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Channel: 新古今和歌集の部屋
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増鏡 第一 おどろのした 清撰歌合

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また清撰の御歌合とて、かぎりなくみがゝせ給ひしも、水無瀬殿にての事なりしにや。当座に衆議判なれば、人々の心地いとど置き所なかりけんかし。建保二年長月の頃、すぐれたる限りぬき出で給ふめりしかば、いづれかおろかならん。中にもいみじかりけりし事は、第七番に左、院御歌、

明石潟浦路晴れ行く朝なぎに霧にこぎ入るあまの釣舟

とありしに、北面の中に、藤原秀能とて、年ごろもこの道に許りたるすきものなれば召し加へらるゝ事、常の事なれど、やんごとなき人々の歌だにも、あるは一首二首三首に過ぎざりしに、この秀能九首まで召されて、しかも院の御かたてに參る。さりてありつるあまの釣舟の御歌の右に、

契りおきし山の木の葉の下紅葉そめしころもに秋風ぞ吹く

と詠めりしは、その身の上にとりて、長き世の面目如何はあらん、とぞ聞き侍りし。

昔の躬恒が御階のもとに召されて、

弓張りとしもいふことは

と奏して、御衣たまはりしをこそ、いみじき事にはいひ傳ふめれ。また貫之が家に、枇杷の大臣、魚袋の歌返し、とぶらひにおはしたりしをも、道の高名とこそ日記には書きて侍れ。近頃は西行法師ぞ北面のものにて、世にいみじき歌の聖なめりしが、今の代の秀能、ほと/\古きにもたちまさりてや侍らん。この度の御歌合、大方いづれとなくうちみだして、すぐれたる限り、えり出でさせ給ひしかば、おの/\むら/\にぞ侍りける。

吉水の僧正慈圓と聞こえしまたゝぐひなき歌の聖にていましき。それだに四首ぞ入り給ひにける。さのみはこと長ければもらしぬ。

清撰歌合 建保二年九月十六、十七日十首出詠、二十七日撰進後、最終的に二十五日十五番で結審した模様。

藤原秀能 ふじわらのひでよし1184~1240秀宗の子。後鳥羽院の北面の武士。和歌所寄人。承久の変後出家。

弓張り 月の弓張りについて、醍醐天皇より御下問があり、大河内躬恒が、照る月を弓張りとしもいふことは山の端さして射ればなりけりと詠んだ故事。

貫之が家 藤原師輔が父からの魚の石帯の飾りの返礼の歌を紀貫之に依頼した大鏡の故事。

西行法師 さいぎょう1118~1190俗名佐藤義清23歳で出家諸国を行脚。

慈円僧正 じえん1155~1225藤原忠通の子兼実の弟。天台宗の大僧正で愚管抄を著す。


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