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手鑑(中村記念美術館蔵) 後鳥羽院宸記

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手鑑(中村記念美術館蔵) 後鳥羽院宸記

 

十三日 丁丑 天?諸事如列。巳剋陰雲

間發然而不及雨降。午剋令蹴鞠如例。

同二點関白太相国參仰合衆徒事良

久明日可有公卿儀定且仰合比事也。

未剋着狩衣出外小時入内。申剋出馬場。

酉三點入内仰侍從信成所労自昨日

也。平愈然而依無力並未沐浴不參者也。

信成不歴日数平愈殊悦思也。殊信心

余奉祈念神明仍如早速之不念也。

仰今日未剋牛王侯前。子始名謁如例。


十四日 戊寅 天?諸事如例。巳三點蹴鞠

如例。伊賀守秀康依母事籠居五十

日過○後今日始出仕。申一點出馬場如

例。今日公卿左右府以下六七人參仰合

山門薗城寺南都衆徒事各不之

着座次第一人ヲ召寄テ内々致公間也。仍

各種々異儀多以申但所詮山門張本

可被召由大累一円也。子剋雨間降。名謁

如例

不明だった天、如、而、仰などの字は、中村祈念美術館「梅庵のたより」(平成7年3月発行)より。

金沢市立中村記念美術館 企画展「館蔵名品百選」にて展示。

期間:平成26年6月1日(日)〜8月31日(日)
※7月17日(木)休館

ただし、7月17日に展示替えの際、別葉にするとのこと。


手鑑(中村記念美術館蔵)の後鳥羽院宸記に関する考察

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1 はじめに

 中村美術館所蔵の手鑑は、重要文化財として認定を受けるほどの資料価値を有している。しかし、この価値を評価した論文は少ない。特に後鳥羽院宸記について、その内容を検証したものは皆無である。(CiiNiiによる)

 2014年6月1日(日)〜8月31日(日)企画展「館蔵名品百選」を開催し、同手鑑が4年振りに公開されたのを合わせてその日付について考察を試みるものである。

2 「十三日 丁丑 天晴…巳剋陰雲 十四日戊寅 天晴…子剋雨間降」から

 日本暦日便覧により、後鳥羽院の寿永(1182年)から隠岐に流された承久三年七月までで、十三日が丁丑(ひのとうし)の月を探し出し、同時期の日記である九条兼実の玉葉(玉)、藤原定家の明月記(明)の天候の記述をみると次の通り

文治四年(1188年)六月十三日 十三日 玉 晴 十四日 玉 晴

建久四年(1193年)七月十三日 十三日、十四日 記載無し

建久九年(1198年)十月十三日 十三日、十四日 記載無し

建仁三年(1203年)十一月十三日 十三日 明 晴 十四日 明 陰、雨間降

元久元年(1204年)正月十三日 十三日 明 晴 十四日 明 晴

承元三年(1209年)二月十三日 十三日、十四日 記載無し

建保二年(1214年)五月十三日 十三日 明 晴 十四日 明 晴

となる。

3 「関白太相国参」から

関白が、置かれていたのは、

九条兼実は、建久二年(1191年)から建久七年(1996年)

近衛基通は、建久七年(1996年)から建久九年一月(1198年)

近衛家実は、建永元年(1206年)から承久三年(1222年)

の三期となっており、文治四年、建久九年十月、建仁三年及び元久元年が除かれる。

つぎに太政大臣は、

九条兼実は、文治五年(1190年)から建久元年(1190年)、建仁二年(1202年)出家

藤原兼房は、建久二年(1191年)から建久七年(1196年)、正治元年(1199年)出家

藤原頼実は、正治元年(1199年)から元久元年(1204年)、建保四年(1216年)出家

九条良経 元久元年(1204年)から元久二年(1205年)、元久三年(1206年)薨去

藤原頼実(還任) 承元二年(1209年)十二月から承元三年一月(1209年)、嘉禄元年(1225年)薨去

三条公房 建保六年(1218年)から承久三年(1222年)12月、嘉禎元年(1235年)薨去

の六期となっている。文治四年、建久九年、承元三年、建保二年が除かれる。

 臨時の職である関白、太政大臣からは、一致するのは建久四年のみである。

 しかし、太相国と「太」になっていることから、太政大臣を経験した者と推察され、建久四年は兼実が該当し、承元三年と建保二年は、家実と頼実二人参内したすることができる。

 4 記載人物、信成と秀康

 十三日の条に記載されている信成は、藤原信成(水無瀬信成 建久八年(1197年)〜弘長二年(1262))と考えられる。信成は、後鳥羽院崩御の13日前に所領と菩提を弔うよう依頼があった国宝後鳥羽天皇宸翰御手印置文の申し送った者である。

 従って、建久八年生まれであることから、元久元年以前はまだ十歳も満たない元服前と考えられることから有り得ない。

 十四日の条にある秀康は、北面、西面武士で後鳥羽院の近臣藤原秀康と考えられる。歌人でもある藤原秀能の兄である。承久の変の際、京都方の大将軍として美濃、宇治川で幕府軍に敗北し、捉えられて斬首された。生年は不詳であるが、弟の秀能が元暦元年(1184年)生まれであることから、1180年頃と考えて良いだろう。 

 

5 山門円城寺興福寺の争い

 十三日に関白らが参内し、明日衆徒の事を話し合うとしている。山門(延暦寺)、園城寺(三井寺)、南都(興福寺)は、常に源平合戦以前から仲が悪く、それらの力と政権がぶつかり合い、源頼政の出陣と園城寺焼き討ち、南都の焼き討ちと平家との争いを始め悉く問題を起こしていた。ともに天台宗の主導権を争う延暦寺と園城寺、興福寺末寺である清水寺と興福寺から延暦寺に主導権が移った祇園八坂神社なども加わって度々戦を繰り返している。

 建暦三年八月三日 延暦寺衆徒らが清水寺の焼却を計り官兵と交戦し、建保二年四月十五日 延暦寺衆徒蜂起して、園城寺を襲撃放火し、園城寺の呼びかけで興福寺の蜂起が起こっている。 

6 考察

 天候に関しては、「子剋雨間降」から午前0時のことであり、明月記の同日条の曇り時々雨との違いから建仁三年は、除かれる。

 関白と太相国から、単独であれば、建久四年、関白家実と前太政大臣の二人で参内したとすれば、承元三年と建保二年が考えられる。

 更に信成の記述から、建久四年は除かれ、承元三年と建保二年のどちらかとなる。

 1月前に起こった仏教勢力の抗争からは、建保二年五月十三日、十四日となる。 

参考文献 

日本暦日便覧 上 暦日表篇 持統天皇6年(692)〜正慶2年(1333)。湯浅 吉美 編 汲古書院 

訓読明月記 第2巻 藤原定家 著 今川文雄 訳 河出書房新社 

玉葉 第3 九条兼実 著 国書双書刊行会編 名著刊行会

国史大系. 第9巻 公卿補任前編 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー

大日本史料 第4編ノ6 土御門天皇 正治元年正月〜建仁元年三月  東京帝国大学 編 東京帝国大学史料編纂所

三井寺 歴史年表

中村記念美術館に問い合わせたところ、既に調査が行われており、健保二年であるとのこと。同手鑑を紹介した「梅庵のたより」(平成7年3月発行)をお送りいただいた。不明だった字も判明した。

感謝申し上げます。

自閑

拙句

さみだれも厭わず歩む古都の華

鶴見大学所蔵断簡 新古今和歌集切り出し歌に関する考察

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寂蓮

           藤原隆方朝臣

さのミやは

 つれなかるへき者る可せに

山た能こほ里うちとけね可し


    題不知

 


さのみやはつれなかるべきはるかぜに山田の氷うちとけねかし
意訳
そのような状況ではとてもつれなかったが、春風も山田の氷を融かしているようですよ。貴女もうち解けてくださいよ。


私撰集
この歌は、万代和歌集 巻十 恋二にある
 恋歌に           藤原隆方朝臣
さのみやはつれなかるへきはるかせに山たのこほりうちもとけなん
万代和歌集は、初本は宝治二年九月の成立で、再撰本は建長二年成立となっている。


部類の考察
勅撰和歌集では、一番最初の題と次の歌が同じ場合は、その後は省略して記載されている。
この手鑑には、右隅に題不知とあることから、隆方の歌には題があったが切断されたと考えて良い。若しくは同じ題の歌が前にあった。

左隅の寂蓮は、筆者と思われて記されているが、新古今和歌集完成時には寂蓮は死んでいることから、この歌が新古今であれば寂蓮であるはずはなくなる。

新古今和歌集には、題知らずが571首あり、春歌上23首、賀歌7首、恋歌183首、雑歌123首ある。

春歌上の題知らずのうち、氷が融けるとする初春の歌は西行の歌一首であり、その前は藤原兼実右大臣家百首で時代が異なるので春歌ではない。

賀歌として、この歌を見た場合、賀歌の要素である高貴な者を言祝ぐ意味はないことから賀歌ではない。

恋歌は、五巻に別れており、恋歌一には
     正月に雨降り風吹きける日女に遣はしける    謙?公
春風の吹くにもまさるなみだかなわがみなかみも氷解くらし
     たびたび返事せぬ女に          (謙?公)
水の上に浮きたる鳥のあともなくおぼつかなさを思ふ頃かな
      題しらず           曾禰好忠
     返事せぬ女のもとに遣はさむとて人の読ませ侍りければ二月ばかりによみ侍りける

                                      和泉式部

あとをだに草のはつかに見てしがな結ぶばかりの程ならずとも

      題しらず           藤原興風
と続く。
 その他題知らずの前には、百首歌などが並んでおり、該当しそうな場所はない。
 恋歌二の題知らずの前歌には、題詠であるので、該当しそうな個所はない。
 恋歌三は、詞書が例えば「九月十日あまり夜更けて和泉式部が門を叩かせ侍りけるに聞き付けざりければ朝に遣はしける 大宰帥敦道親王」など個別なものであり、該当しそうな個所はない。
 恋歌四も同じく前半は個別な詞書、後半は歌合などの題詠なので、該当しそうな個所はない。
 恋歌五には、万代和歌集と同様な詞書き「戀歌とて 式子内親王」があるが、その後ろの歌は、題しらずではない。唯一該当しそうなな個所としては、
     久しくなりにける人のもとに  謙?公
長き世の盡きぬ歎の絶えざらばなににいのちをかへて忘れむ
     題しらず        權中納言敦忠
がある。

 雑歌は、三巻に別れており、該当しそうな個所はない。

 以上のことから、この歌が新古今和歌集に撰歌されたものであるなら、恋歌一の「たびたび返事せぬ女に 謙?公」の後が有力である。

 ただし、隆方歌が、個別の詞書をもって単独での入撰ならこれ以外の場所となる。

新古今和歌集に幻の一首 800年以上埋もれたまま 朝日新聞 2013年10月04日15時03分
鶴見大学(横浜市鶴見区)が所蔵する奈良〜室町期の写本の切れ端を集めた江戸期の「古筆手鑑(こひつてかがみ)」から、新古今和歌集に一度収録されたが、のちに除かれたとみられる未知の歌1首が見つかった。800年以上埋もれていたとみられ、新古今集の編集過程がうかがえる貴重な発見という。
見つかったのは、「さのみやはつれなかるべき春風に山田の氷うちとけねかし」という和歌。早春にこと寄せて打ち解けてほしいと恋人に呼びかける内容だ。作者の藤原隆方(1014〜78)は紫式部の夫の孫にあたる。
鶴見大の久保木秀夫准教授(国文学)が古筆手鑑を調べて、この歌を見つけた。歌が書かれた切れ端は、すでに発見されている新古今集「巻十一」の鎌倉初期の写本の切れ端と、字体や体裁などが一致し、同じ写本から切り取られたものと分かった。しかし、新古今集の全部の歌がそろった完本の写本にはない。
【以下閲覧制限】

天乃川影を宿せる水鏡織女の逢ふ瀬知らせよ 恵慶集 上 中村記念美術館

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金沢市立中村記念美術館 企画展「館蔵名品百選」 期間:6月1日(日)〜8月31日(日)に行く。

300百円で茶と菓子を頂く。茶器を選べるとのことなので、夏らしくというイメージで、初代中村梅山の色絵百合茶碗にした。

ほんの少しの碧みと茶の緑と渋みが半夏生の暑さを和らげてくれた。

干菓子は、万葉の花(諸江屋)ということで、万葉集にちなんだもの。

天乃川影を宿せる水鏡織女の逢ふ瀬知らせよ 恵慶集 上

に恵慶集も模様替えしていた。

滝の音や涼遠く聞くゆりの花  自閑

 

源氏物語 御法、幻、匂宮

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御法
紫上 惜しからぬこの身ながらも限りとて薪尽きなむ事の悲しさ
をしからぬこのみなからもかきりとてたききつきなむことのかなしさ


明石上 薪樵る思ひは今日を始めにてこの世に願ふ法ぞ春けき
たききこるおもひはけふをはしめにてこのよにねかふのりそはるけき


紫上 絶えぬべきながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを
たえぬへきみのりなからそたのまるるよよにとむすふなかのちきりを


花散里 結び置く契りは絶えじ大方の残り少なきなりとも
むすひおくちきりはたえしおほかたののこりすくなきみのりなりとも


紫上 置くと見る程ぞ儚きともすれば風に乱るる萩の上露
おくとみるほとそはかなきともすれはかせにみたるるはきのうはつゆ


源氏 ややもせば消えを争ふ露の世に遅れ先立つ程経ずもがな
ややもせはきえをあらそふつゆのよにおくれさきたつほとへすもかな


明石女御 秋風に暫し止まらぬ露の世を誰か草葉の上とのみ見む
あきかせにしはしとまらぬつゆのよをたれかくさはのうへとのみみむ


夕霧 古の秋の夕の恋しきに今はと見えし明け暮れの夢
いにしへのあきのゆふへのこひしきにいまはとみえしあけくれのゆめ


頭中将 古の秋さへ今の心地して濡れにし袖に露ぞ置き添ふ
いにしへのあきさへいまのここちしてぬれにしそてにつゆそおきそふ


源氏 露けさは昔今とも思ほえず大方秋の世こそ辛けれ
つゆけさはむかしいまともおもほえすおほかたあきのよこそつらけれ


秋好中宮 枯れ果つる野辺を憂しとや亡き人の秋に心を留めざりけむ
かれはつるのへをうしとやなきひとのあきにこころをととめさりけむ


源氏 昇りにし雲居ながらも返り見よ我飽き果てぬ常ならぬ世に
のほりにしくもゐなからもかへりみよわれあきはてぬつねならぬよに


源氏 我が宿は花持て囃す人も無し何にか春の尋ね来つらむ
わかやとははなもてはやすひともなしなににかはるのたつねきつらむ


蛍兵部卿宮 香を留めて来つる甲斐無く大方の花の便りと言ひやなすべき
かをとめてきつるかひなくおほかたのはなのたよりといひやなすへき


源氏 憂き世には雪消えなむと思ひつつ思ひの外に猶ぞ程経る
うきよにはゆききえなむとおもひつつおもひのほかになほそほとふる


源氏 植ゑて見し花の主も無き宿に知らず顔にて来居る鶯
うゑてみしはなのあるしもなきやとにしらすかほにてきゐるうくひす


源氏 今はとて嵐や果てむ亡き人の心留めし春の垣根を
いまはとてあらしやはてむなきひとのこころととめしはるのかきねを


源氏 泣く泣くも帰りにしかな仮の世は何処も終の常世ならぬに
なくなくもかへりにしかなかりのよはいつこもつひのとこよならぬに


明石上 雁が居し苗代水の絶えしより移りし花の影をだに見ず
かりかゐしなはしろみつのたえしよりうつりしはなのかけをたにみす


花散里 夏衣裁ち替へてける今日ばかり古き思ひも進みやはせぬ
なつころもたちかへてけるけふはかりふるきおもひもすすみやはせぬ


源氏 羽衣の薄きに替はる今日よりは空蝉の世ぞいとど悲しき
はころものうすきにかはるけふよりはうつせみのよそいととかなしき


中将君 さもこそは寄る辺の水に水草居め今日の挿頭よ名さへ忘るる
さもこそはよるへのみつにみくさゐめけふのかさしよなさへわするる


源氏 大方は思ひ捨ててし世なれども葵は猶や罪犯すべき
おほかたはおもひすててしよなれともあふひはなほやつみをかすへき


源氏 亡き人を偲ぶる宵の村雨に濡れてや来つる山時鳥
なきひとをしのふるよひのむらさめにぬれてやきつるやまほとときす


夕霧 時鳥君に伝なむ古里の花橘は今ぞ盛りと
ほとときすきみにつてなむふるさとのはなたちはなはいまそさかりと


源氏 徒然と我が泣き暮らす夏の日をかごとかましき虫の声かな
つれつれとわかなきくらすなつのひをかことかましきむしのこゑかな


源氏 夜を知る蛍を見ても悲しきは時ぞともなき思ひなりけり
よるをしるほたるをみてもかなしきはときそともなきおもひなりけり


源氏 七夕の逢瀬は雲の他所に見て別れの庭に露ぞ置き添ふ
たなはたのあふせはくものよそにみてわかれのにはにつゆそおきそふ


中将君 君恋ふる涙は際も無きものを今日をば何の果てと言ふらむ

きみこふるなみたはきはもなきものをけふをはなにのはてといふらむ

源氏 人恋ふる我が身も末に成り行けど残り多かる涙なりけり
ひとこふるわかみもすゑになりゆけとのこりおほかるなみたなりけり


源氏 諸共に起き居し菊の朝露も一人袂に掛かる秋かな
もろともにおきゐしきくのあさつゆもひとりたもとにかかるあきかな


源氏 大空を通ふ幻夢にだに見え来ぬ魂の行方尋ねよ
おほそらをかよふまほろしゆめにたにみえこぬたまのゆくへたつねよ


源氏 宮人は豊明に急ぐ今日日陰も知らで暮らしつるかな
みやひとはとよのあかりにいそくけふひかけもしらてくらしつるかな


源氏 死出の山越えにし人を慕ふとて跡を見つつも猶惑ふかな
してのやまこえにしひとをしたふとてあとをみつつもなほまとふかな


源氏 書き集めて見るも甲斐無し藻塩草同じく雲居の煙とをなれ
かきつめてみるもかひなしもしほくさおなしくもゐのけふりとをなれ


源氏 春までの命も知らず雪の内に色付く梅を今日挿頭てむ
はるまてのいのちもしらすゆきのうちにいろつくうめをけふかさしてむ


御仏名導師 千代の春見るべき花と祈り置きて我が身ぞ雪と共に経りぬる
ちよのはるみるへきはなといのりおきてわかみそゆきとともにふりぬる


源氏 物思ふと過ぐる月日も知らぬ間に年も我が世も今日や尽きぬる
ものおもふとすくるつきひもしらぬまにとしもわかよもけふやつきぬる


 

匂宮

薫 覚束な誰に問はまし如何にして始めも果ても知らぬ我が身ぞ

おほつかなたれにとはましいかにしてはしめもはてもしらぬわかみそ

平家物語 中院本 安元の大火

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平家物語 第一

御こしぶりの事

 

おなしき廿八日のいの

こくはかりに、ひくちとみのこうちへんより、火いてきたり。おりふしたつみの風はけ

しかりけれは、京中おほくやけにけり。きたのゝてんしんのこうはいとの、具へいしんわう

のちくさとの、とう三てうのかもゐとの、さい三てうのそめとの、ふゆつきのおとゝ

のかん院殿、ていしんくおの小一てう、せうせんこうのほりかは殿、たちばなのいちせい

か、はい松とのにいたるまてむかしいまのめい所廿よか所。くきやうの宿所たに、十七か所

まてやけにけり。てん上人、しょ大夫以下のいゑ/\は、しるすにおよはす。しやりんは

かりなるほむらか、三ちやう五ちやうをてたてゝ、とひこえ/\いぬゐをさしてやけ

ゆけは、おそろしなともをろかなり。はては大たいにふきつけたり。しゆしやく門より

はしめて、おうてんもん、、くうぃしやうもん、大こくてん、ふらく院、しよし八しやう、あひ

たん所、くわんのちょう、大かくれうにいたるまて、たゝいつしかのあいたのくわいしんの地

とそなりはてる。其他いゑ/\の日記、代々のもんしょ、七ちん万ほうさなからへんし

のけむりとなる。そのついゑいくそはくそや。人のやけしぬる事す百人。きゆはのたくい

かすをしらす。およそ此都三分の一はやけたりなとそ申ける。これたゝ事にあらす。

同じき廿八日の亥の刻ばかりに、樋口富小路辺より、火出できたり。

折節、辰巳の風激しかりければ、京中多く焼けにけり。

北野の天神の紅梅殿、具平親王の千種殿、東三条の鴨居殿、西三条の染殿、冬嗣の大臣の閑院殿、貞信公の小一条、昭宣公の堀川殿、橘逸勢が這松殿にいたるまで、昔今の名所廿四か所、公卿の宿所だに十七か所まで焼けにけり。

殿上人、諸大夫以下の家々は、記すに及ばず。

車輪ばかりなる火が、三町五町を隔てて、飛び越え/\、戌亥をさして焼け行けば、恐ろしなども愚かなり。

果ては大内に吹き付けたり。

朱雀門より始めて、応天門、会昌門、大極殿、豊楽院、諸司八省、朝所、官庁、大学寮に至るまで、只一時の間の灰燼の地とぞ成り果てける。

其外家々の日記、代々の文書、七珍万宝さながら変事の煙となる。其費えいくそばくぞや。

人の焼け死ぬる事数百人。

牛馬の類数を知らず。

およそ此の都、三分の一は焼けたりなどぞ申ける。

是、只事に非ず。

参考

 校訂 中院本平家物語 上 今井正之助 遍 三弥井書店

平家物語 中院本 治承の辻風

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平家物語 巻第三

つじかせの事

おなしき五月十二日のむまのこくはかりに、

京中にはつし風をひたゝしくふきて、やおほくてんたうす。むねかとひらかとふき

ぬき/\、四五ちやう十ちやうになけすてなとしけるうへは、けたなけしはしらなと

はこくうにあかり、ひわたふきいたのたくひは、ふゆのこのはのかせにみたるゝかことし

人もおほくいのちをうしない、きゅうは六ちくのたくひかすをつくしうちころさる。これ

たゝ事にあらすとて…

辻風の事

同じき五月十二日の午の刻ばかりに、京中には辻風夥しく吹きて、屋多く顛倒す。

宗門平門吹き抜き/\、四五町十町に投げ棄てなどしける上は、桁、長押、柱などは虚空に上がり、檜皮葺板の類は、冬の木の葉の風に乱るゝが如し。

人も多く命を失い、牛馬六蓄の類、数を尽くし殺さる。

これ、只事に非ずとて…

参考

校訂 中院本平家物語 上 今井正之助 遍 三弥井書店

源氏物語 紅梅 竹河 橋姫

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紅梅
紅梅 心有りて風の匂はす園の梅にまづ鶯の訪はすや有るべき
こころありてかせのにほはすそののうめにまつうくひすのとはすやあるへき

匂宮 花の香に誘はれぬべき身なりせば風の便りを過ぐさましやは
はなのかにさそはれぬへきみなりせはかせのたよりをすくさましやは

紅梅 本つ香の匂へる君が袖触れば花萌えならぬ名をや散らさむ
もとつかのにほへるきみかそてふれははなもえならぬなをやちらさむ

匂宮 花の香を匂はす宿に泊め行かば色に愛づとや人の咎めむ
はなのかをにほはすやとにとめゆかはいろにめつとやひとのとかめむ

竹河
玉鬘宰相君 折りてみばいとど匂ひも勝るやと少し色めけ梅の初花
をりてみはいととにほひもまさるやとすこしいろめけうめのはつはな

薫 他所にては?ぎ木なりとや定むらむ下に匂へる梅の初花
よそにてはもききなりとやさたむらむしたににほへるうめのはつはな

蔵人少将 人は皆花に心を移すらむ一人ぞ惑ふ春の夜の闇
ひとはみなはなにこころをうつすらむひとりそまとふはるのよのやみ

玉鬘女房 折からやあはれも知らむ梅の花ただ香ばかりに移りしもせじ
をりからやあはれもしらむうめのはなたたかはかりにうつりしもせし

薫 竹河の端うち出でし一節に深き心の底は知りきや
たけかはのはしうちいてしひとふしにふかきこころのそこはしりきや

藤侍従 竹河に夜を更かさじと急ぎしも如何なる節を思ひおかまし
たけかはによをふかさしといそきしもいかなるふしをおもひおかまし

玉鬘大君 桜故風に心の騒ぐかな思ひぐまなき花と見る見る
さくらゆゑかせにこころのさわくかなおもひくまなきはなとみるみる

玉鬘宰相君 桜とてかつは散りぬる花なれば負くるを深き恨みともせず
さくとみてかつはちりぬるはななれはまくるをふかきうらみともせす

玉鬘中君 風に散る事は世の常枝ながら移ろふ花をただにしも見じ
かせにちることはよのつねえたなからうつろふはなをたたにしもみし

玉鬘大輔君 心ありて池の汀に落つる花泡となりても我が方に寄れ
こころありていけのみきはにおつるはなあわとなりてもわかかたによれ

玉鬘中君女童 大空の風に散れども桜花己が物とぞ掻き集めて見る
おほそらのかせにちれともさくらはなおのかものとそかきつめてみる

玉鬘大君なれき 桜花匂ひ数多に散らさじと思ふばかりの袖はありやは
さくらはなにほひあまたにちらさしとおほふはかりのそてはありやは

薫 つれなくて過ぐる月日を数へつつもの恨めしき暮の春かな
つれなくてすくるつきひをかそへつつものうらめしきくれのはるかな

蔵人少将 いでやなぞ数ならぬ身に適はぬは人の負けじの心なりけり
いてやなそかすならぬみにかははぬはひとにまけしのこころなりけり

玉鬘中将御許 理無しや強きに寄らむ勝ち負けを心一つに如何任する
わりなしやつよきによらむかちまけをこころひとつにいかかまかする

蔵人少将 哀れとて手を許せかし生き死にを君に任する我が身とならば
あはれとててをゆるせかしいきしにをきみにまかするわかみとならは

蔵人少将 花を見て春は暮らしつ今日よりや繁き歎きの下に惑はむ
はなをみてはるはくらしつけふよりやしけきなけきのしたにまとはむ

玉鬘中将御許 今日ぞ知る空を眺むる気色にて花に心を移しけりとも
けふそしるそらをなかむるけしきにてはなにこころをうつしけりとも

玉鬘大君 哀れてふ常ならぬ世の一言も如何なる人に隠るものぞは
あはれてふつねならぬよのひとこともいかなるひとにかくるものそは

蔵人少将 生ける世の死には心に任せねば聞かでや止まむ君が一言
いけるよのしにはこころにまかせねはきかてややまむきみかひとこと

薫 手に隠る物にしあらば藤の花松より勝る色を見しまや
てにかくるものにしあらはふちのはなまつよりまさるいろをみましや

藤侍従 紫の色は通へど藤の花心に得こそ掛からざりけれ
むらさきのいろはかよへとふちのはなこころにえこそかからさりけれ

玉鬘大君女房 竹河のその夜の事は思ひ出づや忍ぶばかりの節はなけれど
たけかはのそのよのことはおもひいつやしのふはかりのふしはなけれと

薫 流れての頼め空しき竹河に世は憂きものと思ひ知りにき
なかれてのたのめむなしきたけかはによはうきものとおもひしりにき

橋姫
八宮 うち捨てて番ひ去りにし水鳥のかりのこの世に立ち後れけむ
うちすててつかひさりにしみつとりのかりのこのよにたちおくれけむ

大君 いかでかく巣立ちけるぞと思ふにも憂き水鳥の契りをぞ知る
いかてかくすたちけるそとおもふにもうきみつとりのちきりをそしる

中君 泣く泣くも羽うち著する君なくば我ぞ巣守になるべかりける
なくなくもはねうちきするきみなくはわれそすもりになるへかりける

八宮 見し人も宿も煙になりにしを何とて我が身消え残りけむ
みしひともやともけふりになりにしをなにとてわかみきえのこりけむ

冷泉院 世を厭ふ心は山に通へども八重立つ雲を君や隔つる
よをいとふこころはやまにかよへともやへたつくもをきみやへたつる

八宮 跡絶えて心すむとは無けれども世を宇治山に宿をこそ借れ
あとたえてこころすむとはなけれともよをうちやまにやとをこそかれ

薫 山颪に堪へぬ木の葉の露よりもあやなく脆き我が涙かな
やまおろしにたへぬこのはのつゆよりもあやなくもろきわかなみたかな

薫 朝ぼらけ家路も見えず尋ね来し槙の尾山は霧こめてけり
あさほらけいへちをみえすたつねこしまきのをやまはきりこめてけり

大君 雲のゐる峯の懸け路を秋霧のいとど隔つる頃もあるかな
くものゐるみねのかけちをあききりのいととへたつるころにもあるかな

薫 橋姫の心を汲みて高瀬差す棹の雫に袖ぞ濡れぬる
はしひめのこころをくみてたかせさすさをのしつくにそてそぬれぬる

大君 差しかへる宇治の川長朝夕の雫や袖を朽し果つらむ
さしかへるうちのかはをさあさゆふのしつくやそてをくたしはつらむ

柏木 目の前にこの世を背く君よりも他所に分かるる魂ぞ悲しき
めのまへにこのよをそむくきみよりもよそにわかるるたまそかなしき

柏木 命あらばそれとも見まし人知れぬ岩根にとめし待つの生末
いのちあらはそれともみましひとしれぬいはねにとめしまつのおひすゑ


平家物語 屋代本 安元の大火

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同廿七日亥(イノ)剋斗ニ樋(ヒ)口

冨(トミノ)小路ヨリ火出來テ折リ節(フシ)巽(タツミ)ノ風吹ケハ大ナル車

輪ノ如クナルホムラカ三町五町ヲ隔テ乾(イヌイ)ヲ指テ飛越〃〃

焼行ハ京中多ク焼ニケリ。怖シナトモ愚(ヲロ)カナリ。或ハ良(ヨシ)相(スケ)

公西三条 北野ノ天神ノ紅梅殿。或ハ具(ク)平親王之

千種(クサ)殿、鬼殿、這松殿ヲ始トシテ昔今ノ名所卅余ヶ

所。公卿ノ家タニモ十六ヶ所。マテ焼ニケリ。ハテハ内裏ニ

吹付テ朱雀門ヲ始トシテ應天門、會昌門、豊(フ)樂院

諸司八省アイタム所ニ至マテ、一時カ内ニ灰燼(クワイシン)ノ地トソ成ニケリ。

其ノ外ノ家々ノ日記代々ノ文書七珎萬寶サナカラ塵灰(クワイ)

トソ成ニケル。其ノ際ノ費(ツイヘ)如何(イカ)斗ソヤ。人ノ焼死ル事ノ數

百人。牛馬ノ類(タク)イカスシラス。是只事ニ非ス。

屋代( )内は、ルビで朱字で加筆。区切りはページ。

本平家物語 角川書店 貴重古典籍叢刊 9  国学院大学図書館蔵

源氏物語 椎本 総角

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椎本
八宮 山風に霞吹き解く声はあれど隔てて見ゆる遠の白波
やまかせにかすみふきとくこゑはあれとへたててみゆるをちのしらなみ


匂宮 遠近の汀の浪は隔つともなほ吹き通へ宇治の川風
をちこちのみきはになみはへたつともなほふきかよへうちのかはかせ


匂宮 山桜匂ふ辺りに尋ね来て同じ挿頭を折りてけるかな
やまさくらにほふあたりにたつねきておなしかさしをわりてけるかな


八宮 挿頭折る花の便りに山賤の垣根を過ぎぬ春の旅人
かさしをるはなのたよりにやまかつのかきねをすきぬはるのたひひと


八宮 我亡くて草の庵は荒れぬともこの一言は枯れじとぞ思ふ
われなくてくさのいほりはあれぬともこのひとことはかれしとそおもふ


薫 如何ならむ世にか離れせむ長き世の契結べる草の庵は
いかならむよにかかれせむなかきよのちきりむすへるくさのいほりは


匂宮 牡鹿鳴く秋の山里如何ならむ小萩が露の掛かる夕暮
をしかなくあきのやまさといかならむこはきかつゆのかかるゆふくれ


大君 涙のみ霧塞がれる山里は籬に鹿ぞ諸声に鳴く
なみたのみきりふたかれるやまさとはまかきにしかそもろこゑになく


匂宮 朝霧に友惑はせる鹿の音を大方にやはあはれとも聞く
あさきりにともまとはせるしかのねをおほかたにやはあはれともきく


薫 色変はる浅茅を見ても墨染めに窶るる袖を思ひこそやれ
いろかはるあさちをみてもすみそめにやつるるそてをおもひこそやれ


大君 色変はる袖をば露の宿りにて我が身ぞ更に置き所無き
いろかはるそてをはつゆのやとりにてわかみそさらにおきところなき


薫 秋霧の晴れぬ雲居にいとどしくこの世を仮と言ひ知らすらむ
あききりのはれぬくもゐにいととしくこのよをかりといひしらすらむ


大君 君亡くて岩の懸道絶えしより松の雪をも何とかは見る
きみなくていはのかけみちたえしよりまつのゆきをもなにとかはみる


中君 奥山の松葉に積もる雪とだに消えにし人を思はましかば
おくやまのまつはにつもるゆきとたにきえにしひとをおもはましかは


大君 雪深き山の架橋君ならで又ふみ通ふ跡を見ぬかな
ゆきふかきやまのかけはしきみならてまたふみかよふあとをみぬかな


薫 氷柱閉ぢ駒踏みしたく山河を導しがてらまづや渡らむ
つららとちこまふみしたくやまかはをしるへしかてらまつやわたらむ


薫 立ち寄らむ蔭と頼みし椎が本空しき床に成りにけるかな
たちよらむかけとたのみししひかもとむなしきとこになりにけるかな


大君 君が折る峰の蕨と見ましかば知られやせまし春の印も
きみかをるみねのわらひとみましかはしられやせましはるのしるしも


中君 雪深き汀の小芹誰がために摘みかはやさむ親無しにして
ゆきふかきみきはのこせりたかためにつみかはやさむおやなしにして


匂宮 伝に見し宿の桜をこの春は霞隔てず折りて挿頭さむ
つてにみしやとのさくらをこのはるはかすみへたてすをりてかささむ


中君 何処とか尋ねて折らむ墨染めに霞籠めたる宿の桜を
いつくとかたつねてをらむすみそめにかすみこめたるやとのさくらを


総角
薫 総角に長き契りを結び込め同じ所に縒りも合はなむ
あけまきになかきちきりをむすひこめおなしところによりもあはなむ


大君 貫きもあへず脆き涙の玉の緒を長き契りを如何結ばむ
ぬきもあへすもろきなみたのたまのをになかきちきりをいかかむすはむ


薫 山里の哀れ知らるる声々にとり集めたる朝朗けかな
やまさとのあはれしらるるこゑこゑにとりあつめたるあさほらけかな


大君 鳥の音も聞こえぬ山と思ひしを世の憂きことは訪ね来にけり
とりのねもきこえぬやまとおもひしをよのうきことはたつねきにけり


薫 同じ枝を分きて染めける山姫に何れか深き色と問はばや
おなしえをわきてそめけるやまひめにいつれかふかきいろととははや


大君 山姫の染むる心は分かねども移ろふ方や深きなるらむ
やまひめのそむるこころはわかねともうつろふかたやふかきなるらむ


匂宮 女郎花咲ける大野を防ぎつつ心狭くや注連を結ふらむ
をみなへしさけるおほのをふせきつつこころせはくやしめをゆふらむ


夕霧 霧深きあしたの原の女郎花心を寄せて見る人ぞ見る
きりふかきあしたのはらのをみなへしこころをよせてみるひとそみる


薫 導せし我や返りて惑ふべき心も行かぬ明け暗れの道
しるへせしわれやかへりてまとふへきこころもゆかぬあけくれのみち


大君 方々に暗す心を思ひやれ人遣りならぬ道に惑はば
かたかたにくらすこころをおもひやれひとやりならぬみちにまとはは


匂宮 世の常に思ひやすらむ露深き道の笹原分けて来つるも
よのつねにおもひやすらむつゆふかきみちのささはらわけてきつるも


薫 小夜衣着て馴れきとは言はずとも恨言ばかりは掛けずしも有らじ
さよころもきてなれきとはいはすともかことはかりはかけすしもあらし


大君 隔て無き心ばかりは通ふとも馴れし袖とは掛けじとぞ思ふ
へたてなきこころはかりはかよふともなれしそてとはかけしとそおもふ


匂宮 中絶えむ物ならなくに橋姫の片敷く袖や夜半に濡らさむ
なかたえむものならなくにはしひめのかたしくそてやよはにぬらさむ


中君 絶えせじの我が頼みにや宇治橋の遙けき仲を待ち渡るべき
たえせしのわかたのみにやうちはしのはるけきなかをまちわたるへき


蔵人少将 いつぞやも花の盛りに一目見し木の下さへや秋は寂しき
いつそやもはなのさかりにひとめみしこのもとさへやあきはさひしき


薫 桜こそ思ひ知らすれ咲き匂ふ花も紅葉も常ならぬ世を
さくらこそおもひしらすれさきにほふはなももみちもつねならぬよを


衛門督 何処より秋は行きけむ山里の紅葉の蔭は過ぎ憂きものを
いつこよりあきはゆきけむやまさとのもみちのかけはすきうきものを


中宮大夫 見し人も無き山里の岩垣に心長くも這へる葛かな
みしひともなきやまさとのいはかきにこころなかくもはへるくすかな


兵部卿宮 秋果てて寂しさ勝る木の本を吹きな過ぐしぞ峰の松風
あきはててさひしさまさるこのもとをふきなすくしそみねのまつかせ


匂宮 若草の寝見むものとは思はねど結ぼほれたる心地こそすれ
わかくさのねみむものとはおもはねとむすほほれたるここちこそすれ


匂宮 眺むるは同じ雲居を如何なれば覚束なさを添ふる時雨ぞ
なかむるはおなしくもゐをいかなれはおほつかなさをそふるしくれそ


中君 霰降る深山の里は朝夕に眺むる空もかき暗しつつ
あられふるみやまのさとはあさゆふになかむるそらもかきくらしつつ


薫 霜冴ゆる汀の千鳥打ち侘びて鳴く音悲しき朝朗けかな
しもさゆるみきはのちとりうちわひてなくねかなしきあさほらけかな


中君 暁の霜打ち払ひ鳴く千鳥物思ふ人の心をや知る
あかつきのしもうちはらひなくちとりものおもふひとのこころをやしる


薫 かき曇り日影も見えぬ奥山に心を暗す頃にあるかな
かきくもりひかけもみえぬおくやまにこころをくらすころにもあるかな


薫 紅に落つる涙も甲斐なきは形見の色を染めぬなりけり
くれなゐにおつるなみたもかひなきはかたみのいろをそめぬなりけり


薫 遅れじと空行く月を慕うかな終に住むべきこの世ならねば
おくれしとそらゆくつきをしたふかなつひにすむへきこのよならねは


薫 恋詫びて死ぬる薬のゆかしきに雪の山にや跡を消なまし
こひわひてしぬるくすりのゆかしきにゆきのやまにやあとをけなまし


薫 来し方を思ひ出づるも儚きを行く末掛けて何頼むらむ
きしかたをおもひいつるもはかなきをゆくすゑかけてなにたのむらむ


匂宮 行く末を短き物と思ひなば目の前にだに背かざらなむ
ゆくすゑをみしかきものとおもひなはめのまへにたにそむかさらなむ

平家物語 屋代本 治承辻風

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第三巻
五月二日辻風事


同五月十五日午剋斗ニ天下ニ辻風ヲヒタゝシク吹テ人屋(ンオク)多

ク顛倒ス。都ノ内ニモ棟門平門吹ヌイテ四五町十町吹

以ユキ桁長押(ケタナケシ)柱虚空ニチリ檜皮葺板ノ類(ヒ)冬ノ木

葉ノ風ニ乱ルカ如シ。鳴(ナリ)トヨム事地獄ノ業(コウ)風ナリトモ是ニ

ハ過シトソ覚ヘシ。人ノ打殺サルゝ事数百人。牛馬ノ類(ヒ)数ヲ

不知。是只事ニアラス。

( )内は、ルビで朱字で加筆

屋代本平家物語 角川書店 貴重古典籍叢刊 9  国学院大学図書館蔵

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巻第十二
元暦二年七月九日大地震事


上下安堵シテ思程ニ同七月九日ノ午(ノ)剋

斗ニ大地震(ヲヒタヽ)シク動(ウコ)イテ良久シ怖(ヲソロ)シナントモ愚(カ)也。赤【縣】中

白河邊(ン)六勝寺九重(ノ)塔(タウ)ヲ初テ或ハ倒(タウレ)臥(シ)、或ハ破(ヤフ)レ崩(クツ)ル

在々所々神社佛閣皇居(キヨ)民屋全(マツタ)キハ一宇(ウ)モナシ。上カル

塵ハ煙(リ)ノ如シ。崩(クツル)ル音ハ雷(イカツチ)ニ似リ。天闇(クラ)クシテ日ノ光モ不(ス)見(ヘ)老少

共ニ魂(タマシイ)ヲ消(ケ)シ鳥獣悉(コト/\)ク心ヲ迷(マト)ハス。遠國近國モ又如(シ)此。山

崩(クツレ)テ河ヲ埋(ウツ)ミ、海傾(カタフヒ)テ濱(ハマ)ヲ浸(ヒタ)ス。興(オキ)漕(コク)舟ハ浪ニ漂(タヽヨ)ヒ、陸(クカ)行

駒(コマ)ハ足(アシ)ノ立所ヲ迷(マヨ)ハス。大地割(サケ)テ水涌(ハキ)出ツ。岩(キシ)ワレテ谷ヘマロフ

洪(コウ)水漲(ミナギリ)來(キタラ)ハ岳(ヲカ)ニ登(ノホリ)テモ、ナトカハ可キ不ル助(タスケ)、猛(ミヤウ)火燃ヘ來(キタラ)ハ河ヲ

隔(ヘタテ)テモ暫(シハシ)ハ可(シ)去ヌ。又非(アラサレハ)鳥に空(ソラ)ヲモ不翅(カケラ)、非龍ニ子ハ雲ニモ

難シ入リ。只悲(カナシ) カリケルハ大地震(シン)也。四大種ノ中(ウチ)ニ水火風ハ)常(ツ子)ニ

害(カイ)ヲ成(セ)共、猶(ナヲ)大地ハ異(コト)ナル變ヲ成ス。

…略…

 


【縣】縣に石
屋代本平家物語 角川書店 貴重古典籍叢刊 9  国学院大学図書館蔵

平家物語 熱田本 安元の大火

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五町乾方筋違ニ飛ビ越々々焼ケ行ケバ惶愚

也。或ハ具平親王千種殿或ハ小野天神ノ紅梅

殿橘逸勢這松殿鬼殿高松殿鴨居

東三条冬嗣ノ大臣閑院殿昭宣公堀

川殿始メ是ヲ古シ今ノ名所三十余箇所公卿

家ダニモ十六箇所マデ焼ニケリ。其外殿上人諸大夫ノ家

家不及註スルニ終ニハ吹キ着ケテ干大内従リ朱雀門始テ

應天門會昌門大極殿豊樂院諸司

八省朝所一時ガ中ニ皆為ニケリ灰燼ノ地トゾ○家々

日記代々ノ文書七珍万宝流石為リヌ塵灰ト。

其間ノ幣ヘ幾多。人之焼ケ死ヌル数百人牛

馬ノ類不知ラ数。不是啻事。…略…

平家物語 熱田本 治承辻風

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同五月十二日ノ午ノ克討亰中ニ飊震吹人屋多

顛倒ス。風ハ自中御門京極起キ坤方ヘ吹行吹抽棟

門平門四五町十町吹富価桁長押柱何虚

空ニ散在ス。檜皮葺板ノ類冬ノ木葉ノ如乱風。鳴響音彼

地獄業風成不過之見唯不○屋○○先命

人○牛馬ノ類○数散。是非唯事ニ。

平家物語 熱田本 都還

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巻第五
同十二月二日俄在

帰亰。新都ハ北ハ副(ヒテ)石高(タカシ)、南ハ海比(チカク)下浪音勢讙

塩風所荒也。


平家物語 熱田本 元暦大地震

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巻第十三
同七月九日ノ午剋許

大地震動良久シ赤縣ノ内白河ノ邊リ六勝寺皆破レ

崩レ九重ノ塔モ上ヘ六重振零ス得長壽院モ三十三間ノ御

堂ヲ十七間マデ振倒ス。ハジメテ皇居ヲ人々家々都而在々所

々神社佛閣早ノ民屋皆悉破崩ル々ル音ハ如ク雷ノ。上カル

塵ハ如シ煙ノ。天闇ク不見日ノ光。

…略…

大地割ケテ水涌出デ盤石

破レテ谷ヘ轉ブ。山崩テ塞ツミ河ヲ海漂ヒテ浸濱。汀漕グ舩揺レ浪。

平家物語 熱田本 元暦大地震2

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陸行駒ハ失足立跡シ。洪水漲り来ノボルモ岳何トカ不シ助カラ。

猛火焼來ラバ間モ川ヲ隔シモ可シ去ンヌ。只悲リケルハ大地震也。非サレバ鳥空ヲモ

難ク翔リ、非龍雲ニモ亦難シ昇。白河六波羅京中ニ被打

塞死ヌル者莫太不知数ヲ。四大衆ノ中ニ水火風ハ常ニ成セドモ

害ヲ於イテハ大地ニ異ナル不成変。呼為如何○上下立遣戸障子ヲ


…略…

文徳天皇御宇

斉衡三年三月八日ノ大地震ニハ振零シリムル東大寺ノ佛ノ御頭シ耶(カヤ)

平家物語 平松家本 治承辻風

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巻第三

辻風

左有程ニ同キ五月十二日午剋計亰中飈(ツジカゼ)喝(ヲヒタヽシ)起吹、人屋

多ク顛倒ス。風中御門亰極ヨリ艮方吹持行棟門平門ヲ吹

抜テ四五町十丁持テ行、桁タ長ナ押シ柱ナトハ虚空ニ散在ス。檜(ヒ)皮葺(フキ)

板ノ類(タ)イ、冬ノ木葉ノ風ニ乱喝(コトシ)。起鳴動揺スル事地獄ノ業風ナリトモ是ニハ過トソ見。

只舎屋破損スル耳ナラス命ヲ失フ人多ク、牛馬ノ類数不知打殺。是啻事ニ

非。 

ツジカゼは、風遍に鬼を飈で代用。

平家物語 平松家本 都還

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巻第五

同十一月

二日俄都遷有ケリ。新都ハ北ハ山々副ヒテ高ク、南ハ海近ク下ケリ。波音

常ハ喧シク潮風烈シキ所也。

平家物語 熱田本 太宰府

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巻第八

人々家々ハ○ナル田中成ケレハ、不トモ擣麻衣ハ可シ謂ツ十市

里ト。内裏ハ山ノ中カ成レハ彼木ノ丸殿モ斯ヤト與見テ中〃在ケリ優ナル方モ。

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