小式部内侍
大江山幾野のみちのとをければまだふみもみずあまのはしだて
金葉雑上。和泉式部保昌にぐして、丹後の国に
侍りける比、都に哥合のありけるに、小式部内侍哥
よみにとられて侍けるを、中納言定頼局のかた
にもうで来て、哥はいかゞせさせ給ふ。丹後へは人つ
かはしけんやつかひはまうでこずや。いかにこゝろもと
なくおぼすらんなどたはぶれて立けるを、引とめて
よめる云云。
御抄に云、和泉式部道貞にわすられて後藤原保昌丹後守
になりてくだるにぐして下れる也。哥よみにとられて
とは、哥合の人◯に入られたる也。哥はいかゞせ給ふとは御
抄云、是は小式部が哥のよきは、母の和泉式部によま
せてわがうたにすると云事の◯侍りけるを、口おし
くおもひせる比、定頼卿かくいへるとき讀哥也。此うたよま
ず◯かねてのうたがひもさればこそとははるべきを、かく
よめるによりて人のうたがひもはらしわが名誉もし
た◯◯はありがたき事にや 此事古今著聞ニアリ
師説、大江山は丹波路のいり口也。鳥羽のうへにみゆる也。
新古今に√大江山かたぶく月のかげさして鳥羽の田の面に
おつる厂がねと讀る是也。幾野は丹波の奥也。大江山
幾野とつゞくは丹波路のとほきをいはんとてなり。
皆丹後橋立への道也。また踏もみうとはゆきても
みぬとの心也。文の心もあり。詞書のつかひと云によれる
詞なり。師説哥心は丹後へは人つかはしけんや。つかひ
はまうてこずやと云にこたへて丹後は大江山
幾野を越てとをき◯なればまたつかひもこず
文みる事もあらずといへる也。橋にふみ見る◯云云
事なり。√陸奥のおだえの橋やこれならんふみ見ふみ
見す心まどはす√おそろしやきそのかけぢの丸木橋
ふみみるたびにおちぬべき哉など讀り。またふみもみす
あまの橋立と云詞つゞきの優るみ当て即妙なるべし。