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Channel: 新古今和歌集の部屋
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小倉山百人一首 山部赤人

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山邉の赤人

田子のうらに
 うちいでゝ
みれば

 妙の
冨士の高根
     に
 雪はふりつゝ
ーーーーーーーー
○山邉赤人
あかみとゝよむ説
あれ○たゞ赤人と
よむがよきなり
父祖不詳
神亀の比の人也
是は人丸とおなじく
秘傳ある事也
山邉は姓なる所
の名なりそれを
姓とす人丸の后
を犯て流されしが
万葉の時召かえ
されて赤人と名を
かへたりと云説ある
古今序に山邊赤人
といふべ人丸は赤人
が上に立んとかたく
赤人は人丸が下に
たゝんとかたなん
ありけるとあり
別人なる事
   明けし
ーーーーーーーーーーーーーーーー
此哥の心は田子の浦に舩さし出てかへり
見るに冨士の高根の雪も見へ眺望
かぎりなくして心詞に及ぬに高根に
雪をみたる心を思ひ入てぎんみすべし
海辺のおもしろきこと○をも高根の妙
なるをも詞にはたす事なくてその
さまばかりをいひのべたること○なるか
こそあか人の哥をば古今にも哥にあ
やしくたへ哉といへりきめうの心なり
なを此雪はふりつゝといへる余情かぎり
なし
○季注に曰田子の浦に出て冨士の
高ねを見つる景氣言説に及
所になければ其てい斗をいひて
風致おのづからこもれり然ば此哥を
ことはるも又舌頭の及ぶ所にあらず
ーーーーーーーーーーーーーーーー

時代不同歌合絵巻 元良親王vs定家 東博

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卅一番
 左      元良親王
はなのいろはむかしながらにみし人の
こゝろのみこそうつろひにけれ
 右      権中納言定家
ひとりぬるやまどりのをのしだりおに
しもおきまよふとこの月かげ
卅二番
 左
あふことはとをやます(ど)りのか(す)りごろも
きてはかひなきねをのみぞなく
 右
おぐらやましぐるゝころのあさな/\
きのふはうすきよものもみぢ葉
卅三番
 左
わびぬればいまはたをなじなにはなる
身をつくしてもあはんとぞおもふ
 右
きえわびぬうつろふ人の秋のいろに
身をこがらしのもりのしたつゆ

重要文化財 為家本時代不同歌合絵巻
東京国立博物館蔵
名称:為家本時代不同歌合絵
年代世紀:鎌倉時代・14世紀
列品番号:A-19

後撰集集
 元良親王兼茂朝臣のむすめに住み侍りけるを
 法皇の召してかの院にさぶらひければえ逢ふ
 ことも侍らざりければあくる年の春花の枝に
 さしてかの曹司に挿し置かせける
花の色は昔ながらに見し人の 心のみこそうつろひにけれ

秋哥上
 百首歌奉りし時
ひとり寝る山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月かげ 隠 隆
※定家が権中納言に任じられたのは寛喜4年(1232年)1月30日で筆者は子の為家なので間違いでは無い。ここで前述の家隆の官位と矛盾が生じる。
※宮内庁書陵部蔵は、三十二番で撰歌。

後撰
 しのびて通ひ侍りける女のもとより狩装束送り
 て侍りけるに、摺れる狩衣侍りけるに
逢ふことは遠山ずりの狩衣きてはかひなき音をのみぞなく
※遠山ずりと遠山どりの二種類が伝わっている。

続後撰集
 建保五年四月庚申秋朝
小倉山しぐるるころの朝な朝な昨日はうすき四方のもみぢ葉

後撰集
 事いできてのちに京極御息所につかはしける
わびぬれば今はたおなじ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ

恋歌四
 千五百番歌合に
消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露 隠 通隆雅(前田)

小倉山百人一首 顕輔

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 左京大夫顕輔
秋かぜに
 たなびく

 の
絶間
  より
もれ出る
   月の
影のさやけさ
ーーーーーーーーー
○左京大夫顕輔
修理太夫顕季
三男詞花集撰
者六条家和歌
一流

中/\に
 くもるを
  見えて
はるゝよの
 月の
  光りは
そふこゝち
    する
ーーーーーーーーーーーーーーーー
此哥の心は秋風の雲を所/"\つき
はらしたるより月のかげのさし
出たるはせいてんのけしきより猶
月もあきらかなるやうにおもし
ろき事もなきやうなれども
よせいありておもしろき哥也
玄旨曰心はなし但さやけさとい
へるより心少しかわれり月も
雲ゐを出たるはあらたにさやか
にてしかもおもしろく見ゆる
心まちてさやかなる月見
○たるやうなり
○季注に
 西風磨出白雲月
ーーーーーーーーーーーーーーーー
※なかなかに 西行

小倉山百人一首 伊勢

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 伊勢

難波
 がた
みじ
 かき
あしの
ふしのま
   も
あはで
 この世を
過してよとや
ーーーーーーーー
○伊勢
祭主輔親母
上東門院女房
仍号伊勢大輔
系圖大中臣能
宣が所ニアリ
上東門院中宮
ノ時候ト云云
玉簪曰天子門
九ツアリ
謂開門
遠郊門
近郊門
城門
皐門
庫門
雉門
應門
路門
※伊勢と伊勢大輔の錯綜があり、伊勢の略歴は伊勢大輔の欄にある。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
此哥の心はあしをいはんとてなにはがた
とていひみじかきほどのふしのまと人
とぬるまわづかなるによせていひあは
で此よをすごせとやといふこの世もあし
のふしのまのよをいひかけたるなり
すこしのまもぬるよなしにすごさんと
いへりなにはがたとは大やうによくいひ出したり
五もじに君臣ありこれは君のかたの
五もじこひしといひつめてちうとなる
もありよく/\な別すべきことぞ
心は今までつもりし思ひをかぞえ
あげたるなり
恋に妬に終あり此哥は終の心也
かやうの哥をばおほよそに見ては
曲あるべからると云々
ーーーーーーーーーーーーーーーー
巻第十一 恋歌一

小倉山百人一首 清輔

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 藤原清輔朝臣

ながらへば
   また
此ごろや

ばれむ
うし
 と見し
   世ぞ
今は恋しき
ーーーーーーーーー
○藤原清輔
皇太后宮前大
進正四位下

房前五十二代左京大夫従二位
顯輔─┬───清輔─┐
┌──┘  ┌───┘ 
│大貮正三位└季經
├重家─────┐
└顕昭  ┌──┘
     ├經家正三位
┌────┘
├顕家 従三位
│   正三位大藏
├有家─────┐
│       │
└保季     │
┌───────┘
│    正三位  
│┌知家────┐
└┴有季    │
┌───────┘
│   從二位左京
└行家─────┐
┌───────┘
│   從二位大藏卿
└澄愽─────┐
┌───────┘
└澄敦 從二位侍従
ーーーーーーーーーーーーーーーー
此哥の心はながらへばこのごろの事も
またやしのび侍らんうしかなし
といひし世を今したふにつけ
てゆくすへの事を○思ひ
やりたるなり何事もすへ/"\に
おとろへ行むかしににぬうらみ也
玄旨の曰哥の心は明なり次第/\
にむかしを思ふほどに今のうさと
おもふ時代をもこれより後には忍
ばんずるかと万人の心に観ずる哥
ぞとなり只世の中の人たのむ
まじき行すえをたのむなり
○季注に○にしかたのこひし
さの切なるときのうた
ーーーーーーーーーーーーーーーー

源氏物語 朝顔、浮舟

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朝顔

源氏 人知れず神の許しを待ちし間にここらつれなき世を過ぐすかな

ひとしれずかみのゆるしをまちしまにここらつれなきよをすぐすかな

 

朝顔斎院 なべて世の哀ればかりを問ふからに誓ひし事と神や諫めむ

なべてよのあはればかりをとふからにちかひしこととかみやいさめむ

 

源氏       見し折の露忘られぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらむ

みしをりのつゆわすられぬあさがほのはなのさかりはすきやしぬらむ

 

朝顔斎院 秋果てて霧の籬に結ぼほれ有るか無きかに映る朝顔

あきはててきりのまがきにむすぼほれあるかなきかにうつるあさがほ

 

源氏       何時の間に蓬が許と結ぼほれ雪ふる里と荒れし垣根ぞ

いつのまによもぎがもととむすぼほれゆきふるさととあれしかきねぞ

 

源内侍   年経れどこの契りこそ忘られぬ親の親とか言ひし一言

としふれどこのちぎりこそわすられねおやのおやとかいひしひとこと

 

源氏       身を変へて後も待ち見よこの世にて親を忘るる例有りやと

みをかへてのちもまちみよこのよにておやをわするるためしありやと

 

源氏 つれなさを昔に懲りぬ心こそ人の辛きに添へて辛けれ

つれなさをむかしにこりぬこころこそひとのつらきにそへてつらけれ

 

朝顔斎院 改めて何かは見えむ人の上にかかりと聞きし心変わりを

あらためてなにかはみえむひとのうへにかりとききしこころかはりを

 

紫上 氷閉じ石間の水は行き悩み空澄む月の影ぞ流るる

こほりとぢいしまのみづはゆきなやみそらすむつきのかげぞなかるる

 

源氏 かき詰めて昔恋しき雪もよに哀れを添ふる鴛鴦の浮き寝か

かきつめてむかしこひしきゆきもよにあはれをそふるをしのうきねか

 

源氏 とけて寝ぬ寝覚め寂しき冬の夜に結ぼほれつる夢の短さ

とけてねぬねざめさびしきふゆのよにむすぼほれつるゆめのみじかさ

源氏       亡き人を慕ふ心に任せても影見ぬ水の瀬にや纏はむ

なきひとをしたふこころにまかせてもかけみぬみづのせにやまとはむ

 

少女

源氏 かけきやは川瀬の波も立ち返り君が御禊の藤の窶れを

かけきやはかはせのなみもたちかへりきみがみそぎのふちのやつれを

 

朝顔斎院 藤衣着しは昨日と思ふ間に今日は御禊の瀬に変わる世を

ふぢごろもきしはきのふとおもふまにけふはみそぎのせにかはるよを

 

夕霧 小夜中に友呼び渡る雁が音にうたて吹き添ふ荻の上風

さよなかにともよひわたるかりがねにうたてふきそふをぎのうはかぜ

 

夕霧       紅の涙に深き袖の色を浅緑にや言ひしをるべき

くれなゐのなみだにふかきそでのいろをあさみどりにやいひしをるべき

 

雲居雁 色々に身の憂き程の知らるるは如何に染めける中の衣ぞ

いろいろにみのうきほどのしらるるはいかにそめけるなかのころもぞ

 

夕霧 霜氷うたて結べる明けくれの空かき昏し降る涙かな

しもこほりうたてむすべるあけくれのそらかきくらしふるなみだかな

 

夕霧 天にます豊岡姫の宮人も我が志す標を忘るな

あめにますとよをかひめのみやひともわがこころざすしめをわするな

 

源氏 少女子も神さびぬらし天つ袖古き世の友齢経ぬれば

をとめこもかみさびぬらしあまつそでふるきよのともよはひへぬれば

 

筑紫五節 掛けて言へば今日の事ぞ思ほゆる日蔭の霜の袖に解けしも

かけていへばきのふのことぞおもほゆるひかげのしものそでにとけしも

 

夕霧 日蔭にも知るかりけめや少女子が天の羽袖に掛けし心は

ひかげにもしるかりけめやをとめこかあまのはそでにかけしこころは

 

源氏 鶯の囀る声は昔にて睦れし花の蔭ぞ変はれる

うぐひすのさへつるこゑはむかしにてむつれしはなのかけぞかはれる

 

朱雀院   九重を霞隔つる住処にも春と告げ来る鶯の声

ここのへをかすみへたつるすみかにもはるとつげくるうぐひすのこゑ

 

蛍兵部卿宮 古を吹き伝へたる笛竹に囀る鳥の音さへ変はらぬ

いにしへをふきつたへたるふえたけにさへづるとりのねさへかはらぬ

 

冷泉帝 鶯の昔を恋ひて囀るは木伝ふ花の色や褪せたる

うぐひすのむかしをこひてさへづるはこつたふはなのいろやあせたる

 

秋好中宮 心から春待つ園は我が宿の紅葉を風の伝にだに見よ

こころからはるまつそのはわかやどのもみぢをかぜのつてにだにみよ

 

紫上 風に散る紅葉は軽し春の色を岩根の松に掛けてこそ見め

かぜにちるもみぢはかろしはるのいろをいはねのつまにかけてこそみめ

小倉山百人一首 儀同三司母

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 儀同三司母

忘れ
 じ
 の
行末
までは
かた
 ければ
けふを
 かぎり
   の

 ともがな
ーーーーーーーーー
○儀同三司母
高階後拾遺有
作者部類曰
從三位成忠女
掌侍貴子号
高内侍中関
白道隆公室
儀同三司伊
周公母也
伊周公
長徳二年二月廿
四日有事左遷太
宰府同三年四
月三日帰京号
帥内大臣儀同
三司私曰儀同
三司ハ三公凖
スル義ナリト云云
ーーーーーーーーーーーーーーーー
此哥の心はある人のかたへ通れしに
男の心さだまらざれば今おわる
とき命もきえばはなりあかれて
好く人でもかいなしと也新古今集
恋哥に巻頭にありことば書に
中の関白通そめ侍る比とあり
○雪の云哥の心はいくとせをふる
ともわすれじとはいふ共世間のあり
さま変じやすき習なればわすれじ
とは思ひ給ふべけれどわすれずに
ある事はかたきものなればわすら
れたる時うき物思ひをせんかはと也
○季注に忘るらんと思ふ心のうた
がひにありしよりげにものぞ
          かなしき
ーーーーーーーーーーーーーーーー

源宗于 常盤なる 俊成 豊岡有尚筆色紙コレクション

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左  源宗于朝臣

常盤なる
    松の緑も
 春くれば

   いま一しほの

    色まさり
       けり


古今和歌集 巻第一春歌上
寛平御時きさいの宮の歌合によめる
ときはなる松のみどりも春来れば今ひとしほの色まさりけり

ときわなるまつのみどりもはるくればいまひとしおのいろまさりけり

作者:源宗于(みなもと の むねゆき ? - 天慶2年(940年))光孝天皇の皇子是忠親王の子。
出典:寛平御時后宮歌合

撰歌集:和漢朗詠集、三十人撰、公任三十六人撰、俊成三十六人歌合


豊岡殿有尚卿

豊岡有尚
承応三年(1654年)-天和二年(1682年)九月
日野弘資の3男。外山光顕の弟。寛文六年日野家からわかれて豊岡家の祖となる。従四位下,大蔵権大輔。

平成30年10月31日 參點九/拾二

年中行事絵巻 東京国立博物館蔵

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年中行事絵巻
東京国立博物館蔵
列品番号:A-1556
47.6cm×575.7cm
48巻
画像番号:N0164146
利用制限 許諾不要

同博物館資料館(国立国会図書館国際子ども図書館向かいより入館手続き)にて公開。

牛頭天王神輿のみ撮影
同資料館専用パソコンのみ閲覧可


四神鉾男右足有
松持ち男両足首有

拙コレクションと同じ、下絵と思われるが、模写者の力量は無く、甘い。

小倉山百人一首 寂蓮

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寂蓮法師

むら雨の
 露も
  まだ
ひぬ
槙の
 葉に
霧たち
のぼる秋の
  夕ぐれ
ーーーーーーーーー
○寂蓮法師
俗名定長中
務少輔入道

┌俊成───┐
└俊海阿闍梨│
┌─────┘
└定長
寂蓮也俊成卿の
猶子實俊海
子也

寂蓮逝去の時
定家卿哥

玉きはる

  かのことはり
       も
 たどられず

おもへば
 つらき
  すみよし
     の
    神
ーーーーーーーーーーーーーーーー
此哥の心はまきなどある山は
いかにもふるき山又とこゝろえべし
秋の夕ぐれはゑもいはれずおもし
ろきにむらさめのして一そゝぎそ
そぎたる露もいまだひざるに
霧のたち上りたるけいきいはん
やうなし哥は其時その心に成
てみ侍らずばよせいのけいきほ
ねじみがたし三十一字につくし
うたきめう也秋は地中に陽
気があるゆへにた水がかゝれば
むせてきりと
    たちのぼる
        なり
ーーーーーーーーーーーーーーーー
巻第四 秋哥下

源信明 あたら夜の 俊成 平松時方筆色紙コレクション

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 右   源信明朝臣

あたら夜の月と
     はなとを

  おなじくはあはれ
        しれ
    らむ人にみせ

         ばや



後撰和歌集 巻第三春歌下
月のおもしろかりける夜はなを見て
あたら夜の月とはなとをおなじくはあはれしれらむ人にみせばや

あたらよのつきとはなとをおなじくはあはれしれらむひとにみせばや

作者:源 信明(みなもと の さねあきら、延喜10年(910年) - 天禄元年(970年))源公忠の子。

意味 :こんな素晴らしく惜しい夜の月と花を、どうせならあわれを知っているだろうと云う人に見せてあげたいものだ

三十人撰、三十六人撰、俊成三十六人歌合


平松殿時方卿
平松時方
慶安四年(1651年)-宝永7年(1710)
江戸中期の公卿・有職家。時量の次男。野宮定基・東園基量・滋野井公澄と並んで有職の四天王と称された。権中納言従二位に至る。

平成30年10月31日 參點九/拾二

年中行事絵巻 祇園会の分類

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年中行事絵巻の祇園会について、各本ごとの差異がある。
それは四神鉾をもつ男の足とその前を松を持って走る男の足に違いが有る。
この鉾と松は巨大化し、鉾は長刀鉾、月鉾、放下鉾などに、松は山伏山、太子山、白楽天山などと変化している。
何故消えたのかは、不明だがそれぞれ消えたままを各模写者は模写している。

住吉本は、鉾男右足無し、松男左足無しである。(写真参照)
拙コレクションは両者の足両方とも有る。(写真参照)

これをまとめてみると以下の通り。
     鉾男右 松男左 松男右
住吉本   ×    ×    ○
國學院本  ○   ×    ×
京大本   ○   ×    ×
東博本   ○   ○   ○
国会図書Ⅰ本 ○   ×    ×
国会図書Ⅱ本 ×   ×    ○
所有本   ○   ○   ○
国会図書館Ⅱは、谷文晁が住吉本を書写している。
唯一の色彩を施した國學院大學本は、京都大学本、国会図書館Ⅰと同系列であるが、かなり見物客など省略されている。
拙コレクションは、東京国立博物館と同系列と見て良い。

婦人泊リ客之圖 歌麿 浮世絵コレクション

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婦人泊リ客之圖 三枚續
      哥麿





三枚セットの内の二枚。
歌麿の印が押されていないので、江戸喜多川歌麿時代では無い。
明治期の復刷版。

婦人泊リ客之圖
パブリックドメイン美術館

婦人泊リ客之圖
立命館大学蔵
大英博物館、ボストン美術館蔵には印鑑が押して有る。


平成30年10月31日 點九九

藤原清正 吹井の鶴 俊成 清閑寺熙定筆色紙コレクション

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 左  藤原清正

天津風ふけゐの

うらにゐるたづのなど

かくもゐにかへらざる

べき



第十八 雜歌下
殿上離れ侍りてよみ侍りける
天つ風ふけひの浦にゐる鶴のなどか雲居にかへらざるべき

あまつかぜふけいのうらにいるたづのなどかくもいにかえらざるべき


清閑寺殿熈定卿

清閑寺熙定
寛文二年(1662年)-宝永四年一月(1707年)
元禄十一年(1698年):従二位
元禄十二年(1699年):権大納言


平成30年10月31日 參點九/拾二

小倉山百人一首 式子内親王

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 式子内親王

玉の緒よ
  たへなば
絶ね
 ながらへ
   ば

 ぶる
ことの
よはり
もぞ
する
ーーーーーーーーー
○式子内親王
後白川院第三皇女
齋院准三宮
母從三位成子大納言
季成女萱齋院申
後白川院─────
鳥羽院第四皇子
在位三年母待賢門院
┌────────
├二條院 第一宮在位七年
│    母右大臣經宗女
├高倉院 第二宮在位十二年
│    母建春門院亮子─
├殷富門院 第皇女母
│     從三位成子
└式子内親王 第三皇女
       萱齋院
┌────────
│┌安徳天皇
└┤
 └後鳥羽院───────┐
  隠岐国配流      │
┌────────────┘
│土御門院 土佐国
│     配流
└順徳院  佐渡国
      配流
ーーーーーーーーーーーーーーーー
此哥の心はしのぶ恋のこゝろ也玉
のをはいのちのこと也我いのちたへはたへよ
ながらへなば大かた忍ぶ心のよはりて
はては人もしりあだなる名をももらし
て人のため我ためはかなきことに
なりなんと思ひたる哥也玉のおと
いふよりたへなばたへねといひ今の
思ひよりゆくへをおもひやればなが
らふるほどあさましきことにならん
とや
○季注にたへなばたへねとは絶ばたへ
もせよとなり白露はけなばけなん
などいふがごとしよわりもぞする
とはよはりもせうずらふといふ
         てにはなり
ーーーーーーーーーーーーーーーー

小倉山百人一首 九条良経

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後京極摂政前太政大臣

きり/"\す
鳴や霜
  よの
さむ

 ろに
衣かたし
    き
ひとり
  かもねむ
ーーーーーーーーー
○後京極攝政
 前太政大臣
良經公系圖法
性寺殿の下に有
後法性寺前関
白兼實公二男
母從三位藤季
行女

引哥
ほとゝぎす
  なくや
   さ月の
みじか夜も
ひとり
  し
 ぬれば
明し
  かね
   つゝ
ーーーーーーーーーーーーーーーー
此哥の心は霜夜の比さむしろに
ひとりねてきり/"\すのとこの
ほとりになくこゑをきゝ夜も
すがらさびしくもあはれにもか
なしくも思ひつゞけてながきよ
をあかしたる心ばへまことにその
人になして見侍らばゆうに哀
なるべしさむしろはたゞむしろなり
せばきむしろとかけりひとり
かもねんによくいひかなへたる也
       あし引の哥の
         こゝろを
        おもひ侍らん
ーーーーーーーーーーーーーーーー
万葉集巻第十
夏相聞
寄鳥
霍公鳥来鳴五月之短夜毛獨宿者 明不得毛
霍公鳥来鳴く五月の短夜もひとりし寝れば明かしかねつも

紀貫之 桜散る 三条実治?筆色紙コレクション

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 右 紀貫之

桜ちる木のした

風はさむからで

  空にしられぬ

   雪ぞ降ける



拾遺集
亭子院歌合に
桜ちる木の下風はさむからで空にしられぬ雪ぞふりける

さくらちるこのしたかぜはさむからでそらにしられぬゆきぞふりける


傳法院殿實治公

伝法院は不明。同時代には三条実治が左大臣まで出世して三公になっている
三条実治
慶安三年(1651年)‐享保九年八月(1724年)
号は暁心院観照。
初名季房、元服後(寛文七年)実通と名告る。
元禄二年(1689年)実治と改名。
元禄六年(1693年):内大臣に就任
同年:右近衛大将と内大臣を辞職
宝永元年(1704年):右大臣となったが、すぐに辞職
宝永2年(1705年)に従一位を授与
正徳5年(1715年)に左大臣となったが、すぐに辞職。

平成30年10月31日 參點九/拾二

源重之 風をいたみ 高丘季起筆色紙コレクション

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右  源重之

風をいたみ岩

  うつなみの

   己れのみ
 くだけて物を

  おもふ比かな


詞花集
冷泉院春宮と申しける時百首歌たてまつりけるによめる
風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物を思ふ頃かな


高丘殿季起卿

高丘季起
寛文四年(1664年)-正徳五年一月(1715年)
藤原氏閑院流に属する中園季定の次男。延宝4年一家をおこし,高丘氏を称した。正三位。52歳。

平成30年10月31日 參點九/拾二

小倉山百人一首 藤原雅経

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 参議雅經

みよし
   のゝ
山の
秋かぜ
さ夜
 ふけて
故郷さむく
 衣うつなり
ーーーーーーーーー
○参議雅經
刑部卿頼經朝
臣男飛鳥井祖
和歌并蹴鞠達

 新古今撰者ノ内

京極
 師實─────┐
┌───────┘
│   正二位
└忠教─────┐
    権大納言│
┌───────┘
│   刑部卿
└頼輔─────┐
    従三位 │
┌───────┘
│   刑部卿
└頼經─────┐
    従四位下│
┌───────┘
│    刑部卿
│┌宗長 従三位
└┤蹴鞠難波流祖
 │   三木
 └雅經 左兵衞督
  蹴鞠飛鳥井流祖
ーーーーーーーーーーーーーーーー
此哥の心はみよしのゝ山のあき風
にさと源たる比までをそばたて
てきけば秋のあはれのせつなるに
ことにふるきさとにころもうつ也
きぬたのこへしてひとへにひと
り寝のさむきをさへひえあかし
たるていなりきり/"\すなく
やしもよの哥の心に思ひめぐら
して見侍るべしこともなきやう
なれどもあはれふかし
○季注に天武天皇よしの国栖
がくさ魚根せりなど供御に
◎り舟の○ふかくし○
       ◎りなとし
          てや
ーーーーーーーーーーーーーーーー
秋哥下

源順 水のおもは 富小路貞維筆色紙コレクション

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 右  源順
      もな
水のおもに
       か
 てる月なみ
      を
  かぞふれば

なり   こよひで

 ける    秋の


拾遺集
屏風に、八月十五夜、池ある家に人あそびしたる所
水のおもに照る月なみをかぞふれば今宵ぞ秋のも中なりける

みずのもにてるつきなみをかぞうればこよいぞあきのもなかなりける


富小路殿貞維卿

富小路貞維
寛文八年(1668年)―正徳元年(1711年)
初名は貞俊。
元禄二年(1689年)貞維と改名。
非参議。從三位。

平成30年10月31日 參點九/拾二
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