尾張廼家苞 四之上
水無瀬戀十五首歌合に 摂政
山がつの麻のさ衣おさをあらみあはで月日や杉ふける庵 本歌、すまの海人の塩やき衣おさをあらみまどほにあれや 君が來まさね。萬葉に杉板もてふける板目のあはざらば (いかにせんとて 我ねそめけん。)云々。(此二首をとり合せ給へり。上ノ句はたゞ間遠なりといふ事なる を、本歌に譲りてあはでとつゞけさせ給へり。本歌をかくさまに とる事もいと稀 にはある事也。)此二首をあはせて間遠にあれや君が来まさ ぬの意もて、あはでといひ、月日の過ると杉ふける庵といひ かけたるなり。月日のとあるべきを、やと疑たるは、たゞ語の 勢ひをあらせんのみか。(かくいはるゝは、やにてはあかぬ事のやう なれど、などかかくもいはざらん。 )やには 行末をかけておもひやる意になる也。(一首の意は、此やうにくる事 の間遠にのみあるが、此後も)
(あはで月日を過る 事やらんとなり。)杉ふける庵とゝちめたる、本歌の詞にはあ れども、庵は上にいさゝかも縁なければ、無用のはなれ物 也。(衣の縁にかさぬとかうらみととかあるべしと也。されど此歌、山がつが麻のさ衣を 織といふつゞきにては、機を織所といはんに子細なし。よししからずとも、玉楼 金殿といはゞこそあらめ。杉ふける庵、山がつに何の縁なき 事からん。此下に議論一条あり。事長ければ別に論注すべし。) 百首歌奉りし時 俊成卿
逢事はかた野の里のさゝの庵しのに露ちるよはの床哉 しのにはししげくといふ意にて、さゝの縁の詞なり。(一首の こゝろは あふ事のかたき故に、夜半の床に しげく露がおくとなり。 )此歌、初句をのぞけば二ノ句よ り下は戀の哥ニあらず。いかゞ。(二三の句は序。下の句は恋のこゝろ也。 恋の歌にあらずとはいかゞ。)さゝの庵 とある故にだゞさゝの庵の歌とこそきこゆれ。(初句を除けばさゝ の庵の事ときこえ)
(ても、逢事のとあれば恋の意にて、名歌也。五句 具足したる哥を、四句にて論ずるやうやはある。) 入道前関白右大臣に侍ける時百首歌に忍恋
ちらすなよしのゝ葉艸のかりにても露かゝるべき袖のうへかは 初句ハもらすなよの心なるを、露の縁にてちらすなよとは いへる也。しのゝといふに、忍ぶといふことをこめたり,(此意はなし. これを忍ぶ 義としては、初句と同じ事かさなり、一首もときえがたし。 あながちにゆへあらせんとかまへらるゝ故、かくの如き失あり。)かりにてもは假 にも也。(刈の秀句 なるべし。)一首の意は、何となくてはかりにもかやうニ袖 に露のかゝるべきならねば、かならず恋すと人にとがめ らるべければ、(その心して、人にちらさぬやうに せよと、人をいましめたるこゝろ也。)心して此露をち らしもらして人に見とがめらるまじきぞと也。(ちらすなよと 人に仰する意)
(によみたる歌を、あながちにみづからのうへに説なさるゝは、其心しりがたし。もし は忍恋といふ題は、必あはぬさきの事をよむべしと、偏執さらるゝにはあらじか。そ れも一わたりはさる事なれども、たま/\は活用して、逢て後に忍ぶ意によみた らむもなでふ事かあらん。英雄のうへはさら也。正明ばかりの者も、歌かず多く よむには、かやうの事立まじ るも常の事なるをや。 )然るをちらすなよとあるは、人にいひつくる 詞なればいかゞ。これはみづからちらさじとおもふをいふな れば、ちらさじよとこそあるべけれ。ちらすなよといへば人をいま しむる詞、ちらさじよといへば自 いましむる詞といふ事は、田夫桑婦もよくしる事也。 俊成卿歌のひじりにて、これしろしめじとにや。
夕恋 秀能
もしほ焼あまの磯屋の夕煙たつ名もくるしおもひたえなで 題の夕の意はたらかず。(此難は今時の人よくいふ事也。題の意を深切 によむも一ツの結構なれど、必しもこれを守るべ きにもあらず。古人はたゞ夕といふもじだに入れば事られりとして、歌の秀逸に 心をかけたるもの也。下句に夕といふもじかけ合なしなどいふは今時の論也。一首の
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水無瀬戀十五首歌合に 摂政
山がつの麻のさ衣おさをあらみあはで月日や杉ふける庵 本歌、すまの海人の塩やき衣おさをあらみまどほにあれや 君が來まさね。萬葉に杉板もてふける板目のあはざらば (いかにせんとて 我ねそめけん。)云々。(此二首をとり合せ給へり。上ノ句はたゞ間遠なりといふ事なる を、本歌に譲りてあはでとつゞけさせ給へり。本歌をかくさまに とる事もいと稀 にはある事也。)此二首をあはせて間遠にあれや君が来まさ ぬの意もて、あはでといひ、月日の過ると杉ふける庵といひ かけたるなり。月日のとあるべきを、やと疑たるは、たゞ語の 勢ひをあらせんのみか。(かくいはるゝは、やにてはあかぬ事のやう なれど、などかかくもいはざらん。 )やには 行末をかけておもひやる意になる也。(一首の意は、此やうにくる事 の間遠にのみあるが、此後も)
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(あはで月日を過る 事やらんとなり。)杉ふける庵とゝちめたる、本歌の詞にはあ れども、庵は上にいさゝかも縁なければ、無用のはなれ物 也。(衣の縁にかさぬとかうらみととかあるべしと也。されど此歌、山がつが麻のさ衣を 織といふつゞきにては、機を織所といはんに子細なし。よししからずとも、玉楼 金殿といはゞこそあらめ。杉ふける庵、山がつに何の縁なき 事からん。此下に議論一条あり。事長ければ別に論注すべし。) 百首歌奉りし時 俊成卿
逢事はかた野の里のさゝの庵しのに露ちるよはの床哉 しのにはししげくといふ意にて、さゝの縁の詞なり。(一首の こゝろは あふ事のかたき故に、夜半の床に しげく露がおくとなり。 )此歌、初句をのぞけば二ノ句よ り下は戀の哥ニあらず。いかゞ。(二三の句は序。下の句は恋のこゝろ也。 恋の歌にあらずとはいかゞ。)さゝの庵 とある故にだゞさゝの庵の歌とこそきこゆれ。(初句を除けばさゝ の庵の事ときこえ)
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(ても、逢事のとあれば恋の意にて、名歌也。五句 具足したる哥を、四句にて論ずるやうやはある。) 入道前関白右大臣に侍ける時百首歌に忍恋
ちらすなよしのゝ葉艸のかりにても露かゝるべき袖のうへかは 初句ハもらすなよの心なるを、露の縁にてちらすなよとは いへる也。しのゝといふに、忍ぶといふことをこめたり,(此意はなし. これを忍ぶ 義としては、初句と同じ事かさなり、一首もときえがたし。 あながちにゆへあらせんとかまへらるゝ故、かくの如き失あり。)かりにてもは假 にも也。(刈の秀句 なるべし。)一首の意は、何となくてはかりにもかやうニ袖 に露のかゝるべきならねば、かならず恋すと人にとがめ らるべければ、(その心して、人にちらさぬやうに せよと、人をいましめたるこゝろ也。)心して此露をち らしもらして人に見とがめらるまじきぞと也。(ちらすなよと 人に仰する意)
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(によみたる歌を、あながちにみづからのうへに説なさるゝは、其心しりがたし。もし は忍恋といふ題は、必あはぬさきの事をよむべしと、偏執さらるゝにはあらじか。そ れも一わたりはさる事なれども、たま/\は活用して、逢て後に忍ぶ意によみた らむもなでふ事かあらん。英雄のうへはさら也。正明ばかりの者も、歌かず多く よむには、かやうの事立まじ るも常の事なるをや。 )然るをちらすなよとあるは、人にいひつくる 詞なればいかゞ。これはみづからちらさじとおもふをいふな れば、ちらさじよとこそあるべけれ。ちらすなよといへば人をいま しむる詞、ちらさじよといへば自 いましむる詞といふ事は、田夫桑婦もよくしる事也。 俊成卿歌のひじりにて、これしろしめじとにや。
夕恋 秀能
もしほ焼あまの磯屋の夕煙たつ名もくるしおもひたえなで 題の夕の意はたらかず。(此難は今時の人よくいふ事也。題の意を深切 によむも一ツの結構なれど、必しもこれを守るべ きにもあらず。古人はたゞ夕といふもじだに入れば事られりとして、歌の秀逸に 心をかけたるもの也。下句に夕といふもじかけ合なしなどいふは今時の論也。一首の
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