琳賢基俊ヲタバカル事 いかなりけるときにか琳賢は基俊となかのあし かりければたばらんとおもひてあるとき後撰の 恋の哥の中に人もしらずみゝどをきかかぎり 廿首をゑりいだしてかきつがひてかの人のもとへ もていにけり。こゝに人のことやうなる哥合をして かちまけをしらまほしくつかまつるにつけて給
はらんとてとりいでたりければこれを見て 後撰の哥といふ事ふつとおもひもよらずおもふ さまにやう/\に難ぜられたりけるをこゝかしこに もてありきて左衛門佐(ニ)あひ申たればなしつぼ の五人のはからひもものならず。あはれ上古にも すぐれ給へる哥仙かな。これみ給へとて軽慢し ければみる人いみじうわらひけり。基俊かへり きゝてやすからずおもはれたれどかひなかりけり。
*琳賢 前段で伊勢の君琳賢とある。橘氏、伊勢守義清男。叡山僧、大原に住む。
※なしつぼの五人梨壺の五人。後撰集の選者大中臣能宣、源順、清原元輔、坂上望城、紀時文。御所の昭陽舎(梨壺)に置かれた和歌所に五人が集められ、万葉集の解読、後撰集の編纂が行われた。