案過テ成失事
愚詠の中に
時雨にはつれなくもれし松の色を
ふりかへてけりけさのはつゆき
これを俊恵難云たゞつれなくみえしといふ
べき也。あまりわりなくわがせるほどにかへり
てみゝとまるふしとなれるなり。ある所の哥合に
かすみを俊恵の哥に
ゆふなぎにゆらのとわたるあまをぶね
かすみのうちにこぎぞいりぬる
そのたびの會に清輔朝臣たゞをなじやうに
よみたりしにとりてかれはかすみのそこにと
よめりしを人の入海かとおぼゆと難じ侍し也。
のさびなる所をばたゞ世のつねにいひながすべき
をいたりあんじすぐしつればかへりてみゝとまる
ふしとなる也。たとへばいとをよる人のいたくけう
らによらんとよりすぐしつればふしとなるがご
とし。これをよくはからふを上手といふべし。
風情はをのづからいでくる物なればほどにつけ
つゝもとめうることもあれどかやうのことに上手
にてうのけぢめはみゆる也。さればゑせ哥よみの
秀句にはおほくはたらぬ所のいでくるぞかし。
案過テ成失事
愚詠の中に
時雨にはつれなく漏れし松の色を降りかへてけり今朝の初雪
これを俊恵難云、「ただつれなく見えし」といふべき也。あまりわりなくわがせるほどに、
かへりて耳とまる節となれるなり。ある所の歌合に
霞を俊恵の哥に
夕なぎに由良の戸渡る蜑小舟霞のうちに漕ぎぞ入りぬる
その度の会に清輔朝臣ただ同じやうに読みたりしにとりて、彼は「霞の底に」と読めりし
を、人の「入海かと覚ゆ」と難じ侍し也。のさびなる所をば、ただ世の常に言ひ流すべき
を、いたく案じ過ぐしつれば、かへりて耳とまる節となる也。例えば糸を縒る人のいたく
けうらに縒らんと縒り過ぐしつれば、節となるが如し。これをよく計ふを上手と云ふべし。
風情は自から出で来る物なれば、程につけつつ求め得る事もあれど、かやうのことに上手
にて、そのけぢめは見ゆる也。されば、似非歌読みの秀句には、多くは足らぬ所の出で来
るぞかし。
※校訂
「いたり案じ」を「いたく案じ」に、「うのけぢめ」を「そのけぢめ」に、校訂。
※俊恵
源俊頼の子。長明の歌の師。歌林苑主催。
※わがせる
凝って屈折した表現か?
※耳にとまる
耳障りな
※その度の会
藤原公通家十首歌会
※清輔朝臣
藤原清輔。六条藤家。
※のさびなる
意味不明
※けうらに
きよらかに。美しく。