依秀句心劣スル事
圓玄阿闍梨といひし人の哥に
ゆふぐれになにはの浦をながむれば
霞にうかぶおきのつりぶね
この哥はいふなれどぬしの心をとりせらるゝ哥也。
そのゆへはかすみにうかぶおきのつりぶねと
いへるわりなきふしをおもひよりなんにとりては
いかゞゆふぐれになにはの浦をながむればといふかみの
句をばをかむ。まことに無念に見所もなき
ことばつゞき也。をなじ浦なりともゆふ
ぐれなりともめづらしきやうにおもふところあり
てつゞくかたも侍なん物を。さほど手づゝにて
いかにして下の句をばおもひよりけるにかとおぼ
え侍也。
依秀句心劣する事
円玄阿闍梨といひし人の歌に
夕暮に難波の浦をながむれば霞に浮かぶ沖の釣舟
この歌は優なれど、主の心劣りせらるる歌也。その故は、「霞に浮かぶ沖の釣舟」といへる、
わりなき節を思ひ寄りなんにとりては、いかゞ「夕暮に難波の浦をながむれば」といふ上の
句をば置かむ。真に無念に見所もなき詞続き也。同じ浦なりとも夕暮なりとも珍しきやうに
思ふ所有りて続く方も侍なん物を。さほど手づつにて、如何にして下の句をば、思ひ寄りけ
るにかと覚え侍也。
※円玄阿闍梨
源俊保(醍醐源氏 尊卑分脈)か佐藤俊保(作者部類)の子。伝不詳。
※夕暮に難波の浦を
千載集雑上 眺望の心をよめる 円玄法師とある。ただし、「難波潟汐路はるかに見渡せば」となっている。