Quantcast
Channel: 新古今和歌集の部屋
Viewing all 4522 articles
Browse latest View live

仙洞句題五十首

$
0
0
仙洞句題五十首
建仁元年冬
12首
  作者
後鳥羽院     摂政殿(九条良経)
前大僧正(慈円) 俊成女
女房宮内卿    定家朝臣
  点者
御點       摂政殿
前大僧正     三位入道釋阿
定家       寂蓮

初春待花 山路尋花 山花木遍 朝見花
遠村花  故郷花  田家花  古寺花
花似雪  河邊花  深山花  暮山花
古渓花  関路花  羇中花  湖上花
橋下花  花下送日 庭上落花 暮春惜花
初秋月  月前草花 雨後月  松間月
山家月  月前竹風 野徑月  澤邊月
月前聞雁 浦邊月  月照瀧水 杜間月
月前秋風 江上月  月前蟲  月前聞鹿
旅泊月  月前草露 菊籬月  暮秋曉月
寄雲戀  寄風戀  寄雨戀  寄草戀
寄木戀  寄鳥戀  寄嵐戀  寄舟戀
寄琴戀  寄衣戀

   春歌上
 故郷花といへるこころを
               前大僧正慈圓
散り散らず人もたづねぬふるさとの露けき花に春かぜぞ吹く

   春歌下
 五十首歌奉りし中に湖上花を
               宮内卿
花さそふ比良の山風ふきにけり漕ぎ行く舟のあと見ゆるまで
 五十首歌奉りし中に關路花を
               宮内卿
あふさかやこずゑの花をふくからに嵐ぞかすむ關の杉むら

   秋歌上
 五十首歌奉りし時杜間月と云事を
               皇太后宮大夫俊成女
大荒木のもりの木の間をもりかねて人だのめなる秋の夜の月
 五十首歌奉りし時月前草花
               攝政太政大臣
故郷のもとあらのこ萩咲きしより夜な夜な庭の月ぞうつろふ
 五十首歌奉りし時野徑月
               攝政太政大臣
行くすゑは空もひとつのむさし野に草の原より出づる月かげ
 五十首歌奉りし時雨後月
               宮内卿
月をなほ待つらむものかむらさめの晴れゆく雲のすゑの里人

   秋歌下
 五十首歌奉りし時月前聞雁といふことを
               前大僧正慈圓
大江山傾く月のかげさえて鳥羽田の面に落つるかりがね
 五十首歌奉りし時菊籬月といへるこころを
               宮内卿
霜を待つ籬の菊のよひの間に置きまよふいろは山の端の月
 秋の歌とて
               太上天皇
秋ふけぬ鳴けや霜夜のきりぎりすやや影さむしよもぎふの月

   戀歌二
 五十首歌奉りしに寄雲戀
               皇太后宮大夫俊成女
下もえに思ひ消えなむけぶりだにあとなき雲のはてぞ悲しき

雜歌上
 五十首歌奉りしに山家月のこころを
               前大僧正慈圓
山ざとに月は見るやと人は來ず空ゆく風ぞ木の葉をも訪ふ

明月記 異母姉死去 かささぎの渡せる橋

$
0
0
明月記 元久元年

九月
七日。微雨。前大僧正御坊に参ず。見参の後、中納言殿に参ず。夕、殿に参ず。仰せて云ふ、隆保朝臣の妻、死去するの由を聞く。汝軽服か。神事の間、早く除服し出仕すべしと。逐電して退出す。件の女房、近衛院備前内侍(源季兼朝臣の妹)の腹なり。予が姉と云々。少年より、彼の朝臣の妻となる。遠行の時出家。年来聞くと雖も、未だ対面せず。


皇嘉門院備前内侍(近衛院備前内侍) - 木工権頭源季業妹
   ├二条院兵衛督 - 左馬頭源隆保の妻
藤原俊成
   ├藤原成家
   ├藤原定家
美福門院加賀

俊成女 撰歌一覧

$
0
0
俊成女  29首

尾張守藤原盛頼。実母は藤原俊成の娘、八条院三条。祖父俊成の養女となった。堀川大納言源通具の妻。建仁二年(1202)七月、後鳥羽院に召され、女房として御所に出仕。晩年は越部荘に住み、越部禅尼と呼ばれた。新古今の詠者名は、皇太后宮大夫俊成女。

   春歌上
 千五百番歌合に
梅の花あかぬ色香もむかしにておなじかたみの春の夜の月 隠
千五百番歌合

   春歌下
 千五百番歌合に
風かよふ寝ざめの袖の花の香にかをるまくらの春の夜の夢
千五百番歌合
 題しらず
恨みずやうき世を花のいとひつつ誘ふ風あらばと思ひけるをば
通具俊成卿女歌合
 題しらず
いそのかみふるのわさ田をうち返し恨みかねたる春の暮れかな 隠
未詳

   夏歌
 夏の始の歌とてよみ侍りける
折りふしもうつればかへつ世の中の人のこころの花染の袖 隠
未詳
 題しらず
橘のにほふあたりのうたたねは夢もむかしのそでの香ぞする 隠
通具俊成卿女歌合

  秋歌上
 五十首歌奉りし時杜間月と云事を
大荒木のもりの木の間をもりかねて人だのめなる秋の夜の月 隠
仙洞句題五十首
 題しらず
ことわりの秋にはあへぬ涙かな月のかつらもかはるひかりに 隠
未詳
 和歌所歌合に田家月といふことを
稲葉吹く風にまかせて住む庵は月ぞまことにもりあかしける 隠
撰歌合
 題しらず
あくがれて寝ぬ夜の塵のつもるまで月にはらはぬ床のさむしろ
未詳

   秋歌下
 題しらず
あくがれて寝ぬ夜の塵のつもるまで月にはらはぬ床のさむしろ
未詳
 題しらず
吹きまよふ雲ゐをわたる初雁のつばさにならす四方の秋風 隠
未詳
 題しらず
あだに散る露のまくらに臥しわびて鶉鳴くなる床の山かぜ 隠
未詳
 千五百番歌合に
とふ人もあらし吹きそふ秋は来て木の葉に埋む宿の道しば 隠
千五百番歌合
 千五百番歌合に
色かはる露をば袖に置き迷ひうらがれてゆく野辺の秋かな 隠

   冬歌
 千五百番歌合に
冴えわびてさむる枕に影見れば霜ふかき夜のありあけの月 隠
千五百番歌合
 題しらず
霜がれはそことも見えぬ草の原たれに問はまし秋のなごりを 隠
未詳
 年の暮によみ侍りける
へだてゆく世々の面影かきくらし雪とふりぬる年の暮かな 隠
通具俊成卿女歌合

   哀傷歌
 母の身まかりにけるを嵯峨の邊にをさめ侍り夜よめる
今はさはうき世のさがの野辺をこそ露消えはてし跡と忍ばめ 隠
未詳

   羇旅歌
 千五百番の歌合に
かくてしも明かせばいく夜過ぎぬらむ山路の苔の露の筵に 隠
千五百番歌合
 和歌所歌合に羇中暮といふことを
ふるさとも秋は夕べをかたみとて風のみおくる小野の篠原 隠
卿相侍臣歌合

   戀歌二
 五十首歌奉りしに寄雲戀
下もえに思ひ消えなむけぶりだにあとなき雲のはてぞ悲しき 隠
仙洞句題五十首
 水無瀬戀十五首歌合に春の戀のこころを
面影のかすめる月ぞやどりける春やむかしの袖のなみだに 隠
水無瀬恋十五首歌合

   戀歌四
 千五百番歌合に
ならひ来し誰が偽もまだ知らで待つとせしまの庭の蓬生 隠
千五百番歌合
 被忘戀のこころを
露はらふねざめは秋の昔にて見はてぬ夢にのこるおもかげ 隠
建永元年七月和歌所当座
 水無瀬の戀十五首の歌合に
ふりにけり時雨は袖に秋かけていひしばかりを待つとせしまに 隠
水無瀬恋十五首歌合
 水無瀬の戀十五首の歌合に
かよひ来しやどの道芝かれがれにあとなき霜のむすぼほれつつ 隠
水無瀬恋十五首歌合

   戀歌五
 和歌所の歌合に逢不遇戀のこころを
夢ぞとよ見し面影も契りしも忘れずながらうつつならねば
仙洞影供歌合

   雜歌上
 寄風懷舊といふことを
葛の葉のうらみにかへる夢の世を忘れがたみの野べのあきかぜ 隠
建永元年七月当座

   雜歌下
 和歌所にて述懷のこころを
惜しむともなみだに月も心から馴れぬる袖に秋をうらみて 隠
卿相侍臣嫉妬歌合

老若五十首歌合

$
0
0
老若五十首歌合
建仁元年二月十六、十八日


春  夏  秋  冬  雜各十首
作者
  左方老
權大納言忠良   前權僧正慈圓
左近權少將定家  上総介家隆
沙彌寂蓮
  右方若
女房(後鳥羽院) 左大臣(良経)
宮内卿局     越前局
左近權少將雅經

   春歌上
 五十首歌たてまつりし時
 三番   右勝        宮内卿
かきくらし猶ふる里の雪のうちに跡こそ見えね春は來にけり 隠
 五十首歌奉りし時
 四十二番 右持        藤原雅經
尋ね來て花に暮らせる木の間より待つとしもなき山の端の月 隠

   春歌下
 五十首歌奉りし時
 三十九番 左勝        藤原家隆朝臣
さくら花夢かうつつか白雲のたえてつねなきみねの春かぜ 隠
 五十首歌奉りし時
 四十五番 左持        寂蓮法師
暮れて行く春のみなとは知らねども霞に落つる宇治のしば舟 隠

   夏歌
 百首歌奉りし時  ※
 七十一番 左勝        前大納言忠良
あふち咲くそともの木蔭つゆおちて五月雨晴るる風わたるなり 隠
 五十首歌奉りし時
 七十三番 左負        藤原定家朝臣
さみだれの月はつれなきみ山よりひとりも出づる郭公かな 隠
 五十首歌奉りし時
 七十二番 左持        前大僧正慈圓
さつきやみみじかき夜半のうたたねに花橘のそでに涼しき 隠
 五十首歌奉りし時
 八十七番 左勝        前大僧正慈圓
むすぶ手にかげみだれゆく山の井のあかでも月の傾きにける 隠
 五十首歌奉りし時
 九十番 右持         攝政太政大臣
螢飛ぶ野澤にしげるあしの根の夜な夜なしたにかよふ秋風 隠

   秋歌上
五十首歌奉りし時秋歌
 百五番 右勝         藤原雅經
昨日までよそにしのびし下荻のすゑ葉の露にあき風ぞ吹く 隠
 五十首歌奉りし時
 百三十番 右勝        藤原雅經
たへでやは思ありともいかがせむ葎のやどの秋のゆふぐれ 隠
 五十首歌奉りし時
 百廿七番 右持        攝政太政大臣
雲はみなはらひはてたる秋風を松にのこして月をみるかな 隠
 五十首歌奉りし時
 百卅八番 右勝        藤原雅經
拂ひかねさこそは露のしげからめ宿るか月の袖のせばきに 隠

   秋歌下
 五十首歌奉りし時
 百廿五番 左勝        寂蓮法師
村雨の露もまだひぬまきの葉に霧たちのぼる秋のゆふぐれ 隠

   冬歌
 五十首歌奉りし時
 百五十三番 右勝       宮内卿
からにしき秋のかたみやたつた山散りあへぬ枝に嵐吹くなり 隠
 五十首歌奉りし時
 百六十五番 左勝       寂蓮法師
たえだえに里わく月のひかりかな時雨をおくる夜半のむら雲  隠
 五十首歌奉りしとき
 百六十三番 右勝       藤原雅經
秋の色をはらひはててやひさかたの月の桂に木からしの風 隠
 五十首歌奉りし時
 百六十七番 右勝       藤原雅經
影とめし露のやどりを思ひ出でて霜にあととふ淺茅生の月 隠
 五十首歌奉りし時
 百六十九番 右勝       攝政太政大臣
水上やたえだえこほる岩間よりきよたき川にのこるしら波 隠
 五十首歌奉りし時
 百七十三番 右勝       攝政太政大臣
月ぞ澄む誰かはここにきの國や吹上の千鳥ひとり鳴くなり 隠
 五十首歌奉りし時
 百九十二番 右持       藤原雅經
はかなしやさても幾夜か行く水に數かきわぶる鴛のひとり寝

   羇旅歌
 五十首歌奉りし時
 二百廿四番 左勝       藤原家隆朝臣
明けばまた越ゆべき山のみねなれや空行く月のすゑの白雲 隠
 五十首歌奉りし時
 二百四十二番 右負      藤原雅經
故郷の今日のおもかげさそひ來と月にぞ契る小夜のなか山 隠

   雜歌上
 百首歌奉りし時 ※
 四十一番 左勝        前大納言忠良
折りにあへばこれもさすがにあはれなり小田の蛙の夕暮の聲 隠
 五十首歌奉りし時
 四十二番 左持        前大僧正慈圓
おのが浪に同じ末葉ぞしをれぬる藤咲く田子のうらめしの身 隠
 五十首歌召しし時
 百廿七番 左持        前大僧正慈圓
秋を經て月をながむる身となれり五十ぢの闇をなに歎くらむ 隠

   雜歌中
 五十首歌よみて奉りしに
 二百十二番 左勝       前大僧正慈圓
須磨の關夢をとほさぬ波の音を思ひもよらで宿をかりける 隠
 五十首歌奉りし時
 二百卅二番 左勝       前大僧正慈圓
花ならでただ柴の戸をさして思ふ心のおくもみ吉野の山 隠
 五十首歌奉りし時
 二百九番 右持        藤原雅經
かげやどす露のみしげくなりはてて草にやつるる故郷の月

   雜歌下
 五十首歌奉りし時
 百七十二番 左負       前大僧正慈圓
世の中の晴れゆく空にふる霜のうき身ばかりぞおきどころなき 隠
 五十首歌の中に
 二百廿七番 左勝       前大僧正慈圓
思ふことなど問ふ人のなかるらむ仰げば空に月ぞさやけき 隠
 題しらず ※
 二百七番 右負        宮内卿
竹の葉に風吹きよわる夕暮の物のあはれは秋としもなし

粟田口忠良は、承久三年まで生きており、近衛基通の弟、前大納言として誤記を指摘出来た。夏歌は、定家の「五十首奉りし時」の老若五十首歌合の前、雑歌上の歌は、幸清の「題知らず」の後、有家の「千五百番歌合に」の前なので、誤記以外には無い。撰者名の記載が無いので、後鳥羽院か良経が撰入を指示した歌となる。

明月記 建仁二年七月十三日 俊成女の出仕

$
0
0
明月記 建仁二年

七月
十三日。天晴る。ー略ー。昏黑、押小路(万里小路)宅に向ふ。此の女房、今夜初めて院に参ずと云々。此の事、始終尤も狂気に似たり。宰相中將、權門の新妻と同宿。旧宅荒廃するの間、歌芸に依り、院より召し有り。且つ又彼の新妻露顯するの時、此等の事、皆構へて申し置くか。本妻を棄てて官女と同宿、世魂あるの致す所のみ。事又面目にあらずと雖も、宰相中將、一昨日行き訪ふべきの由、相示す。又入道殿、同じく扶持すべきの由、仰せらる。仍て、到り向ふ所なり。此の人の事、又先妣殊に鐘愛し、見放ち難きの故なり。但し、毎事相公羽林沙汰すと云々。内府又、入道殿の御文を以て挙げ申す。已に禁色を聽さると云々。頗る面目となす。亥の時許りに、予車を寄す(入道殿是より先、還りおはしました了んぬ)。未だ出でられざる以前に、先づ御所に参ず。車、高倉殿の局に寄すべし(内府の妹と云々)。其の局に行く。入道、殊に扶持すべきの由申す。仍て参入の由、其の局に触れ了んぬ。但し、車を立蔀に寄す。右に屏風あり。又女房之を立つべし。疎遠の人、更に寄るべからず。仍て、只近邊の縁の邊りに居て、見物する許りなり。小時ありて後、車参入す。即ち之を寄す。前駆一人(蔵人大夫と云ふ者なり)、松明を取る侍、五人なり。山車二両門の外に立つ。童女(アコメを改めて着すと云々。装束に及ばず)車、衣を出さず。門の中に入りて、先づ下るべし。其の由、相公示すと云々。但し、別れて入らざる由、女房相示す。下らしめざるか。参入するの後に、予退出す。窮屈に依るなり。

撰者名 かささぎの渡せる橋

$
0
0
天理図書館蔵 烏丸本

新古今和歌集巻第六
  冬哥
 題知らず
一 /       中納言家持
二 かささぎの渡せる橋に置く霜の
三 しろきをみれば夜ぞふけにける



烏丸本
有家、定家、家隆、雅経
尊経閣本
有家、定家、家隆、雅経
寿本
有家、定家、家隆、雅経
小宮本
有家、定家、家隆、雅経
柳瀬本
有家、定家、家隆、雅経

隠岐本合点有り。

新勅撰集 家隆 かささぎの渡せる橋

$
0
0
新勅撰和歌集巻第六

  冬歌
 建保五年内裏歌合 冬山霜  正三位家隆
かささぎのわたすやいづこゆふしものくもゐにしろきみねのかけはし


建保五年(1217年)

古今著聞集 好色 宮内卿

$
0
0
古今著聞集巻第八

好色第十一
 三二八 宮内卿男疎遠の時詠歌の事
宮内卿は、娚にてある人に名たちし人也。おとこかれ/"\になりけるとき、よみ
侍ける。
都にも有けるものをさらしなやはるかにきゝしおばすての山

明月記 建永二年五月十日 宮内卿局死去

$
0
0

明月記 建永二年

五月
十日 (暁雨降)天晴
相具爲家參上未時許御神泉退出
入夜束帶參八条院一品宮御除服(入道殿下御服)
陪膳一昨日隆範催昨日輕服(宮内卿局昨日逝去常馴人也甚悲近
習奏事輙達心操甚柔和) 少納言長季參入役送
即出御(車面御車寄)ー略ー。

十日。(暁雨降る)爲家を相具して参上す。未の時許りに、神泉におはしまして退出す。
夜に入り、束帯して八条院に参ず。一品宮御除服(入道殿下御服)。
陪膳一昨日、隆範催す。昨日軽服(宮内卿の局、昨日逝去。常に馴るる人也。甚だ悲し。近
習の奏事輙く達す。心操甚だ柔和)。少納言長季、参入し役送。
即ち出でおはします。(車御車寄せに面す)ー略ー。

昔男時世妝 芥川鬼一口

$
0
0


  あく
   た

   川
   の
  だん


  ○あくた川鬼一口の段
むかしおとこ有けり。女のえうまじかりけるを辛ふじて年を經て
よばひわたりける。此段などが、この物語の至極面白い、世の人のよく


しられし所。されば業平、二条の后をぬすみ負て出、あくた川の邊
にて、露を何ぞと問れしとは、なま心ある千話ぶみに書なさん、或は
諷又は上瑠璃の道行、いろ/\さま/"\にいひなせし。尤さふも有
さふな事。まづ得がたき君を、年を經てよばひわたり。辛労し
て盗み出て、いと闇い雨の夜、神鳴にも恐れず、戀の奴となり
給ひて、かひ/"\しくも后をば負ふてあくた川迄は来り給ひし
。そのあくた川は、どこの事かもしれねど、それ迄のお二人の有様、
今見るやうにおもはれ、いた/\しうてお笑止。草のうへに置たり
ける、露を何ぞと問れながら、行先多く夜も更にければ、鬼ある
所ともしらで、神鳴はなる、雨は頻にふつて来る。せんかたもなくて
どこぞそこらの、あばらなる倉。人舎のやうなところ、但は人の軒


の下かに、后をばおろし申し、少のをくにをし入れをおとこ弓箭を
負てとあれど、たつた今まで后をばをふてのいたお身なれば
弓箭は有まいけれども、戀の念力、こゝろに弓やなぐゐを負て、
をのれやれあ何ものにても、若もの事もあるならばと、大膽な気に
成給ひて、后をば、はなちはやらじと思召すその躰アゝ一向はやう
夜が明たらと、思ひつゝゐ給ふ内に、鬼はや一口にくひてげり
后はあれなふ、あなやといはせ給へど、神鳴やら雨やらで、業平は聞
付給はず。その内やう/\夜もあけゆくに、見れば出こし女もなし。
南無三宝是までにして、しばらくもねもせぬに、何ものかはつれ
行けん。是はかなしや扨無念やと、蹉跎をして歎き給へどかひなし
 しらたまかなにぞと人のとひしとき

  つゆとこたへて消なましものを
是は二条の后、お従弟御染殿の后の御方に御奉公でもなく
畢竟いはゞ、お部屋子といふやうなものにていらせ給ひしを、かの
業平も、染殿の后○へは、お心安うなお出入申されしが、いつの隙にか、彼二条
の后の御面影の、さしもめでたくましますをちらと見染、さすが
戀には、氏も位も見かへりがたく、又それ程の賤の夫にてもあらざれば、只
かり初の御たはぶれ、雲にかけはし霞にちよろり、どふやらかふやら
たがひに合点の相ぼれとなり、盗みて負て出ひ給ひけるを、御兄御
堀川の大臣、又その兄の太郎国經、まだ下臈とて殿上人の時とか、さ
れば宵より、雨かみ鳴のはげしき夜なれば、お妹御ながら、染殿の
后の御きげんの程お見舞とて、内へ参り給ふに、いみじうけしからず


泣人の有けるまゝ、是は何じや何事ぞと問せ給へば、お傍衆お腰
元の女中たち、アイ申シ后○がお見えなされず、おゆく衛がしれませ
ぬ。是はまあどふ致しませふと、巣立の白鷺が、親鳥をしたふが
ごとくに、姦しい程泣立るを、お二人の兄御達も、きよつとした顔
つきにて、是はたまらぬそふしては置れまいと、俄に狩衣の袖を
腕まくり、指貫の尻を引からげて、はれやれ是はといひながら
爰かしこと尋ね給ふ。さればとよ業平、一生に跣で、一丁とも
あるかぬお身、殊には后を負給ひて、はか/"\しう得は立退もし給
ず、ついそこらにて、かのふたりの兄御に見付られ、取返されたまひ
し也。さぞ残多ふ思召ふ。露を何ぞと問れ給ひし時、露と答
へて消たらば、今の思ひはせまじき物をと、その業平の思ひの程


をもかへり見給はぬ、戀にはむごき兄御たち、それをかく鬼と
はいふなり。二条の后、まだいとお年若にて、后成もし給はず
只の人にておはしける時の事とかや。

夏哥 西行 小石川後楽園西行堂跡

$
0
0


○○に         ○   立と
       ○がるゝ
  ○○         ○   まり
    つ     
        柳 か        つれ
           ○  ○


道のべにしみづながるゝ柳かげしばしとてこそ立とまりつれ

駐歩泉

水戸家九代斉彬が、西行堂の側の小川を駐歩泉と命名し、自ら筆を取り碑を建てた。



新古今和歌集巻第三
  夏哥
 題知らず     西行法師
道の辺に清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ


小石川後楽園
西行堂跡
空襲で、西行堂が焼け、歌碑の表面が熱で剥げ落ちた。

百人一首切臨抄 かささぎの渡せる橋

$
0
0
 六 中納言家持
  従三位兼行春宮大夫。陸奥出羽之按察使。鎮守府将軍。大伴ノ宿禰家持。
  誕生ノ時代マチ/\ナリ。万葉集ノ撰者両人ノ内ナル由。五十代桓武延暦三年八月八十余才ニテ奥州ニテ薨
  スト。続日本記三十八巻ニ委シト。
秘三ノ内
鵲のわたせる橋にをく霜のしろきを見れば夜ぞ更にける
 新古今六冬部 題不知
一 紹巴云。これらが哥の奇妙也。雪月花の景物もなくて冬深き霜夜の晴たるにむかひてよめり。かさゝぎの橋と
  は空の事也。月落雁啼霜満天といふより出たり。
一 三光院ノ御説。家持が闇夜に起出て月もなく冴たる天にむかひて吟し出せり。霜の空に満たるとは眼前に降た
  るに非ず。晴夜の寒天さながら霜の満たると見ゆるやうなる躰也。
一 仍覚云。七夕にかさゝぎのはしといふは銀河に鵲の羽を双て橋となし牽牛をわたすをいふ。又鵲のより羽のは
  しともよめり。しかれども此哥は空の事也。七夕には霜不可有故也。
 新古今
 秋暮て夜半にや霜のさえわたるらん 寂蓮
 鵲のわたすいづこ夕霜の雲井に白き峯のかけはし 家隆
一 口伝云。鳥は空を橋となして飛わたる故に如此いへり。諸鳥の有に鵲に限りて云たるは七夕の事に付て鵲に橋
  を詠ならはすゆへ也。又神代の巻に天ノ浮橋と云たるは虚空の義也。今も夫婦の志を通はすはこくうに橋をかけ
  たるが如し。扨惣ての義は聖武天皇の勅をうけ万葉集を撰するに隙なき心をよめり。忠臣は戴テ星出戴星帰と
  云也。夜更て御書所を退出する有さま也。天地人の三才を兼花実相応の哥也。此哥の心をうらやみて定家の哥
  に題眺望。
 新勅撰集雑二
 百敷きの外衛を出づる宵/\はまたぬにむかふ山の端の月
一 鵲は鳫也。鵲の橋とは天を云。初秋には七夕の星わたり暮秋には霜わたると也。
一 東方朔伝。朔日ノ風ハ従東方来ル。鵲ハ順テ風ニ而立ツ。是ヲ以知ル其レ嚮テ東ニ鳴事ヲ。


※紹巴 里村紹巴
※三光院 三条西実枝
※仍覚 三条西公条
※鵲の雲の梯 秋哥下

新古今論抄 蔵書

$
0
0

             4
             書
             叢
新古今論抄 川田 順 著 言
             家
             一


一家言叢書4

著者:川田 順
初版:昭和十七年九月廿五日
発行:全國書房


新古今時代の和歌
 一 作歌態度
 二 漢詩の影響
 三 象徴的傾向
 四 象徴の意味
 五 非個性的の藝術
 六 頺癈的傾向
 七 絢爛と枯淡と
千五百番歌合に就いて
拾玉集大観
藤原家隆論
新古今集と萬葉集
象徴と新古今時代
實朝新考斷片
新勅撰和歌集私觀
李花集と大河原
新葉和歌集雜考
賀茂眞淵の作風
類歌の事
良寛の歌を嫌ふ
再び良寛の歌に就いて
加納諸平論
加納諸平論後篇
近松劇の特質
  ○
卷末小記

新古今の鑑賞 蔵書

$
0
0


川田 順 著

新古今の観賞

    立命館出版部



著者:川田 順
初版:昭和七年七月五日
発行:立命館出版部


目次

第一篇 新古今和歌集の観賞
 序説
 新古今歌人の作歌態度
 集中の萬葉集に就いて
 述懷の歌
 漢詩の影響
 雜考
 象徴的傾向
 象徴の意味
 集の切繼に就いて
 非個性的の藝術
 本歌取りの技巧
 頽癈的傾向
 擬人的傾向その他
 絢爛と枯淡と
第二篇 新古今時代の諸歌人
 時代の私生児實朝
 良經と萬葉集
 山家集の價値
 北面の歌人秀能
 なまけもの具親
 慈鎮和尚の愛嬌
 後京極攝政良經
 待宵の小侍従
 頼政の歌に就いて
 定家と式子内親王
第三篇 雜稿十一種
 新古今集と私
 定家の一首
 自讚歌偽作論
 新勅撰和歌集私觀
 南北朝時代の和歌
 喰はず嫌ひ
 千五百番歌合に就いて
 髄脳物に就いて
 新古今歌人の筆跡
 落穂拾ひ
 新古今時代の戀歌
第四篇 藤原定家歌集講話
 緒言
 春歌
 夏歌
 秋歌
 冬歌
 戀歌
 雜歌

源具親 撰歌一覧

$
0
0
源具親 七首
源師光の次男。母は巨勢宗成の娘 - 後白河院安芸と言われている。妻は姫の前で比企朝宗の娘。具親との再婚前は北条義時の正室。兄は泰光。官位は従四位下・左近衛少将。小野宮少将と号す。新三十六歌仙の1人。
弘長二年(1262年)『三十六人大歌合』に出詠しているが、既に80余歳の高齢だったという。


   春歌上
 百首歌奉りし時
難波潟かすまぬ浪もかすみけりうつるもくもるおぼろ月夜に
正治二年後鳥羽院後度百首

   春歌下
 百首歌めしし時春の歌
時しもあれたのむの雁のわかれさへ花散るころのみ吉野の里
正治二年後鳥羽院後度百首

   秋歌上
 千五百番歌合に
しきたへの枕のうへに過ぎぬなり露を尋ぬる秋のはつかぜ
千五百番歌合

   冬歌
 千五百番歌合に冬歌
今はまた散らでもながふ時雨かなひとりふりゆく庭の松風
千五百番歌合

 千五百番歌合に
今よりは木の葉がくれもなけれども時雨に残るむら雲の月
千五百番歌合

 題知らず
晴れ曇る影をみやこにさきだててしぐると告ぐる山の端の月
千五百番歌合

   雑歌上
熊野にまうで侍りしついでに切目宿にて、海辺眺望といへる心をゝのこどもつかうまつりしに
ながめよと思はでしもやかへるらむ月待つ波の海人の釣舟
元久元年十二月三日切目王子歌会

新古今歌風とその周辺 蔵書

$
0
0

岩崎禮太郎 著


新古今歌風とその周辺

    笠間書院刊



著者:岩崎禮太郎
初版:昭和53年8月31日
発行:笠間書院


  目次
第一章 源俊頼・俊恵法師
 1 俊頼と基俊との歌論上の対立
  ー「めづらしきふし」と「歌めく」を中心としてー
 2 歌道における俊恵の歩みと到達点
  ー歌論との関連においてー
第二章 鴨長明の和歌と歌論 
 1 鴨長明と新古今歌風
 2 鴨長明の歌論おける「ことわり」の根元性
第三章 藤原定家の和歌と歌論
 1 建久・正治・建仁期における定家の歌の推移
 2 正治・建仁期における定家
   ー過渡期的様相についてー
 3 定家における艶・妖艶と余情妖艶体
 4 定家の有心体とその背景
第四章 建保期の和歌
 1 内大臣家百首における定家と家隆の歌
 2 内大臣百首の定家の恋の歌における主情的表現
 3 内裏名所百首における伝統の継承と創造
 4 内裏名所百首における定家・家隆・俊成女の歌
 5 後鳥羽院百首における定家と家隆との歌
第五章 貞永期の和歌と新勅撰和歌集
 1 洞院摂政家百首における定家と家隆との歌
 2 新勅撰和歌集の春歌の構成と特質

略年表
所収論文一覧
あとがき

新古今時代の歌合と歌壇 蔵書

$
0
0

谷山茂著作集四

新古今時代の歌合と歌壇






著者:谷山茂
初版:昭和五十八年九月二十五日
発行:角川書店


第一章 歌合の論
 歌合と歌論
 歌合における女性
 中世の歌合
第二章 歌合における六条家の人びと
第三章 歌合をめぐる六条家と御子左家
第四章 歌合における定家と家隆
第五章 新古今時代の歌合
 慈鎮和尚自歌合成立年代攷
 三百六十番歌合
 仙洞十番歌合は衆議判か
第六章 飜刻と研究
 治承三十六人歌合と建仁年間影供歌合

 初出論文掲載誌一覧
 解説    井上宗雄・有吉保

新古今増抄 蔵書

$
0
0


新古今増抄  大坪利絹 校注





加藤磐斎 著
寛文三年八月吉日 刊
寛文二年八月十五日 序の日付




新古今増抄 中世の文学
(一)序、春歌上、春歌下、夏歌
(二)(三)(四)(五)(六)

校注:大坪利絹
初版:平成九年四月一日
発行:三弥井書店

増抄 自説
古抄 常縁又は幽斎の増補注
奥義抄 
公事根源 公事根源愚考
十節記 略要抄
初学記 略要抄

昔男時世妝 東下り1

$
0
0

 あづ
   ま


   くだりの
       段


  ○東くだりの三段
むかし男有けり。京に有わびて、あづまにいけるに、此段より
三段、みな業平の東くだりといふ所。そも業平の東くだりといふ
事、しつかりとした所見はなけれど、しかし此伊勢物語、古今の哥
の詞書にもあづまに行ける時などゝ、慥に書れたれば、是より外の證
據はあらじ。殊に大江の匡房は、二条の后と縁を切ふ手管がなさ
に一ツときの無分別坊主になり給ひしが、その髪を延さんが為
みちのく八十嶋に下り給ひ、小野の小町の髑髏に、薄一村生出し


が、秋風のふくに付てあなめ/\といふ声を現に聞付給ひし
とうふ事もあれば、所詮なり平の東下り、たしかな事と思ふた
がよかるべし。されば伊勢尾張の海頭を行に、いかさま此あたり
桑名熱田鳴海などゝて、名に聞へたる遠浦、方量、無辺の
海のうへに、白波のいと高く、汀の並木の松風も、塩じみたる旅
の心。殊になり平は、都そだちのお上臈、こゝろにかゝるかた○は
あり、ものわびしいはお道理かな
 いとゞしくすぎゆくかたのこひしきに
  うら山しくもかへるなみかな
となん讀せ給ひける。もとより友とする人ひとりふたり
此一人二人の友は、浮世をば捨人か。但は和哥の修行の人か此躰


なればはか/"\しく、下人とてもつれ給はじ。勿論又、お乗物のお駕籠のと、そんな沙汰はおもひもよらぬ事おいとしや雲の上人、かう
いた/\しう、御身をば痛しめ給ふ事は、畢竟おぬしのお心より
とはいひながら、笑止といはふか、いたはしいといはふか。和かなお足
を、しづ心ない、わらんぢはくはふし。元より雨具も有まいなれば、降
たらばぬれさせ給はん。恋ゆへのうき御苦労ぞや。扨淺間の嶽
の哥の段。此所をばある理屈くさい三度飛脚が、娘が寺で伊勢
物語を習ふて来て讀を聞て、馬鹿/"\しい。拙者らが月には二三
度づゝも五十三次を、よるとなく晝となく、上下をばするは、伊勢尾
張の方から、淺間の嶽に煙たつを見てとは、佐渡と越後とでつ
もないと笑らひぬ尤さふはさふなれども、此下の段に、道しれる


人もなければ、まどひいきけりとは書れたり。そのうへいせ尾張の
みにもあらず。陸奥までも下り給ひし事なれば、段の跡先に
はなつたにもせよ、淺間の嶽をば見給はでは有まじ。扨こそ
 しなのなるあさまのだけにたつけぶり
  をちこち人の見やはとがめぬ
此哥は只景気のおもしろきを見給ひ、上の句にさら/\と
よみ下し此景遠近人、扨も面白い名所誠に是はと見
やはとゞめねとの御詠哥。

明月記 元久二年閏七月二十九日 具親の相談

$
0
0
明月記 元久二年

閏七月
廿九日。晦。天晴る。ー略ー。
夜に入り、具親少将来臨す。当時、小野宮の地に居住する事、日来院に申すの処、今日殿下御討ち有るべき由を申さる。此の事、殿に申すべき由、示し合す。早く殿下に参じ、申し入れらる。宜しかるべきかの由、示し了んぬ。即ち、参会するために病を扶けて帰参す。兼時朝臣を招き出し、相逢はしむ。相伝の譲り文等を進む。小野宮右府の自筆にて、彼の外孫の女、祐家卿の室に譲るの文有り。殊に御感あり。祐家卿の室、老後師頼卿の室に譲る(当時入道の母)。件の室、子師光に譲ると云々。而も山僧虚誕に依り、妨を致すの間の事なり。ー略ー
Viewing all 4522 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>