万葉集 巻第五
貧窮問答歌一首并短歌
カゼマジリアメノフルヨノアメマジリユキノフルヨハスベモナクサムクシアレバ
風 離 雨 布流欲乃雨 雑 雪 布流欲波為部母奈久寒 之安禮婆
カタシホヲトリツヽシロヒカスユザケウチスヽロヒテシカブカヒ
堅 塩 乎取 都豆之呂比糟 湯酒 宇知須々呂比弖之可夫可比
ヒビシビシニシカトアラヌヒゲカキナデテアレヲオキテ
鼻毘之毘之爾志可登阿良農比宜可伎撫 而安禮乎於伎弖
ヒトハアラジトホコロヘドサムクシアレバアサブスマヒキカガブリヌノ
人 者安良自等富己呂倍騰寒 之安禮婆麻 被 引 可賀布利布
カタギヌアリノコトゴトキソヘドモサムキヨスラモワレヨリ
可多衣 安里能許等其等伎曾倍騰毛寒 夜須良乎和禮欲利
モマヅシキヒトノチチハハハウヘサムカラムメコドモハコヒテナクラムコノトキハイ
母貧 人 乃父 母 波飢 寒 良牟妻子等 波乞 乞泣 良牟此 時 者伊
カニシツツカナガヨハワタルアメツチハヒロシトイヘドアガ
可爾之都々可汝 代者和多流天 地 者比呂之等伊倍杼安我
タメハセバクヤナリヌルヒツキハアカシトイヘドアガタメハ
多米波狭 也奈里奴流日月 波安可之等伊倍騰安我多米波
テリヤタマハヌヒトミナカワレノミヤシカルワクラバニヒトトハ
照 哉多麻波奴人 皆 可吾 耳 也之可流和久良婆爾比等等波
アルヲヒトナミニアレモツクルヲワタモナキヌノカタギヌノミル
安流乎比等奈美爾安禮母作 乎綿 毛奈伎布 可多衣 乃美留
ノゴトワワケサガレルカヾフノミカタニウチカケフセイホノ
乃其等和和氣佐我禮流可可布能尾肩 爾打 懸 布勢伊保能
マキイホノウチニヒタツチニワラトキシキテチヽハヽハマクラノカタニメコ
麻宜伊保乃内 爾直 土 爾藁 解 敷 而父 母 波枕 乃可多爾妻子
ドモハアトノカタニカコミヰテウレヘサマヨヒカマドニハケブリフキタテズ
等母波足 乃方 爾圍 居而憂 吟 可麻度柔播火気 布伎多弖受
コシキニハクモノスカキテイヒカシクコトモワスレテヌエドリノ
許之伎爾波久毛能須可伎弖飯 炊 事 毛和須禮提奴延鳥 乃
ノドヨヒヲルニイトノキテミジカキモノヲハシキルトイへルガゴトク トルイ
能杼与比居 爾伊等乃伎提短 物 乎端 伎流等云 之如 楚取 五
トラガコエハ子ヤドマデキタチヨバヒヌカクバカリスベ
十戸良我許惠波寝屋度麻弖来立 呼 比奴可久婆可里須部
ナキモノカヨノナカノミチ
奈伎物能可世 間 乃道
風離は今の本誤れり、風雜に作れるに依るべし、堅塩は和名集云、崔禹錫食經云、石塩
一名白塩、又有黑塩、今按俗呼黑塩爲堅塩、日本紀私記云、堅塩、木多師是也、延喜式大膳
上云、釋酋祭料石鹽十顆、孝德紀云、皇太子妃蘇我造媛聞父大臣爲塩所斬傷心痛惋惡
聞塩名所以近侍於造媛者名稱塩名改曰堅塩、大和物語に貧しき家に人をもてなす
事を云に、堅い塩肴にして酒を飲せてとかけり、ー略ー。
天地ハ廣シト云ヘドアガタメハ、狭ヤナリヌル、此狭は
今按古語に任てサクとよむべし、文選應休璉與廣川長岑文瑜書云、宇宙雖廣無陰以
憩歐陽堅石臨終詩云、恢々六合間、四海一何寛、天網布紘網投足不獲安、日月波安可之
等伊倍騰、安我多米波照哉多麻波奴、人皆可、吾耳也之可流、文選劉公幹贈徐幹詩云、仰
視白日光皦々高且懸兼燭八紘内、物類無頗偏我獨抱深感不得與比焉。ー略ー
世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆
貧窮問答歌一首并短歌
カゼマジリアメノフルヨノアメマジリユキノフルヨハスベモナクサムクシアレバ
風 離 雨 布流欲乃雨 雑 雪 布流欲波為部母奈久寒 之安禮婆
カタシホヲトリツヽシロヒカスユザケウチスヽロヒテシカブカヒ
堅 塩 乎取 都豆之呂比糟 湯酒 宇知須々呂比弖之可夫可比
ヒビシビシニシカトアラヌヒゲカキナデテアレヲオキテ
鼻毘之毘之爾志可登阿良農比宜可伎撫 而安禮乎於伎弖
ヒトハアラジトホコロヘドサムクシアレバアサブスマヒキカガブリヌノ
人 者安良自等富己呂倍騰寒 之安禮婆麻 被 引 可賀布利布
カタギヌアリノコトゴトキソヘドモサムキヨスラモワレヨリ
可多衣 安里能許等其等伎曾倍騰毛寒 夜須良乎和禮欲利
モマヅシキヒトノチチハハハウヘサムカラムメコドモハコヒテナクラムコノトキハイ
母貧 人 乃父 母 波飢 寒 良牟妻子等 波乞 乞泣 良牟此 時 者伊
カニシツツカナガヨハワタルアメツチハヒロシトイヘドアガ
可爾之都々可汝 代者和多流天 地 者比呂之等伊倍杼安我
タメハセバクヤナリヌルヒツキハアカシトイヘドアガタメハ
多米波狭 也奈里奴流日月 波安可之等伊倍騰安我多米波
テリヤタマハヌヒトミナカワレノミヤシカルワクラバニヒトトハ
照 哉多麻波奴人 皆 可吾 耳 也之可流和久良婆爾比等等波
アルヲヒトナミニアレモツクルヲワタモナキヌノカタギヌノミル
安流乎比等奈美爾安禮母作 乎綿 毛奈伎布 可多衣 乃美留
ノゴトワワケサガレルカヾフノミカタニウチカケフセイホノ
乃其等和和氣佐我禮流可可布能尾肩 爾打 懸 布勢伊保能
マキイホノウチニヒタツチニワラトキシキテチヽハヽハマクラノカタニメコ
麻宜伊保乃内 爾直 土 爾藁 解 敷 而父 母 波枕 乃可多爾妻子
ドモハアトノカタニカコミヰテウレヘサマヨヒカマドニハケブリフキタテズ
等母波足 乃方 爾圍 居而憂 吟 可麻度柔播火気 布伎多弖受
コシキニハクモノスカキテイヒカシクコトモワスレテヌエドリノ
許之伎爾波久毛能須可伎弖飯 炊 事 毛和須禮提奴延鳥 乃
ノドヨヒヲルニイトノキテミジカキモノヲハシキルトイへルガゴトク トルイ
能杼与比居 爾伊等乃伎提短 物 乎端 伎流等云 之如 楚取 五
トラガコエハ子ヤドマデキタチヨバヒヌカクバカリスベ
十戸良我許惠波寝屋度麻弖来立 呼 比奴可久婆可里須部
ナキモノカヨノナカノミチ
奈伎物能可世 間 乃道
風離は今の本誤れり、風雜に作れるに依るべし、堅塩は和名集云、崔禹錫食經云、石塩
一名白塩、又有黑塩、今按俗呼黑塩爲堅塩、日本紀私記云、堅塩、木多師是也、延喜式大膳
上云、釋酋祭料石鹽十顆、孝德紀云、皇太子妃蘇我造媛聞父大臣爲塩所斬傷心痛惋惡
聞塩名所以近侍於造媛者名稱塩名改曰堅塩、大和物語に貧しき家に人をもてなす
事を云に、堅い塩肴にして酒を飲せてとかけり、ー略ー。
天地ハ廣シト云ヘドアガタメハ、狭ヤナリヌル、此狭は
今按古語に任てサクとよむべし、文選應休璉與廣川長岑文瑜書云、宇宙雖廣無陰以
憩歐陽堅石臨終詩云、恢々六合間、四海一何寛、天網布紘網投足不獲安、日月波安可之
等伊倍騰、安我多米波照哉多麻波奴、人皆可、吾耳也之可流、文選劉公幹贈徐幹詩云、仰
視白日光皦々高且懸兼燭八紘内、物類無頗偏我獨抱深感不得與比焉。ー略ー
世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆