柏木
501 柏木 今はとて燃えむ煙もむすぼほれ絶えぬ思ひのなほや残らむ
いまはとてもえむけふりもむすほほれたえぬおもひのなほやのこらむ
502 女三宮 立ち添ひて消えやしなまし憂き事を思ひ乱るる煙比べに
たちそひてきえやしなましうきことをおもひみたるるけふりくらへに
503 柏木 行方無き空の煙となりぬとも思ふ辺りを立ちは離れじ
ゆくへなきそらのけふりとなりぬともおもふあたりをたちははなれし
504 源氏 誰が世にか種は播きしと人問はば如何岩根の松は答へむ
たかよにかたねはまきしとひととははいかかいまねのまつはこたへむ
505 夕霧 時しあれば変はらぬ色に匂ひけり片枝枯れに宿の桜も
ときしあれはかはらぬいろににほひけりかたえかれにしやとのさくらも
506 一条御息所 この春は柳の芽にぞ玉は貫く先散る花の行方知らねば
このはるはやなきのめにそたまはぬくさきちるはなのゆくへしらねは
507 頭中将 木の下の滴に濡れて逆さまに霞の衣着たる春かな
このもとのしつくにぬれてさかさまにかすみのころもきたるはるかな
508 夕霧 亡き人も思はざりけむ打ち捨てて夕の霞君着たれとは
なきひともおもはさりけむうちすててゆふへのかすみきみきたれとは
509 紅梅 恨めしや霞の衣誰着よと春より先に花の散りけむ
うらめしやかすみのころもたれきよとはるよりさきにはなのちりけむ
510 夕霧 事ならば馴らしの枝にならさなむ葉守の神の許しありきと
ことならはならしのえたにならさなむはもりのかみのゆるしありきと
511 落葉宮 柏木に葉守の神はまさずとも人馴らすべき宿の梢か
かしはきにはもりのかみはまさすともひとならすへきやとのこすゑか
横笛
512 朱雀院 世を別れ入りなむ道は遅るとも同じ所を君も訪ねよ
よをわかれいりなむみちはおくるともおなしところをきみもたつねよ
513 女三宮 憂き世にはあらぬ所のゆかしくて背く山路に思ひこそ入れ
うきよにはあらぬところのゆかしくてそむくやまちにおもひこそいれ
514 源氏 憂き節も忘れずながら呉竹の子は捨て難き物にぞありける
うきふしもわすれすなからくれたけのこはすてかたきものにそありける
515 夕霧 言に出て言はぬも言ふに勝るとは人に恥たる気色をぞ見る
ことにいてていはぬもいふにまさるとはひとにはちたるけしきをそみる
516 落葉宮 深き夜のあはればかりは聞き分けど言より外にえやは言ひける
ふかきよのあはれはかりはききわけとことよりほかにえやはいひける
517 一条御息所 露繁き葎の宿に古の秋に変はらぬ虫の声かな
つゆしけきむくらのやとにいにしへのあきにかはらぬむしのこゑかな
518 夕霧 横笛の調べは殊に変はらぬを空しくなりし音こそ尽きせぬ
よこふえのしらへはことにかはらぬをむなしくなりしねこそつきせね
519 柏木 笛竹に吹き寄る風の如ならば末の世長き音に伝へなむ
ふえたけにふきよるかせのことならはすゑのよなかきねにつたへなむ
鈴虫
520 源氏 蓮葉を同じ台と契り置きて露の別るる今日ぞ悲しき
はちすはをおなしうてなとちきりおきてつゆのわかるるけふそかなしき
521 女三宮 隔てなく蓮の宿を契りても君が心や清ましとすらむ
へたてなくはちすのやとをちきりてもきみかこころやすましとすらむ
522 女三宮 大方の秋をば憂しと知りにしを振り棄て難き鈴虫の声
おほかたのあきをはうしとしりにしをふりすてかたきすすむしのこゑ
523 源氏 心持て草の宿りを厭へども猶鈴虫の声ぞ振りせぬ
こころもてくさのやとりをいとへともなほすすむしのこゑそふりせぬ
524 冷泉帝 雲の上を掛け離れたる住処にも物忘れせぬ秋の夜の月
くものうへをかけはなれたるすみかにもものわすれせぬあきのよのつき
525 源氏 月影は同じ雲居に見えながら我が宿からの秋ぞ変はれる
つきかけはおなしくもゐにみえなからわかやとからのあきそかはれる
夕霧
526 夕霧 山里の哀れを添ふる夕霧に立ち出でむ空も無き心地して
やまさとのあはれをそふるゆふきりにたちいてむそらもなきここちして
527 落葉宮 山賎の籬を込めて立つ霧も心空なる人は留めず
やまかつのまかきをこめてたつきりもこころそらなるひとはととめす
528 落葉宮 我のみや憂き世を知れる例にて濡れ添ふ袖の名を朽すべき
われのみやうきよをしれるためしにてぬれそふそてのなをくたすへき
529 夕霧 大方は我濡衣を着せずとも朽ちにし袖の名やは隠るる
おほかたはわれぬれきぬをきせすともくちにしそてのなやはかくるる
530 夕霧 荻原や軒端の露に濡ちつつ八重立つ霧を分けぞ行くべき
をきはらやのきはのつゆにそほちつつやへたつきりをわけそゆくへき
531 落葉宮 分け行かむ草葉の露を託言にて猶濡衣を掛けむとや思ふ
わけゆかむくさはのつゆをかことにてなほぬれきぬをかけむとやおもふ
532 夕霧 魂をつれなき袖に留め置きて我が心から惑はるるかな
たましひをつれなきそてにととめおきてわかこころからまとはるるかな
533 夕霧 堰くからに浅さぞ見えむ山川の流れての名を包み果てずは
せくからにあささそみえむやまかはのなかれてのなをつつみはてすは
534 一条御息所 女郎花萎るる野辺を何処とて一夜ばかりの宿を借りけむ
をみなへししをるるのへをいつことてひとよはかりのやとをかりけむ
535 夕霧 秋の野の草の茂みは分けしかど仮寝の枕結びやはせし
あきのののくさのしけみはわけしかとかりねのまくらむすひやはせし
536 雲居雁 哀れをも如何に知りてか慰めむあるや恋しき亡きや悲しき
あはれをもいかにしりてかなくさめむあるやこひしきなきやかなしき
537 夕霧 何れとか分きて眺めむ消え返る露も草葉の上と見ぬ世を
いつれとかわきてなかめむきえかへるつゆもくさはのうへとみぬよを
538 夕霧 里遠み小野の篠原分けて来て我も鹿こそ声も惜しまね
さととほみをののしのはらわけてきてわれもしかこそこゑもをしまね
539 小少将 藤衣露けき秋の山人は鹿の鳴く音に音をぞ添えつる
ふちころもつゆけきあきのやまひとはしかのなくねにねをそそへつる
540 夕霧 見し人の影澄み果てぬ池水に独り宿守る秋の夜の月
みしひとのかけすみはてぬいけみつにひとりやともるあきのよのつき
541 夕霧 何時かとは驚かすべき明けぬ夜の夢覚めてとか言ひし一言
いつかとはおとろかすへきあけぬよのゆめさめてとかいひしひとこと
542 落葉宮 朝夕に鳴く音を立つる小野山は絶えぬ涙や音無しの瀧
あさゆふになくねをたつるをのやまはたえぬなみたやおとなしのたき
543 落葉宮 登りにし峰の煙に立ち混じり思はぬ方に靡かずもがな
のほりにしみねのけふりにたちましりおもはぬかたになひかすもかな
544 落葉宮 恋しさの慰め難き形見にて涙に曇る玉の箱かな
こひしさのなくさめかたきかたみにてなみたにくもるたまのはこかな
545 夕霧 恨みわび胸空き難き冬の夜に未だ鎖し勝る関の岩門
うらみわひむねあきかたきふゆのよにまたさしまさるせきのいはかと
546 雲居雁 馴るる身を恨むるよりは松島の海人の衣に裁ちや変へまし
なるるみをうらむるよりはまつしまのあまのころもにたちやかへまし
547 夕霧 松島の海人の濡れ衣馴れぬとて脱ぎ返つてふ名を立ためやは
まつしまのあまのぬれきぬなれぬとてぬきかへつてふなをたためやは
548 頭中将 契りあれや君を心に留め置きて哀れと思ふ恨めしと聞く
ちきりあれやきみをこころにととめおきてあはれとおもふうらめしときく
549 落葉宮 何故か世に数ならぬ身一つを憂しとも思ひ悲しとも聞く
なにゆゑかよにかすならぬみひとつをうしともおもひかなしともきく
550 藤典侍 数ならば身に知られまし世の憂さを人の為にも濡らす袖かな
かすならはみにしられましよのうさをひとのためにもぬらすそてかな
551 雲居雁 人の世の憂きを哀れと見しかども身に代へむとは思はざりしを
ひとのよのうきをあはれとみしかともみにかへむとはおもはさりしを