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Channel: 新古今和歌集の部屋
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雑歌中 布引と涙の瀧

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新古今和歌集第十七 雜歌中

布引の瀧見にまかりて

中納言行平

わが世をば今日か明日かと待つ

かひの涙の瀧といづれ高けむ

 

読み:わがよをばきょうかあすかとまつかいのなみだのたきといずれたかけむ 隠

私の命は今日か明日かと待つ値打ちも無いという涙と峡谷の瀧とはどっちが高いだろうか。

作者:在原行平ありわらのゆきひら818~893大宰権帥。業平の兄。一門の学問所奨学院を建てる。

伊勢物語 八十七段 歌枕 布引の瀧 神戸市中央区新神戸駅裏手にある滝

伊勢物語八十七

むかし、をとこ、津の國うばらの郡蘆屋の里にしるよしして、いきて住みけり。

昔の歌に

蘆の屋のなだの鹽燒いとまなみ黄つげの小櫛もさゝず來にけり

とよみけるぞ、この里をよみける。こゝをなむ蘆屋のなだとはいひける。このをとこなま宮づかへしければ、それをたよりにて、ゑふのすけどもあつまり來にけり。このをとこのこのかみもゑふのかみなりけり。その家の前の海のほとりに遊びありきて、いざ、この山のかみにありといふ布引の瀧見にのぼらむといひて、のぼりて見るに、その瀧、物よりことなり。長さ二十丈、廣さ五丈ばかりなる石のおもて、しらぎぬに岩をつゝめらむやうになむありける。さる瀧のかみに、わらふだの大きさして、さし出でたる石あり。その石のうへに走りかゝる水は、小柑子、栗の大きさにてこぼれ落つ。そこなる人にみな瀧の歌よます。かのゑふのかみまづよむ。

わが世をばけふかあすかと待つかひの涙の瀧といづれ高けむ

あるじ、次によむ。  

ぬき亂る人こそあるらし白玉のまなくも散るか袖のせばきに

とよめりければ、かたへの人、笑ふことにやありけむ、この歌にめでてやみにけり。歸りくる道とほくて、うせにし宮内卿もちよしが家の前來るに、日暮れぬ。やどりの方を見やれば、あまのいさり火多く見ゆるに、かのあるじのをのこよむ。

晴るゝ夜の星か河邊の螢かもわが住むかたのあまのたく火か

とよみて、家にかへりきぬ。その夜、南の風吹きて、浪いと高し。つとめて、その家のめの子ども出でて、うきみるの浪によせられたる拾ひて、家の内に持てけり。女がたより、そのみるをたかつきにもりて、柏をおほひていだしたる柏に書けり。

渡つみのかざしにさすといはふ藻も君がためにはをしまざりけり

田舎人の歌にては、あまれりや足らずや。


雑歌中 天女衣の布引の瀧

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新古今和歌集 巻第十七 雜歌中

最勝四天王院の障子に布引の瀧かきたる所に

藤原有家朝臣

ひさかた

   の天つ

     をとめが

なつごろも

 雲居にさらす

    布引の瀧


読み:ひさかたのあまつおとめがなつごろもくもいにさらすぬのびきのたき 隠

意味:まるで(久方の)天女が夏衣を大空に干していると見える布引の滝です。

作者;ふじわらのありいえ1155~1216重家の子。本名は仲家。従三位大蔵卿。和歌所寄人で新古今和歌集の選者。

備考:歌枕 布引の瀧 神戸市中央区新神戸駅裏手にある滝 最勝四天王院障子歌

時代不同歌合、歌枕名寄、新三十六人歌合、美濃の家づと、新古今注、十代抄書、九代抄、九代集抄

高砂神社 御神木いぶき 奉納玉垣和歌(一部)

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高砂神社 御神木いぶき 奉納玉垣和歌


いたづらに世々はふるとも高砂の

松はわがごと物は思はじ

(李花集 雑歌 宗良親王)

 

いつしかと思ふあたりへ印南島

こよひ計(ばかり)は舟とゞむべき

(歌枕名寄 巻第丗一 山陽道一)

 

高砂の松としきかばいかばかり

磯辺の浪のいそがれもせむ

(林葉集 俊恵)

 

かくばかり浪はあらへど高砂の

松はつれなく色もかはらず

(林葉集 俊恵)

 

朝がすみ消え行くままに高砂の

松のみどりのふかくなるかな

(別雷社歌合 十九番右 顕昭)

 

高砂の松におくれてたつ浪の

かへるけしきぞ我が身なりける

(散木奇歌集 巻六 悲嘆 源俊頼)

兵庫県高砂町 高砂神社

貫之集 布引滝の絲と琴の音

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貫之集第一

紀貫之

松の音琴に調ぶる山風は

滝の糸をやすけて弾くらむ

 

読み:まつのおとことにしらぶるやまかぜはたきのいとをやすけてひくらむ

意味:松風の音を琴の調べにしている山風は、滝の糸を結んで弾くのだろう

備考:古今和歌六帖、風雅集、夫木和歌集は、「松の音を」

秋歌上 萩の高円尾上宮

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新古今和歌集 巻第四 秋歌上

守覺法親王五十首歌よませ侍りけるに

顯昭法師

  萩が花

 まそでに

かけて高圓の

をのへの宮に
 領巾
ふるやたれ

備考:高円尾上宮 聖武天皇離宮で高円高校にあったと推定されている。守覚法親王五十首和歌

写真 高円高校から見た高円山

万葉集 高円山の月

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     大伴坂上郎女

猟高の高円山を高みかも

 出で来る月の遅く照る

         らむ

万葉集巻第六981
 月歌三首
    大伴坂上郎女
猟高乃 高圓山乎 高弥鴨 出来月乃 遅将光

 

意味:猟高にある高円山はとても高いので、出てくる月が照るのも遅いのだろう。

 

新薬師寺東50m

万葉集 高円の野

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      大伴家持

 をみなへし秋萩しのぎ

さ雄鹿の露分け

  鳴かむ高円の野ぞ

万葉集巻第二十4297

天平勝寶五年八月十二日二三大夫等各提壷酒 登高圓野聊述所心作歌三首

乎美奈弊之 安伎波疑之努藝 左乎之可能 都由和氣奈加牟 多加麻刀能野曽

意味:女郎花や秋萩を凌ぎ牡鹿が露分けて鳴くここは高円の野ですぞ。

備考:二三大夫は、大伴池主、中臣清麻呂、大伴家持。天平勝宝五年は、753年。

愚説:聊か思う所を述べて作ったと有り、主催者は池主で、「紐解き開けな」とうちとけましょうとあり、清麻呂は、雁が鳴くと萩が紅葉するとある。これを譬喩と捉えると、女郎花、秋萩は光明皇后、孝謙天皇、雁は藤原仲麻呂、牡鹿は大伴や中臣などのそれ以外の氏族。左京少進に成ったばかり、左中弁、大伴氏の長であるが少納言ととても身分の低い下級官僚が愚痴をこぼしあったと解するべきか。当時、仲麻呂が官位人事を司り、橘諸兄勢力の力を削ぎ台頭した時期。

写真 白毫寺からの奈良市内

万葉集 黄葉の高円山

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春日野に時雨降る見ゆ明日よりは
黄葉かざさむ高円の山



万葉集巻第八 1571
藤原朝臣八束歌二首
春日野尓 鍾礼零所見 明日従者 黄葉頭刺牟 高圓乃山

謡曲 三井寺

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三 井 寺

                           四番目物・狂女物 作者不明

子供をさらわれた女が霊夢により三井寺に行くと少年と僧達が月見をしており、鐘楼に近づき鐘を鳴らそうとしたが、咎められ、中国の詩の故事を引いて許しを得ると鐘を撞く。やがて女の国を尋ねると駿河の国清見が関と聞き、少年の母親だと気が付き再会を果たし、故郷へ帰った。

前シテ:千満の母 後ジテ:同女 子方:千満 ワキ 三井寺の僧
ワキヅレ:随行の僧 オモアイ:三井寺の能力 アドアイ:清水寺門前男

女 其外爰にも世々の人、言葉の林の兼ねて聞く
同 名も高砂の尾上の鐘、曉かけて秋の霜、曇るか月もこもりくの、初瀬も遠し難波寺
女 名所多き鐘の音
同 つきぬや法の聲ならん。
同 山寺の、春の夕暮來て見れば、入逢の鐘に、花ぞ散りける、實惜しめ共、など夢の春と暮れぬらん、其外曉の、いもせを惜しむきぬ/\の、恨みを添ふる行ゑにも、枕の鐘や響くらん、又待宵に、更けゆく鐘の聲聞けば、あかぬ別れの鳥は、物かはと詠ぜしも、戀路の便りの、音づれの聲と聞くものを、又は老らくの、寝覺め程經るいにしへを、今思ひ寝の夢だにも、涙心のさびしさに、此鐘つく/\と、思ひを盡くす曉を、いつの時にか比べまし
女 月落烏鳴て
同 霜天に滿ちてすさましく、江村の漁火もほのかに、半夜の鐘の響きは、客の舟にや通ふらん、篷窓雨しただりて、なれし鹽路の楫枕、うきねぞ變はる此海は、波風も靜かにて、秋の夜すがら月澄む、三井寺の鐘ぞさやけき。

 

山寺の、春の夕暮來て見れば、入逢の鐘に、花ぞ散りける

巻第二 春歌下 116 能因法師

山里にまかりてよみ侍りける

山里の春の夕ぐれ來て見ればいりあひのかねに花ぞ散りける

 

待宵に、更けゆく鐘の聲聞けば、あかぬ別れの鳥は、物かは

巻第十三 恋歌三 1191 小侍従

題しらず

待つ宵に更けゆく鐘の聲聞けばあかぬわかれの鳥はものかは

 

月落烏鳴て霜天に滿ちてすさましく、江村の漁火もほのかに、半夜の鐘の響きは、客の舟にや通ふ

楓橋夜泊 張継
月落烏啼霜満天江楓漁火対愁眠
姑蘇城外寒山寺夜半鐘声到客船

万葉集 真間の手児名

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勝しかの

  間〃の井

     みれば

       立ひらし

みづくましけむ

   手児名し

     おほゆ


万葉集巻第九 1808

詠勝鹿真間娘子歌一首并短歌

鶏鳴 吾妻乃國尓 古昔尓 有家留事登 至今 不絶言来 勝壮鹿乃 真間乃手兒奈我 麻衣尓 青衿著 直佐麻乎 裳者織服而 髪谷母 掻者不梳 履乎谷 不著雖行 錦綾之 中丹L有 齋兒毛 妹尓将及哉。

望月之 滿有面輪二 如花 咲而立有者 夏蟲乃 入火之如 水門入尓 船己具如久 歸香具礼 人乃言時 幾時毛 不生物呼 何為跡歟 身乎田名知而 浪音乃 驟湊之 奥津城尓 妹之臥勢流。

遠代尓 有家類事乎 昨日霜 将見我其登毛 所念可聞

鶏が鳴く 東の国に 古へに ありけることと 今までに 絶えず言ひ来る 勝鹿の 真間の手児名が 麻衣に 青衿着け ひたさ麻を 裳には織り着て 髪だにも 掻きは梳らず 沓をだに はかず行けども 錦綾の 中に包める 斎ひ子も 妹にしかめや。

望月の 満れる面わに 花のごと 笑みて立てれば 夏虫の 火に入るがごと 港入りに 舟漕ぐごとく 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生けらじものを 何すとか 身をたな知りて 波の音の 騒く港の 奥城に 妹が臥やせる。

遠き代に ありけることを 昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも

反歌

勝壮鹿之 真間之井見者 立平之 水挹家武 手兒名之所念

勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手児名し思ほゆ

右五首高橋連蟲麻呂之歌集中出

意味:

(鶏が鳴く)東国の昔にあったことだと今までに絶えず言い伝えてきた葛飾の真間の手児名が麻衣に青い襟を付け、真麻を衣裳には織って着て、髪も梳かさず、履き物も履かないで行くけれども、錦綾の中で大事に育てられた子も、彼女には及ばない。

満月のように満ちた顔に、花のように笑って立っていると、夏虫が火の中に入るように、港の水門に舟を漕いで入るように、行き集まって、人が言う時に、何年も生きていないのに、なんとしたことか、自分の身の上を知って、波の音騒ぐ港の水門の墓所に彼女は眠っている。

遠い世にあったことを、昨日にでも見たように思えるのだが。

  反歌

葛飾の真間の井戸を見れば、毎日立ち寄って、水汲して運んでいた手児名を思う

 

市川市 京成市川真間駅、JR市川駅 手児名霊神堂

万葉集 筑波岳に登りて

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筑波岳に登りて

鶏が鳴く 東の国に 高山は さはにあれども

二神の 貴き山の 並み立ちの 見が欲し山と

神世より 人の言ひ継ぎ 国見する

筑波の山を 冬こもり 時じき時と 見ずて行かば

まして恋しみ 雪消する 山道すらを

なづみぞ我が来る


反歌

筑波嶺を 外のみ見つつありかねて

雪消の道を なづみ来るかも

 

万葉集巻第三 382

登筑波岳丹比真人國人作歌一首并短歌

鷄之鳴 東國尓 高山者 佐波尓雖有 朋神之 貴山乃 儕立乃 見杲石山跡 神代従 人之言嗣 國見為 築羽乃山矣 冬木成 時敷時跡 不見而徃者 益而戀石見 雪消為 山道尚矣 名積叙吾来煎

383

反歌

築羽根矣 Z耳見乍 有金手 雪消乃道矣 名積来有鴨

 

筑波山神社 

 

万葉集 防人の筑波恋し

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橘の 下吹く風の かぐはしき

筑波の山を 恋ひずあらめかも

巻第二十 4371

天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌

多知波奈乃 之多布久可是乃 可具波志伎 都久波能夜麻乎 古比須安良米可毛

右一首助丁占部廣方

二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長真人國嶋進歌數十七首 但拙劣歌者不取載之

 

意味:橘の花の下を吹く風が通るような芳しかった筑波の山を恋しく思ってしまわずにはいられない

考察:タチバナは、紀伊半島以西の温暖な海岸地帯に自生するので、筑波山のような内陸北部には存在しない。関東北部に自生する違う花を詠んだが、その花は近畿には無いので、差し替えたか?

秋歌上 高円の野風

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新古今和歌集 巻第四 秋歌上

法性寺入道前關白太政大臣家の歌合に野風を

藤原基俊

高圓の野路の

     しの原末

       さわぎ

そそや木がらし

  今日吹きぬなり

 

読み:たかまどののじのしのはらすえさわぎそそやこがらしきょうふきぬなり 隠

意味:高円の野原道の篠竹の原の葉末がざわついたのは、そらそら木枯らしが吹いたためらしい。

作者:ふじわらのもととし1060~1142万葉集を研究し、訓点をつけた。

備考:歌枕:高円 奈良の春日山の近くにある高円山

時代不同歌合、八代集抄、歌枕名寄、定家十体、九代抄、九代集抄、新古今和歌集抄出聞書(陽明文庫) 

恋歌一 布留の早稲田の恋

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新古今和歌集 第十一 戀歌一


題しらず            柿本人麿

石の上布留の

    わさ田の

  ほには出でず

心のうちに

  戀ひや渡らむ


読み:いそのかみふるのわさだのほにはいでずこころのうちにこいやわたらむ 隠

意味:石上の布留の早く穂が出る早稲田でも梅雨の間は穂が出ないように、表には出さず、心の中で貴女を恋しく思っていました。

作者:かきのもとのひとまろ。ひとまるとも。天武、持統、文武の万葉集の代表歌人。日並皇子、高市皇子の大舎人の説が有力。長歌挽歌に優れ後に歌聖と称えられた。

備考:万葉集 第九巻 1768、古今和歌六帖

八代集抄、歌枕名寄、定家十体、新古今注

万葉集

抜氣大首任筑紫時娶豊前國娘子紐兒作歌三首

石上 振乃早田乃 穂尓波不出 心中尓 戀流比日

恋歌一 布留の神杉の久しく忍ぶ恋

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新古今和歌集 巻第十一 戀歌一


和歌所歌合に久忍戀のこころを

攝政太政大臣

いそのかみふるの

         神杉

   ふりぬれど色

  には出でず

露も

時雨も

 

読み:いそのかみふるのかみすぎふりぬれどいろにはいでずつゆもしぐれも 隠

意味:(いそのかみ)布留神社の古い神杉は、長い期間を経たが、ちょっとした露や時雨が降っても色が変わらないように、私の長い忍恋も色に出ることはありません。

作者:藤原良経ふじわらのよしつね1169~1206關白九條兼實の子。後京極殿と呼ばれた。新古今和歌集に関与。

備考:北野宮歌合

歌枕名寄、常縁原撰本新古今和歌集聞書


恋歌二 海松藻は朽ちる

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新古今和歌集 巻第十二

戀歌二 戀の歌とて

二條院讃岐

   みるめこそ

生ひぬる磯の草な

          らめ

  袖さへ

     波の下

    に朽ちぬる

読み;みるめこそおいぬるいそのくさならめそでさえなみのしたにくちぬる 隠

意味:海松布は、満潮になると波の下に隠れてしまう磯の草だろうが、私のあの人に逢うことは、かなわないばかりか、波のような涙に沈んで袖が朽ちてしまっています。

作者:さぬき1141?~?平安末期鎌倉初期の女流歌人。源頼政の娘。二条天皇、後鳥羽天皇中宮宜秋門院に仕えた。俊恵の歌林苑の一人。

備考:ミルメとは海松布と書いて海草のことで見る目(会う機会)と掛ける。異本では二句目は「入りぬる」で本歌の万葉集から入りぬるの誤記と思われる。 未詳

八代集抄、美濃の家づと、新古今注、新古今和歌集抄出聞書(陽明文庫)

見えずもあらなん考察 藤原京大極殿位置

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藤原京大極殿位置

奈良県橿原市高殿町
34度30分7.61秒 135度48分25.88秒
34.502114,135.807189 ズーム:18
標高:72.1m(5m(レーザ))

天武天皇陵

奈良県高市郡明日香村大字野口
34度28分7.09秒 135度48分28.55秒
34.468637,135.807930 ズーム:18
UTMポイント:53SNU74201442
標高:117.4m(5m(レーザ))

経度差 2.67秒

距離 3.272km

 

耳成山

奈良県橿原市木原町
34度30分53.03秒 135度48分19.55秒
34.514730,135.805430 ズーム:18
UTMポイント:53SNU73931953
標高:138.5m(5m(レーザ))

大極殿との経度差 6.33秒

大極殿との距離 1.413km

 

考察

藤原京大極殿は、天武天皇陵の子午線上に建設。これは天武天皇陵が見えていないとできない。

耳成山を測量の起点とするには、距離1.4kmで経度が6.3秒も違うと朱雀大路建設の目標とはならない。

一説に、

飛ぶ鳥の飛鳥の里をおきていなば君が邊は見えずかもあらむ(万葉集 第一巻 78)

は持統天皇が飛鳥清御原宮から藤原京に遷る際に詠ったものとあるが、藤原京大極殿から天武天皇陵が見えるのであれば、元明天皇が詠じたとなる。

国土地理院マップによる。

雑歌下 都への道 作者不明コレクション

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新古今和歌集 巻第十七雑歌下

  山        菅贈太政大臣

あし曳のこ(かイ)なた

 か(こイ)なたに

   道はあれと

都へいさといふ

    人そ(のイ)なき

読み:あしびきのかなたこなたにみちはあれどみやこへいざといふひとのなき 隠

意味:筑紫の山もあちらこちらに道はあるが、私に「さあ都に帰りましょう」という人は誰もいない

作者;菅原道真すがわらのみちざね845~903菅公、菅丞相と称される。右大臣。遣唐大使に任命されるも遣唐使を廃止。藤原時平の讒言により大宰権帥に左遷され、大宰府で没した。漢詩、和歌、書をよくした。没後天満天神として祭られた。

備考:出典未詳 。大宰府天満宮の後世の者が道真の変わりになって詠んだと思われる和歌一群。八代集抄、定家十体、新古今和歌集抄出聞書(陽明文庫)



尭真ぎょうしん
安土桃山・江戸初期の真宗高田派の僧。専修寺13世。尭慧の長男。太政大臣近衛前久の猶子。正親町天皇・後陽成天皇、豊臣秀吉らの保護を受ける。元和5年(1619年)寂。71才。

写真は、太宰府政庁跡

平成27年9月22日 壱點伍

見えずかもあらむ 元明天皇からの視点

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それでは、元明天皇は毎日藤原京から夫草壁皇子の陵を見ていたのだろうか?

草壁皇子は、高取町束明神古墳に葬られているらしいことが明らかになっている。藤原京大極殿から、その墓陵が見えるか?と考えたが、どの山がそうか区別が付かない。そこで、その山である真弓丘の東から藤原京方面の眺望をGoogle Earthによって海抜177mの視点から見ると、図の通り藤原京大極殿が見える。

このことから、元明天皇は晴れた日は毎日、草壁皇子の墓陵辺りの山を見ていたこととなる。

ただし、墓陵は、標高が低い為に、マルヤマ古墳裏の真弓丘により際切られる。

万葉集巻第二167

日並皇子尊殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首并短歌

天地之 初時 久堅之 天河原尓 八百萬 千萬神之 神集 々座而 神分 々之時尓 天照 日女之命 天乎婆 所知食登 葦原乃 水穂之國乎 天地之 依相之極 所知行 神之命等 天雲之 八重掻別而  神下 座奉之 高照 日之皇子波 飛鳥之 浄之宮尓 神随 太布座而 天皇之 敷座國等 天原 石門乎開 神上 々座奴。

吾王 皇子之命乃 天下 所知食世者 春花之 貴在等 望月乃 満波之計武跡 天下 四方之人乃 大船之 思憑而 天水 仰而待尓 何方尓 御念食可 由縁母無 真弓乃岡尓 宮柱 太布座 御在香乎 高知座而 明言尓 御言不御問 日月之 數多成塗 其故 皇子之宮人 行方不知毛。

天地の 初めの時 ひさかたの 天の河原に 八百万 千万神の 神集ひ 集ひいまして 神分り 分りし時に 天照らす 日女の命 天をば 知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を 天地の 寄り合ひの極み 知らしめす 神の命と 天雲の 八重かき別きて 神下し いませまつりし 高照らす 日の御子は 飛ぶ鳥の 清御原の宮に 神ながら 太敷きまして すめろきの 敷きます国と 天の原 岩戸を開き 神上り 上りいましぬ。

我が大君 皇子の命の 天の下 知らしめしせば 春花の 貴くあらむと 望月の 満しけむと 天の下 食す国 四方の人の 大船の 思ひ頼みて 天つ水 仰ぎて待つに いかさまに 思ほしめせか つれもなき 真弓の岡に 宮柱 太敷きいまし みあらかを 高知りまして 朝言に 御言問はさぬ 日月の 数多くなりぬれ そこ故に 皇子の宮人 ゆくへ知らずも。

反歌

久堅乃 天見如久 仰見之 皇子乃御門之 荒巻惜毛
ひさかたの天見るごとく仰ぎ見し皇子の御門の荒れまく惜しも

茜刺 日者雖照者 烏玉之 夜渡月之 隠良久惜毛

あかねさす日は照らせれどぬばたまの夜渡る月の隠らく惜しも

写真は、高取町真弓丘と束明神古墳

恋歌四 光明皇后の待宵

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新古今和歌集 巻第十四 戀歌四


水無瀬の戀十五首の歌合に

太上天皇

里は荒れぬ

尾上の宮のおの

づから

待ち來し

宵も

昔なりけり

 

読み:さとはあれぬおのえのみやのおのずからまちこしよいもむかしなりけり 隠

意味:古い離宮のあった里も自然と今は荒れ果てて、后の宮が帝を待っていた宵も昔となってしまった。

作者:後鳥羽天皇ごとば1180~1239譲位後三代院政をしく。承久の変により隠岐に流される。多芸多才で、新古今和歌集の院宣を発し、撰者に撰ばせた後更に撰ぶ。

備考:水無瀬恋十五首歌合。尾の上の宮 高円山にあった離宮。

本歌 高円の峰尾上の宮は荒れぬとも立たしし君の御名は忘れめや(万葉集巻第二十 4507 大原今城)

二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十五首

依興各思高圓離宮處作歌五首

多加麻刀能 乎能宇倍乃美也波 安礼奴等母 多々志々伎美能 美奈和須礼米也

右一首治部少輔大原今城真人

八代集抄、美濃の家づと、常縁原撰本新古今和歌集聞書、新古今抜書抄、新古今注、九代抄、九代集抄、新古今和歌集抄出聞書(陽明文庫)

写真 高円離宮のあったと推定される高円高校から高円山を

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