明月記治承四年五月
十七日 夜雨止み、朝天晴る。巷説一ならず。園城寺騒動、關を固め城を構ふと云々。
山上合力の由、其の聞えあり。或は云ふ、虚誕と云々。
廿一日 天晴る。法勝寺に向ふ。前典厩、但馬等、往々三井寺の事を語る。多くは是れ賊軍嗷々の由なり。
廿二日 夜より雨降る。今朝云々の説。頼政卿《入道、年七十七》子姪を引率し、三井寺に入ると云々。今夕俄に八條亭(坊門匣)に行幸。新院又東第に遷りおはします。北の方に火あり。頼政卿、家に火を放つと云々。
廿四日 陰晴。夜に入り、頼政卿東山の堂雑舎を燒くと云々。
廿六日 天陰る。謀反の輩、三井寺の衆徒を引率し、夜中に山階を過ぎ、南京に赴く。官軍之を追ひ、宇治に於て合戦す。遂に奔りて南京に至る。賊徒多く梟首さる。蔵人頭重衡朝臣、右少將維盛朝臣、歸參して俘を献ずと云々。來名あり。