明月記建仁二年七月
廿日。天晴る。午の時許りに參上す。左中弁の云ふ、少輔入道逝去の由、其の子天王寺の院主、内府に申すと云々。未だ聞き及ばざるかと。これを聞きて即ち退去す。已に軽服の身たるに依りて也。浮世の無常、驚くべからずと雖も、今これを聞き、哀慟の思ひ禁じ難し。幼少の昔より、久しく相馴れ、已に数十廻に及ぶ。况んや和歌の道に於ては、傍輩誰れ人とせんや。已に以て奇異の逸物也。今、泉に帰す。道の為に恨べく、身に於て悲しむべし。家長の云ふ、除服の後、更に憚るべからず。早く参上すべしといへり。又除服せらるべしと。昏黒、水無瀬河の辺りに於て除服し(晴光が門生の男に語る)訖んぬ。近日門々戸々、大除目あるの由、謳歌す。大略今明と云々。
※少輔入道 寂蓮※子天王寺の院主 寂蓮は世俗定長の時、四人の子がいた。※内府 源通親。内大臣※家長 源家長※晴光 陰陽博士安倍晴光?
廿日。天晴る。午の時許りに參上す。左中弁の云ふ、少輔入道逝去の由、其の子天王寺の院主、内府に申すと云々。未だ聞き及ばざるかと。これを聞きて即ち退去す。已に軽服の身たるに依りて也。浮世の無常、驚くべからずと雖も、今これを聞き、哀慟の思ひ禁じ難し。幼少の昔より、久しく相馴れ、已に数十廻に及ぶ。况んや和歌の道に於ては、傍輩誰れ人とせんや。已に以て奇異の逸物也。今、泉に帰す。道の為に恨べく、身に於て悲しむべし。家長の云ふ、除服の後、更に憚るべからず。早く参上すべしといへり。又除服せらるべしと。昏黒、水無瀬河の辺りに於て除服し(晴光が門生の男に語る)訖んぬ。近日門々戸々、大除目あるの由、謳歌す。大略今明と云々。
※少輔入道 寂蓮※子天王寺の院主 寂蓮は世俗定長の時、四人の子がいた。※内府 源通親。内大臣※家長 源家長※晴光 陰陽博士安倍晴光?