萬葉集代匠記巻之五下
貧窮問答歌并短歌
ヨノナカヲ ウ シ ト ヤ サ シ ト オ モ ヘ ドモ トビタチカ ネ ツ トリニ シ ア ラ ネ バ
世間乎宇之等夜佐之等於母倍杼母飛立可禰都鳥爾之安良禰婆。
ヤサシトは論語云、邦有道貧且賤焉恥也、此意なり。飛立カ子ツは毛詩栢舟云、靜言思之不能奮飛、魏文帝雜詩云、願飛安得翼欲濟河無梁。
論語 泰伯第八 13
子曰。篤信好學。守死善道。危邦不入。亂邦不居。天下有道則見。無道則隱。邦有道。貧且賤焉。恥也。邦無道。富且貴焉。恥也。
子曰、篤く信じて学を好み、死を守りて道を善す。危邦には入ず、乱邦には居ず。天下道有れば則ち見われ、道無ければ則ち隠る。邦に道有るに、貧しく且賤しきは恥なり。邦に道無きに、富且貴きは恥なり。
『万葉代匠記』
江戸時代の国学者・契沖が著した『万葉集』の注釈・研究書。
水戸光圀の志により、『万葉集』の諸本を集め校訂する事業を行っており、寛文・延宝年間に下河邊長流が註釈の仕事を託された。長流が病でこの依頼を果たせなくなったときに、同好の士である契沖を推挙した。
代匠記が着手されたのは天和3年の頃であり、「初稿本」は貞享4年頃に、「精選本」は元禄3年に成立した。初稿本が完成した後、水戸家によって作られた校本(四點万葉集と中院本)と『詞林采葉抄』が契沖に貸し与えられ、それらの新しい資料を用いて初稿本をあらためたのが精選本である。
第二巻 41頁
種村宗八
早稲田大学出版
貧窮問答歌并短歌
ヨノナカヲ ウ シ ト ヤ サ シ ト オ モ ヘ ドモ トビタチカ ネ ツ トリニ シ ア ラ ネ バ
世間乎宇之等夜佐之等於母倍杼母飛立可禰都鳥爾之安良禰婆。
ヤサシトは論語云、邦有道貧且賤焉恥也、此意なり。飛立カ子ツは毛詩栢舟云、靜言思之不能奮飛、魏文帝雜詩云、願飛安得翼欲濟河無梁。
論語 泰伯第八 13
子曰。篤信好學。守死善道。危邦不入。亂邦不居。天下有道則見。無道則隱。邦有道。貧且賤焉。恥也。邦無道。富且貴焉。恥也。
子曰、篤く信じて学を好み、死を守りて道を善す。危邦には入ず、乱邦には居ず。天下道有れば則ち見われ、道無ければ則ち隠る。邦に道有るに、貧しく且賤しきは恥なり。邦に道無きに、富且貴きは恥なり。
『万葉代匠記』
江戸時代の国学者・契沖が著した『万葉集』の注釈・研究書。
水戸光圀の志により、『万葉集』の諸本を集め校訂する事業を行っており、寛文・延宝年間に下河邊長流が註釈の仕事を託された。長流が病でこの依頼を果たせなくなったときに、同好の士である契沖を推挙した。
代匠記が着手されたのは天和3年の頃であり、「初稿本」は貞享4年頃に、「精選本」は元禄3年に成立した。初稿本が完成した後、水戸家によって作られた校本(四點万葉集と中院本)と『詞林采葉抄』が契沖に貸し与えられ、それらの新しい資料を用いて初稿本をあらためたのが精選本である。
第二巻 41頁
種村宗八
早稲田大学出版