二条の院の御時、故
京極大相國のつくり
給ふたる、笛譜の説を、
妙音院殿に勅聞有
けるに、いかにぞやと
おぼしきふし/"\、少々
奏せさせたまひ
けるを、其夜の
夢に、かの大相国
の御消息あり。
宗輔とかゝれ
たり。
うせにし人の
いかにとあや
しみて、き
きみれば、
其かみなら
ひし道
をかたむけ、
奏し給ふ
こそ口惜う
侍れとかゝ
れたり。おど
ろきやがて
参内有て、かの
譜につきて申
せし事は、皆ひが
覚えにこそと、奏
し直させ給ひけるとぞ。
道因法師の没後に、
俊成卿、千載集を撰ま
れしに、かの法師の歌を
十八首まで加えられし。夢
に来りて、いたくよろこびを
のべて、泣けるとぞ。かれは恨
これはよろこぶ。ともに執心
の道に深き事こそ
やんごとなけれ
平家物語に云、一門の人々
古郷を焼立る煙、おび
たゞしう立登るをみて、
各肝をひやして落ゆく
中にも、忠度は淀の河
尻迄下りけるが、
それより郎等六
騎相具し、しのびて
都に登り、夜半に
五条の三位の許に
来り、一門の栄花尽
はて、西海へ下り侍る。
世静まりて勅撰の
御沙汰あらんに、身
は八重の汐路に
沈むとも、後世
迄も朽ぬかたみ
と、傳はり侍れ
かしと、思出し
登り候。年比の
愚詠、波
のみくづと
なさん事
遺恨にとて、
鎧のひき
合より、巻
もの一巻
取出し、
三位へ遣
はし給へば、
泪を流し
て
収めらるゝ。
件の巻物の中
に、さりぬべき哥、
いくらも有けれ
ども
其身勅勘の人
なれば、名字を
あらはさず、古郷
花といふ題にて
よまれたる哥一首
ぞ、讀人不知と入
られたる云々
尚歯會は、白氏文集
の趣をうつして、多く
は詩會なりし○、
清輔朝臣の、
はじめる
和歌をもて、
行はれしは
いとめづら
しく、
其後養和
二年の春、
賀茂の
重安、また
尚歯會を
おこ
なふ
に
和哥
を以
は、
此時
七叟
の中、
俊恵
法師
あり、僧の
まじはり
たる事、
おぼつか
なし
とぞ
申
ける
和歌の風体をものに
たとへ、おもしろく
評しけるは、貫之が
古今の序をはじ
めと○、
俊恵、
亦人々
の
○たを
ものによそ
へて、
に
編こと
を
好めり。
故に
敷島の
道の、
○
をも
○る。
志わか
ものゝ、
導とも
なりけり。
此道の
叔孫通
といふ
べし