雅経が、「鳴く音もよはの」と詠みたりしをば、家隆が、「露のぬきよはの嵐」と詠みたるに似たりと、定家難じ申しき。一文字二文字といふとも、耳に立つ様なる事を取るがあしき也。凡そ雅経はよき歌人にでありしを、後京極摂政の、人の歌を取るといはれけると聞きしを、さしもやと思ひしに、建暦の詩歌合の時、有家が「末の松やまずとととへ」と詠みたりしを、評定の時、定家、雅経などしきりに感じ申ししを、同年七月に五首の会ありしに「あしひきのやまず心にかかりでも」とやがて、詠みたりしは、いかなる事にか。雅経、さしも有家をうらやましく思ふべき程の歌よみにでもなきだにかかり。
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