齋宮のはじめは崇神帝の
皇女豊鋤入姫命、天照大神
の御杖代となり、國々へ遷行
のうち、垂仁帝の皇女大和
姫の命に譲り、其後伊
勢國五十鈴川の上に、鎮
座まし/\て、斎宮を多
氣郡に作る。故に多
氣の都といふ。
其より世々の
帝、御即位
の時、斎宮に
立せ給ふべ
き、皇女を卜
定し、宮中
に斎院をつ
くり、明年七
月迄こゝに、齋
し給ひ、八月野の
宮に移、亦一とせ
斎ありて九月上
旬吉日河に臨み○
禊をなし、内裏へか
へり、其より伊勢に
赴き給ふ。其儀式
等は、江家次第、西
宮抄等に委しく、
官府又朝野群
載に見えたり。業
平伊勢に使して斎
宮に密通をなす事、
伊勢物語及び、諸書
に是を挙。道雅又斎宮に通
ずる事あれども、斎宮帰京の上
なり。されども其制禁厳にして、
媒せしもの退られし程に、忍逢ぬ
べきよすがなきまゝ、深く是を歎き、
御殿の欄に歌をよみて、結付られ
しとなん。今はたゞよめるうたも、
かゝるをりからなるべし。
○み
約束上に○しからねば従
者下に乱る。従僕の争ふ
は、主君の命令厳かな
らざればなり。定頼春日行
幸の折から、しかも行司と
して闘争をしづめず。
却て従者をして、是を
助しむ。罪を得事
宜なり
因云
明朱舜水、
乱をさけて、
皇國に来
り。水府に
居する時
一人の隷僕を
養ふ。起居甚
つつしむ。将一日
他に至るに、
一人を雇て
僕とす恩
顧の主従の
如く、出入頓
首して、命に
随ふ。舜水
深く皇國
の風儀
を、尊み
けるとなり
○ただ
山家集
大峯の神仙と
いふ所にて月を
見てよみける
ふかき山に
住みける
月を
見ざりせば
思ひでも
なき
我身なら
まし
西行
大峰は、大和
の国吉野に
あり。修験道
練行のところ、
吉野より熊
野に至て、七十
余峯、山嶺
の高峻、坂路
の嶮難桟を
渡り、雲を
踏んでゆく。
御山、釈迦嶽
大日岳、土室等
を経て玉置山に
至る、これを峯中
といふ。熊野發心
門より入を順と
いふ。役小角、熊野
より分はじめし
なり。其後山に
蛇すみて、入事なり
がたきを、醍醐の聖
寳、吉野よりふみ
初しなりと、
栄花物語には
いへり
周防の内侍が
我さへ軒のしのぶ
草と、柱に書つけ
けん、伊勢が瀬に
かはりゆくとよみ
し
家と、同日の論と
いふべ
し
注
古今集
家をうりてよめる
伊勢
飛鳥川ふちにもあらぬ我が宿も瀬にかはりゆく物にぞ有りける