八月十五夜和哥所哥合に深山月
深からぬ外山のいほの寐覚だにさぞな木ノ間の月はさびしき
だには、すらの意なり。 さぞなは、かくの如くぞといふ意也。
一首は、外山の庵のねざめに、木ノ間の月を見てさびしき
につきて、深山の月のさびしさを、おしはかりたるれり。
されど深山月といふ題に、かくよみてはいかゞ。さぞなを、おし
はかりたる詞として、下を深山の事ともすべけれども、さては
上句よりのつゞきにかなはず。
月前松風 寂蓮
月は猶もらぬ木間もすみよしの松をつくして秋風ぞ吹
めでたし。 月の影はもらぬ松の木ノ間迄も、こと/"\
く残さず、秋風は吹渡ると也。 松をつくして、おもしろし。
長明
ながむればちゞに物思ふ月にまたわが身ひとつの峯の松風
めでたし。 本哥√ながむればちゞに物社かなしけれ云々。
初二句、本哥の意にて、月は我身ひとつの月にあらず。世ノ
中おしなべててる月なるすら、ちゞに物がなしきに、そのうへ
又なり。 下句は、山のおくにすむものは、我一人なれば、此峯の
松風は、我身ひとつの秋のかなしさぞとなり。
山月 秀能
あし引の山路の苔の露のうへにね覚よふかき月を見る哉
旅寐の哥也。 ねざめ夜深きといへるに、とけてねられ
ぬ意をあらはせり。
八月十五夜和哥所哥合に海邊秋月
宮内卿
心あるをじまのあまの袂哉月やどれとはぬれぬものから
めでたし。下句詞いとめでたし。 月宿れとてぬれ
たる袂にはあらざれども、月のやどりたれば、おのづから心
あるさまに見ゆとなり。
宜秋門院丹後
忘れじな難波の秋の秋のよはの空こと浦にすむ月は見るとも
めでたし。 三の句、夜はの月といふ意なるを、月は下
句にある故に、詞をかへて、空といひて、下なる月を、こゝへも
ひゞかせたる也。 上下の句の間へ、今より後、と云ことを加へて心得べし。
長明
松嶋やしほくむあまの秋の袖月は物思ふならひのみかは
めでたし。 月の袖にやどるは、物思ふ人のならひのみかと
思へば、それのみならず、塩くむあまの袖にも、宿れりとなり。
袖とのみいひて、ぬるゝことをいはず、月とのみいひて、やどる
といふ事をもいはざるは、ことさらにはぶきて、然聞えさせたる
たくみなり。