慈鎮和尚 印
新古今倭謌集巻第四
秋哥上
題不知 中納言家持
神なひ○(乃)みむろ乃やま能くす可川ら
うらふき可へすあきはき尓け里
百首の哥尓者川あきのこゝろを
崇徳院御哥
い川し可とおきの者むけの可多よ里耳
そらやあきとそ可せもきこゆ留
秋歌上
題知らず 中納言家持
神なびのみむろのやまのくずかずら
裏吹き返す秋は来にけり
百首の歌に初秋の心を
崇徳院
いつしかと荻の葉向けの片寄りに
そらやあいとぞ風も聞こゆる
神がおはします神奈備山の葛葉に、風が吹いてひるがえすようになると秋が来たことがわかります。
大伴家持おおとものやかもち718?~785旅人の子越中守、万葉集の編者の一人とみなされている。
いつの間にか荻の葉が片方に靡き、風もそそや(そうだろうそうだろう)と秋になったと聞こえます。
すとくてんのう1119~1164鳥羽天皇の皇子。鳥羽上皇の命で弟近衛天皇に譲位。鳥羽上皇崩御後、後白河天皇と対立し保元の乱により讃岐に配流。讃岐院。崇徳院御時百首