右 紀貫之
桜ちる木のした
風はさむからで
空にしられぬ
雪ぞ降ける
拾遺集
亭子院歌合に
桜ちる木の下風はさむからで空にしられぬ雪ぞふりける
さくらちるこのしたかぜはさむからでそらにしられぬゆきぞふりける
傳法院殿實治公
伝法院は不明。同時代には三条実治が左大臣まで出世して三公になっている
三条実治
慶安三年(1651年)‐享保九年八月(1724年)
号は暁心院観照。
初名季房、元服後(寛文七年)実通と名告る。
元禄二年(1689年)実治と改名。
元禄六年(1693年):内大臣に就任
同年:右近衛大将と内大臣を辞職
宝永元年(1704年):右大臣となったが、すぐに辞職
宝永2年(1705年)に従一位を授与
正徳5年(1715年)に左大臣となったが、すぐに辞職。
平成30年10月31日 參點九/拾二