百首歌奉りし時 式子内親王
聲はして雲路にむせぶほとゝぎすなみだやそゝぐよひの村雨
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本歌√こゑはしてなみだはみえぬほとゝぎす云々。
このうたにては、初句のは°もじは、こゝろなし。
たゞ本哥の詞によれるなり。 雲路、むら
雨によせあり。 むせぶは、なみだのむせぶ
にてむせぶほとゝぎすのなみだといふつゞきなり。
一首の意は、本哥には、涙は見えぬとあれ共
此むら雨は、其涙のそゝぐにやあらんと也。
千五百番哥合に 権中納言公經
ほとゝぎす猶うとまれぬ心哉ながなくさとのよその夕暮
本哥√ほとゝぎすながなく里のあまたあれば云々
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猶うとまれぬのぬ°は、いはゆる畢ぬ°なるを、此哥にては、不の意
に用ひかへたり。 下句は、ながなくさとのあまた有て、よそ
になけどもの意なり。
題しらず 西行
きかずともこゝをせにせんほとゝぎす山田のはらの杉のむら立
二の句せ°は、恋しきせうれしきせなどのせ°にて、こゝを聞べ
き跡にせんといふ意也。 詮也といふは誤なり。俗言にこゝを
せんどゝいふも、詮にはあらず。せにとゝいふを、音便にせんどゝいふ也。
郭公ふかき峯より出にけり外山のすそに聲のおちくる
けりは、おしはかりたるけり也。 深き峯よりといへる。何の用
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ぞや。峯よりとは、猶いひもすべきを、深きとさへいへる。淺き
峯より出たる時鳥は、聲のおちこぬものにや。俊成卿のいたく
ほめられたるは心得ず。
山家暁郭公 後德大寺左大臣
をざゝふくしづのまろやのかりの戸を明がたになくほとゝぎす哉
詞めでたし。 させるふしもなきうたなり。
五首ノ歌人〃によませ侍ける時夏のうた
摂政
うちしめりあやめぞかをる時鳥なくやさ月のあめの夕暮
すべて物のにほひは、しめればまさるものなり。
述懐百首に 俊成卿
今日はまたあやめのねさへかけそへてみだれぞまさる袖の白玉
二の句ねは、根に涙をかねたり。涙をねといふ也。 白玉は涙に
て、薬玉をかねたり。 けふは又といひ、そへてといひ、まさると
いへるにて、常に涙のかゝるをしられたり。 よくとゝのひたる哥也。
釋阿に九十ノ賀たまはせける時の屏風に五月雨
小山田に引しめなはのうちはへてくちやしぬらん五月雨の比
うちはへては、ひたすらになどいはむが如し。それをしめなは
引はへたるよりいひかけたるなり。