さゞなみやしがのはま松ふりにけり
たがよにひける子日なるらん
百首哥たてまつりし時
新古今和歌集 春歌上
(日吉社によみて奉りける子日の歌)
(皇太后宮大夫俊成)
さざ波や志賀の浜松ふりにけり誰が世に引ける子日なるらむ
百首歌たてまつりし時 (藤原家隆朝臣)
(谷河のうち出づる波も声たてつうぐひすさそへ春の山かぜ)
俊成歌
読み:さざなみやしがのはままつふりにけりたがよにひけるねのひなるらむ 隠
意味:(さざなみや)志賀の浜松はだいぶ樹齢を重ねているが、どの時代かの子の日に植えた小松が根付いて、大きくなったのだろう。
備考:文治六年三月五社百首
家隆歌備考:正治二年後鳥羽院初度百首
近衞殿家基公
○近衞殿ヨリ十五代主
近衛家基 - Wikipedia弘長元年(1261年)ー永仁四年(1296年)
鎌倉時代後期の公卿。近衛基平の長男。右大臣、関白等を歴任した。号に近衛関白。36歳で薨去。
筆跡近衛家基筆消息 文化遺産オンライン
京都府
鎌倉時代
1幅
京都国立博物館 京都府京都市東山区茶屋町527
重文指定年月日:19550202
国宝指定年月日:
登録年月日:
独立行政法人国立文化財機構
国宝・重要文化財(美術品)
歌巻断簡(萱津切) - e国宝手鑑「藻塩草」
国宝
伝近衛家基
でんこのえいえもと
1帖
(手鑑「藻塩草」のうち)
金銀箔散下絵斐紙墨書
縦28.0cm 横14.8cm
鎌倉時代
京都国立博物館
B甲414
評価萱津切 伝近衛家基とは、「乃」、「夕日」と「子日」、「しるらん」と「なるらん」が一致する。「るらん」は一致。「乃」はノの膨らみが無いが、ハネはやや一致。「日」は異なる書体。
令和2年1月20日 壱點七