夏のうた 慈圓大僧正
雲まよふゆふべに秋をこめながら風もほにいでぬ荻の上かな
こめながら、いうならぬ詞也。 風もの上か下かに、まだといふ
言あらまほし。
大神宮に奉り玉ひし夏の御哥の中に
太上天皇御製
山ざとの峯のあま雲とだえしてゆふべすゞしき槙の下露
千五百番哥合に 宮内卿
かたえさすをふのうらなし初秋になりもならずも風ぞ身にしむ
本哥√をふの浦にかたえさしおほひなる梨の云々。 かた
枝さしおほひたる陰なる故に、秋になりならざるの論な
く、夏の程よりして、風のいとすゞしきよし也。さてかた枝
さすとのみにては、すゞしかるべきよしなけれども、本哥の
さしおほひといふ詞を、つゞめたるなれば、そのおほひと
いふに、すゞしきよりは有なり。
百首哥奉りし時 慈圓大僧正
夏衣かたへすゞしくなりぬなり夜やふけぬらん行合の空
本歌√夏と秋と行かふそらの通路は云々。 本哥とれる
詮なし。たゞ夏衣といへるのみ、かはれる、その夏衣も、縁の
詞だになければ、いたづらごとなり。又なりぬなりといふは、他の
うへを見聞ていふ詞にこそあれ。みづからのうへにはいかゞ。これ
はなりにけりとこそあるべけれ。すべて今の世の人は、かやうの
けぢめをえわきまへざれば、たゞ同じこととぞ思ふらん。此
集の比はしも、猶かゝること、むげに分れざるに(ハ)あらざり
しがとも、あながちに詞をいうによまむと、つとめられたり
しから、かゝるたがひめは、をり/\あるなり。
巻之一 了