければ、をとこも女も恥ぢかはしてありけれど、をとこはこの女をこそ得めと思ふ。女はこのをとこをと思ひつゝ、親のあはすれども、聞かでなむありける。さて、この隣のをとこのもとよりかくなむ。

筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしないも見ざるまに

女、返し 

くらべこし振分髪も肩すぎぬ君ならずして誰かあぐべき 

などといひ/\て、つひにひのごとくあひにけり。 

さて、年ごろ經るほどに、女、親なくたよりなくなるまゝに、もろともにいふかいひなくてあらむやはとて、かふちの國、高安のこほりに、いきかよふ所出できにけり。さりけれど、このもとの女、あしと思へるけしきもなくて、いだしやりければ、をとこ、こと心ありてかゝるにやあらむと思ひうたがひて、せんざいの中にかくれゐて、かふちへいぬる顏にて見れば、この女、いとようけさうじて、うちながめて、 

風吹けば沖つ白浪たつた山夜はにや君がひとりこゆらむ 

とよみけるをきゝて、限りなくかなしと思ひて、かふちへもいかずなりにけり。 

まれ/\かの高安に來て見れば、はじめこそ心にくもつくりけれ、今はうちとけて、手づからいひがひとりて、けこうつは物に盛りけるを見て、心うがりていかずなりにけり。されば、かの女、大和の方を見やりて、 

君があたり見つゝを居らむ生駒山雲なかくしそ雨は降るとも

といひて見いだすに、からうじて、大和人來むといへり。よろこびて待つに、たび/\過ぎぬれば、 

君來むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの戀ひつゝぞふる

といひけれど、をとこ住まずなりにけり。


奈良県天理市在原神社 JR櫟本駅 南東500m

恋歌五 伊勢物語 憂きながら

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新古今和歌集 巻第十五 戀歌五

 

題しらず        よみ人知らず

憂きなが

   ら人を

    ばえしも

 忘れねば

かつ

 恨みつつな

    ほぞ戀しき

 

読み:うきながらひとをばえしもわすれねばかつうらみつつなおぞこいしき 隠

意味:辛いことですが、貴方のことがどうしても忘れられないので、一方では恨みながら、一方ではやはり恋しく思っているのですよ。

備考:伊勢物語 第二十二段

むかし、はかなくて絶えにけるなか、なほや忘れざりけむ、女のもとより、 

憂きながら人をばえしも忘れねばかつ恨みつゝなほぞ戀しき

といへりければ、さればよといひて、をとこ

あひ見ては心ひとつをかはしまの水の流れて絶えじとぞ思ふ

とはいひけれど、その夜いにけり。いにしへゆくさきのことどもなどいひて、

秋の夜の千夜を一夜になずらへて八千夜し寝ばやあく時のあらむ

返し

秋の夜の千夜を一夜になせりともことば殘りてとりや鳴きらむ

いにしへよりもあはれにてなむ通ひける。


恋歌五 伊勢物語 袖に港

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新古今和歌集 巻第十五 戀歌五

 題しらず       よみ人知らず


おもほえず

袖に湊の騷ぐかな

もろこし舟の寄りしばかりに

 

読み:おもおえずそでにみなとのさわぐかなもろこしふねのよりしばかりに 隠

意味:貴方からの優しい言葉に、思わず袖に涙があふれてきて、まるで湊に大きな唐舟が来たことからとても騒がしくなった様に動揺しています。※多数異訳あり

備考:伊勢物語 二十六段 八 注

むかし、をとこ、五條わたりなりける女をえ得ずなりにけることと、わびたりける、人の返りごとに、

思ほえず袖にみなとのさわぐかなもろこし舟の寄りしばかりに

明月記 福原遷都の噂 治承四年五月、六月

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治承四年五月

卅日 天晴る。早旦布衣を着して院に參ず。帥參候す。上下奔走周章し、女房悲泣の氣色あり。密かに右馬允盛弘を招き(若州の後見)、子細を問ふ。答へて云ふ、俄に遷都の聞こえあり。両院、主上忽ち臨幸あるべき由、入道殿申さしめ給ふと。前途又安否を知らず。悲泣の外、他事無しと云々。退出して法性寺に歸る。

六月

一日 天晴る。遷都一定の由と云々。傳へ聞く、遷幸必然と。或人云ふ、右中將隆房朝臣一人、褐顕(かちん)文紗の狩袴(かりこ)、市比の脛巾(はがき)を着し、狩胡籙を帶すと云々。自余の事聞かず。

八日 天晴る。今曉、拾遺中御門亜相殿の便に付き、新都に參ぜらると云々。

 

方丈記諺解

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方丈記諺解 元禄六年初冬稿。元禄七年仲春刊 摂陽散人著

宇治より大津街道六地蔵より五六町東有一言観音堂より右の方へ上りて又少し下りセバキ谷あいのおちくぼなる所の右の上に方丈をたてられしとなん。今に岩は残りてよんで長明石といわるゝ則此所を外山といへり。

六地蔵

京阪六地蔵駅山科川

一言寺(醍醐山金剛王院)

醍醐寺境内栢杜遺跡

 

方丈の庵

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大福光寺本

いま、日野山の奥に跡を隠してのち、東に三尺余の庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。南、竹の簀子を敷き、その西に閼伽棚を作り、北によせて障子をへだてて阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢を描き、前に法華経を置けり。東の際に蕨のほとろを敷きて夜の床とす。西南に竹のつり棚をかまへて、黒き皮籠三合を置けり。すなはち、和歌、管弦、往生要集ごときの抄物を入れたり。かたはらに、琴、琵琶、おのおの一張を立つ。いはゆる折琴継琵琶これなり。仮の庵のありやうかくのごとし。その所のさまをいはば、南にかけひあり。岩を立てて水をためたり。林の木近ければ爪木を拾ふに乏しからず。名を音羽山といふ。まさきのかづら、跡うづめり。谷しげければ、西はれたり。

前田家本

今、比叡の山の奥に跡を隠して後、東に三尺余りの廂をさして、柴折くぶる縁とす。南に竹の吊り棚をしてその西に閼伽棚を作れり。北によりて絵像を安置し、側に普賢を掛け、前に法花経をおけり。東の際に蕨の斑を敷きて夜の床とす。南西に竹の棚を構へて、黒き皮籠三合を置けり。即ち、和哥管弦往生要集如きの抄物をいれたり。傍らに琴、琵琶各々一張を立つ。所謂、折琴、継ぎ琵琶是也。仮の庵の有樣、斯くの如し。其の所の有り樣を言はば、南に筧あり。岩を立てて、水を溜めたり。林の木近ければ、爪木を拾ふに乏しからず。名を外山といふ。柾木の葛、跡を埋めり。谷繁けゝれど、西は晴たり。

流布本

いま日野山の奧にあとをかくして後、南にかりの日がくしをさし出して、竹のすのこを敷き、その西に閼伽棚を作り、うちには西の垣に添へて、阿彌陀の畫像を安置したてまつりて、落日をうけて、眉間のひかりとす。かの帳のとびらに、普賢ならびに不動の像をかけたり。北の障子の上に、ちひさき棚をかまへて、黒き皮籠三四合を置く。すなはち和歌、管絃、往生要集ごときの抄物を入れたり。傍にこと、琵琶、おのおの一張をたつ。いはゆるをりごと、つき琵琶これなり。東にそへて、わらびのほどろを敷き、つかなみを敷きて夜の床とす。東の垣に窓をあけて、こゝにふづくゑを出せり。枕の方にすびつあり。これを柴折りくぶるよすがとす。庵の北に少地をしめ、あばらなるひめ垣をかこひて園とす。すなはちもろもろの藥草をうゑたり。かりの庵のありさまかくのごとし。その所のさまをいはゞ、南にかけひあり、岩をたゝみて水をためたり。林軒近ければ、つま木を拾ふにともしからず。名を外山といふ。まさきのかづらあとをうづめり。谷しげゝれど、にしは晴れたり。

延徳本

爰にわれ、ふかき谷のほとり、閑なる林の間に、わづかなる方丈の草の菴をむすべり。竹の柱をたて、苅萱をふき、松葉をかこひとし、古木の皮をしきものとせり。かたわらに筧の水をたヽへたり。東南のすみ五尺には、蕨のほどろをしきて、夜の床とし、さゆる霜の夜に身をあたヽむ。西南の角五尺には、窓をあけて、竹のあみ戸をたてたり。西の山はをばまぼるに便あり。西北のすみ五尺には、竹のすのこをしき、阿弥陀絵像を安置せるかたはらにつり棚をかまへ、往生要集ごときの文書を少〃をけり。又、かたはらに、琴琵琶をたて置けり。いはゆる折琴つぎ琵琶是なり。

鴨長明集 親の跡

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養和元年五月 日鴨長明

いまはたゝ(イよりは)しでの山路ぞいそがるゝせめては(さきだつイ)親のあとやふむとて

遁世の時よめる。かくて山城日野法泉寺といふところに方丈をつくりてすめり。びはの三曲を常にひける石あり。三曲石といひてあり。方丈の記とて一帖あり。一丈四方なる所なればをきどころなくてしけると也。

南都八景和歌 佐保川螢 万里小路淳房筆

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  佐保川螢
とふほたる影を
  うつしてさほ川
        の
  あさ瀬にふかき
    心をそしる


南都八景
佐保川螢 前内大臣三条公忠
飛ほたる影をうつして佐保川の浅瀬に深き心をぞ知る

読み:とぶほたるかげをうつしてさほがわのあさせにふかきこころをぞしる
詠人:三条公忠 (元亨4年(1324年)-永徳3=弘和3年(1384年) )。南北朝時代の公卿。三条実忠男。内大臣従一位。歌人で,有職故実にも通じた。日記に「後愚昧記」。
筆者:万里小路淳房(承応元年(1653年) ー宝永六年(1709年))。雅房の子。従一位大納言。

平成27年7月 2日點伍

南都八景和歌 東大寺鐘 梅小路共方筆

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東大寺鐘
    おくしもの
寺の   花いつく
 かね     しき
  の  名もたかし
  ひヽき  ふりぬる
   に


南都八景
東大寺鐘   前大納言四辻入道善成
をく霜の花いつくしき名も高しふりぬる寺の鐘のひびきに 
作者:善成王は延文元年(1356年)に臣籍降下し源善成(四辻善成)を名乗るが、以後も四辻宮をなのっていたという。臣籍降下後も親王宣下されることを望んでいたがかなわず、応永2年(1395年)出家した。
筆者:梅小路共方 (承応二年(1653年)- 享保十二年(1727年))梅小路定矩の男。権大納言正二位

平成27年7月 2日點伍


南都八景和歌 轟橋行人 冷泉為綱筆

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  軣橋行人
うちわたるひとめも
  たえす行駒の
 ふみこそならせ
   とヽろきのはし

南都八景
轟橋行人  藤原冬宗
うち渡る人めも絶えず行く駒の踏みこそならせとどろきのはし
読み:うちわたるひとめもたえずゆくこまのふみこそならせとどろきのはし
詠者: 大炊御門冬宗(延文2年・正平23年(1357年)-応永12年(1405年))従一位権大納言。大炊御門冬信男。子に宗氏、足利義満側室。
筆者:冷泉為綱 (享保7年(1722)歿 )父は冷泉為清、為久は子。上冷泉家。従二位権中納言。霊元院より古今和歌集口伝を受けた。

平成27年7月2日點伍

秋歌上 西行鴫立つ澤 中御門資熙筆

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新古今和歌集巻第四 秋歌上

題しらず

   中御門権大納言資熙卿

    西行法師

こヽろなき身にも

 あはれは 知られ
          けり
 鴫たつさはの

   秋の夕くれ


読み:こころなきみにもあわれはしられけりしぎたつさわのあきのゆうぐれ 隠

歌:心なき身にもあはれは知られけりしぎたつ沢の秋の夕ぐれ

意味;風流を解しない私にもあわれを感じることが出きる。鴫が突然羽音を立てて飛び去った沢の夕暮をみると。

備考:三夕

美濃、常縁原撰本新古今和歌集聞書、新古今和歌集抜抄(松平文庫本)、新古今抜書抄、聞書連歌 西尾図書館岩瀬文庫、新古今和歌集抄出聞書(陽明文庫)

筆者:中御門資熙。宣順男。権大納言正二位。宝永4年(1707)歿

平成27年7月5日壱

離別歌 西行東方夕月 難波宗尚筆

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新古今和歌集 巻第九離別歌

陸奧へ罷りける人に餞し侍りけるに  西行法師




難波中将宗尚 従三位

君いなは月

 まつとても

   なかめやらん

 あつまの
     かたの

  夕くれの空

読み:きみいなばつきまつとてもながめやらむあずまのかたのゆうぐれのそら 隠

歌:君いなば月待つとてもながめやらむ東のかたの夕暮の空

意味:貴方が東北へ旅立っていなくなったら、月の出を待つといって貴方のいる東の夕暮の空を眺めて貴方を思います。

備考:十代抄、九代集抄 九代抄



筆者:難波宗尚(寛文8年(1668年)-元禄12年(1699年)。飛鳥井雅章の末子、宗量の養嗣子。初名は雅広。従三位。

平成27年7月5日點伍

南都八景

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猿沢池の月
 読み人しらず
長閑なる波にぞ凍る猿沢の池よりとをく月はすむとも




春日野の鹿
 勧修寺参議右大辨経重
無臭無聲野色妍
只看麋鹿食草眠
舜深山與文霊囿
斯處聖神易地然

 権中納言公勝
春日山峯の嵐や寒からむ麓の野辺の鹿ぞ鳴くなる



東大寺の鐘
 前大納言四辻入道善成
をく霜の花をいつくし名も高しふりぬる寺の鐘の響きに

 

 

三笠山の雪
 徳大寺左近衛大将實時
白雪無邊藏數峯
和光有跡此山中
于時大樹着花處
榮色知新利物功


 西園寺前右大臣實俊
三笠山さして頼めば白雪の深き心を神や知るらむ



轟橋行人
 小倉前中納言藤原定継
打渡る人目も絶えず行く駒の踏みこそ鳴らせ轟の橋

南円堂の藤
 読み人しらず
藤浪は神の言葉の花なれば八千代をかけて猶ぞ栄へむ


雲井坂の雨
 権中納言藤原爲重
村雨の晴れ間に越えよ雲井坂三笠の山は程近くとも




佐保川の螢
 転法輪三條前内大臣公忠
飛ぶ螢(び渡る)影を映して佐保川の浅瀬に深き心をぞ知る

大和名所圖會ほかより

方丈記古注

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首書鴨長明方丈記
明暦四年戊戌正月吉日
長谷川市良兵衛
山岡元隣 著
底本:流布本系 末尾に月影の和歌有り。

方丈記訵説
明暦四年戊戌正月上旬
大和田久左衛門板行
著者:大和田気求
底本:流布本系 末尾に月影の和歌有り。

長明方丈記抄


盤斎 著

方丈記諺解
元禄六年初冬稿。元禄七年仲春刊
摂陽散人 著

方丈記流水抄
享保四年己亥仲秋穀旦

長明方丈記抄(宜春抄)
経尊閣本
仁木宜春 著
天和元年辛酉猛冬


方丈記諸注集成 簗瀬一雄 豊島書房より
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