史跡 源義経硯水
仁安二(一一六七)年四代蒲原五郎範秀吹上館の乾の方に墓所 を造り初代清實以後清親清範浄瑠璃姫照姫蒲原一族の 五輪の墓が建てられた。承安四(一一七四)年源義経東下の途 次蒲原木之内神社に稲荷大神を勧請神文棟札を記す為当 所の湧水を汲んだので以来「源義経硯水」と呼んだ。承 歴 應三(一六五四)年二十三代親房が供養塔を建立、六代範房四百年
家 来 常光院殿範房義尽大居士先祖代々源義経浄瑠璃姫家臣下僕供養の 内 所 法要を慶徳寺日延和尚を招いて執行した。碑面左側には蒲 之 提 原木之内菩提所硯水ニ之ヲ建ツ木内源右衛門親房と刻まれていた。 木 菩 「文化十四(一八一七)年再建」の地蔵尊は「いぼ神様」と尊ばれ霊験 原 提 を願って参拝者が絶えなかったが旅人に持チ去られ三十六 蒲 水 代勝則が再建した。昭和八(一九三三)年国道工事の為墓地は 硯 北に移り面積は縮小して現在の形となった。四十代亀吉の 施工である。
義経硯水ト浄瑠璃姫 硯水ノ五輪ノ墓ハ 調ベニヨレバ鎌倉期前ノ 形状ヲ保ッテイル。硯水菩提所ハ 蒲原氏四代 範秀ガ 応保二年(一一六二)造ル。義経 奥州行キノ途中ニ風雨デ波荒ク吹上浜ニ 上陸シ蒲原氏吹上館ニ宿ル。義経再ビ旅立 ニアタリ 蒲原神社ヘ祈願文奉納ノタメ 硯水ノ湧水ノ浄水ヲ使フ。其ノ後 姫へ便リ ヲ書ク。其ノ時ヨリ 義経硯水ト称ス。 姫 義経ノ便リヲ見テ 侍女十六夜ト共ニ 旅立ツ。蒲原ニタドリ着イタガ 疲レト失望 ニ病ニ倒レル。館ノ主ニ救ハレ 館地内ニ 一堂ヲ与エラレ住居ス。幸セノ暮シノ中デ 重キ病デ没ス。治承三年(一一七九)。 十月二十六日 姫ハ硯水菩提所ニ葬ラレル。 其ノ後 姫ノ住居ノ一堂ヲ菩提所ニ移シ寺ト シ 常楽寺トナル。町ノ地積ニ常楽寺ノ 字名アリ。 中学ノ所ニ 明治初期ニ造ッタ姫ノ供養碑 アリ。 藤原南家出ノ蒲原氏九代、十代ハ 一族入江 氏ト共ニ 南朝忠臣トシテ歴史ニ名ヲ残ス。 地内ニ大供養碑アリ。 碑面ハ 長年ノ風雨 ニ文字消ユ。 碑ノ文字ハ、 承応三甲午年八月中旬五日 木内菩提所硯水建立 木内二十三代源右エ門親房 木内家現在四十一代
静岡市清水区蒲原一丁目九