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百人一首拾穂抄 寂蓮法師
寂蓮法師 俗名定長 中務少輔 從五位下 俊成卿猶子。實俊成弟醍醐俊海阿闍梨乃子也。 御抄云、明月記云建仁二年七月廿日午時計參上左中 弁少輔入道寂蓮逝去之由云云。未聞及歟聞之即退去。 已依為軽服也。浮生無常雖不可驚今聞之哀傷之思 難禁。自幼少之昔久相馴已数十廻。况於和歌之道者 傍輩誰人乎。已以竒異之逸物也。今帰泉為道可恨 於身可悲云云。寂蓮追悼之哥√玉きはる世のことは...
View Article鴨長明方丈記之抄 遷都2 軒をあらそひし人の住まゐ
軒をあらそひし人のすまゐ日を經 つゝ荒行家はこぼたれて淀川にうか び地は目前に畠となる。人の心皆あへ たまりて、たゞ馬鞍をのみをもくす牛車 を用とする人なし。西南海の所領をね がひ東北国の荘園をば好まず其時をの ずから事のたより有て摂津国今の京 に至れり所の有さまを見るに其地程せ ばくて條里をわるにたらず北は山にそひ てたかく南は海に近くて下れり波の音 つねにかまびすしくて〔塩〕風ことにはげしく...
View Article歌論 無名抄 近年會狼藉事
近代會狼藉事 この比人/\の會につらなりて見ればまづ會所の しつらひよりはじめて人の装束のうちとけたる さまをの/\がけしきありさまみだれがはしき事 かぎりなし。いみじう十日はつかかけて題をいだし たれど日比はなにわざをしけるにか當座にのみ 哥をあんじてすゞろに夜をふかしてけふを さましひかうのときをわかず心/\に物語をし 先達にもはぢず面〃に證得したるけしき...
View Article鴨長明方丈記之抄 遷都3 内裏は山の中なれば
内裏は山の中なればかの木丸殿もかくやと 中/\やうかはりて、優なるかたも侍りき。日〃 にこぼちて川もせきあへずはこびくだす家 いづくに作れるにかあらん。猶むなしき地 は多く造れる屋はすくなし古郷は既に あれて、新都はいまだならずありとし有 人みな浮雲の思ひをなせり。本より此 所に居る者は地をうしなひて愁へ、いま うつり住人は土木の煩あることを歎く道 の邊を見れば車にのるべきは馬にのり...
View Article鴨長明方丈記之抄 遷都4 都の条里たちまちに
都の條里たちまちにあらたまりて、たゞ ひなびたる武士にことならず。これは世の 乱れる瑞相とか聞をけるもしるく日、をへ つゝ世中うき立て、人の心もおさまらず 民の愁つゐにむなしからざりければ同年 の冬なを此京にかへり給ひにき。されど こぼちわたせりし家共いかになりにける。こ と/"\くもとの樣にもつくらず。ほのかに傳ヘ 聞いにしへのかしこき御代には憐をもちてくに を治め則御殿に茅をふきて軒をだに...
View Article葛飾北斎 百人一首乳母が絵とき 藤原道信朝臣 浮世絵復刻コレクション
百人一首 宇波が縁説 前北斎卍 藤原道信朝臣 明ぬれば くるゝ物とは知り ながら 猶うらめしき あさぼらけ かな 後拾遺和歌集 女のもとより雪ふり侍りける日かへりてつかはしける 明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな 百人一首宇波が縁説...
View Article百人一首拾穂抄 式子内親王
式子内親王 号萱斎院 後白河院第三皇女母從三位成子大納言季成卿 女云云。加茂の斎院にて准后になり給へり。鵜本云 萱斎院・二条院讃岐・宜秋門院丹後・宮内卿・亡父卿 の女など女房にはすぐれてきこえ侍る。さま/"\此 人のおもひいれたる哥をば、かの有家・雅經・道具・家 隆も読ぬきがたくや侍らん云云。 玉のをよたえなば絶ねながらへばしのぶる事のよはりもぞする...
View Article鴨長明方丈記之抄 遷都4 限りある貢物をさへ許されき
かぎりあるみつぎ物をさへゆるされき。 これ民をめぐみ世をたすけ給ふによりて也。 今の世中の有さまむかしになずらへて 知るべし又養和の比かとよ。久しくなりて たしかにも覚えず。二年が間飢渇して 浅ましき事侍き或は春夏ひでり 或は秌冬大風大水など、よからぬ事 共打つゞき五穀こと/"\くみのらず空 しく春耕し夏うふるいとなみのみ有 て、秌刈冬収るそめきはなし。これによ つて国〃の民或は地を捨て境をいで...
View Article百人一首拾穂抄 後京極摂政前太政大臣
後京極摂政前太政大臣 良經公 法性寺関白忠通公孫、後法性寺関白兼實公九条二条一条祖 子也。母は從藤原季行女也。建仁二年十二月二十五日摂 政、元久元年正月從一位、同十一月十六日辞左大臣、同十二月十 四日太政大臣、同二年四月二十七日辞太政大臣、建永元年二月 七日薨云云。和哥の事、鵜本云、摂政殿は天性不思議の 堪能とみえ給り。されば中/\とかく申に及ばず。人...
View Article鴨長明方丈記之抄 養和の飢饉1 或は家を忘れて
或は家を忘れて山にすむ。様〃御祈 はじまり、なべてならぬ法共行るれ共 さらに其しるしなし京のならひ、なには につけてもみなもとは田舎をこそたのめ るに絶えてのぼるものなければ、さのみやは みさほも作りあへん念じ侘つゝ寶物 かたはしより捨るごとくすれ共、さらに目 見たつる人なしたま/\かふるものは、金 を輕くし粟を重くす乞食道のべに 多く愁へ悲しぶ聲耳にみてり先の...
View Article百人一首拾穂抄 参議雅経
参議雅經 飛鳥井祖 権中納言忠教卿飛鳥井難波祖曽孫。刑部卿頼輔孫。刑部 卿頼經子。母顕雅女也云云。參議從三位。蹴鞠和哥兩道の 人にて、新古今五人の撰者の一人也。徹書記物語云、 雅經は定家の門弟たりしほどに、代〃皆二条家の 門弟の分也。只公宴などにて、懐紙を三行五字にかゝるゝ 斗こそ雅經の家のかはりめにてはあれ。其外は 何事にても唯二条家とおなじ物也云云。古今著聞云、...
View Article鴨長明方丈記之抄 養和の飢饉2 立直るべきかと思ふほどに
たちなをるべきかと思ふに、あまさへゑやみ 打そひて、まさる様に跡かたなし世の人 みな飢死ければ、日をへつゝ、きはまり行 さま少水の魚のたとへに叶へり。はてには 笠うちき、足ひきつゝみ、よろしき姿し たる者ひたすら家ごとに乞ありく。かくわ びしれたる者共のありくかとみれは則たふ れ死ぬ。ついひぢのつら路頭に飢死ぬ る類ひはかずしらず。とり捨るわざもな ければ、くさき香世界にみち/\てかはり...
View Article和漢朗詠集 春8 元禄五年本
あをやぎのまゆにこもれるい〔とな〕れば 春のくるにぞ色まさりける 兼輔 花 長讀 花明上苑輕軒馳九陌之塵猿 叫空山斜月瑩千巖之路 〔白〕 池色溶〃藍染水花光熖〃火燒春 白 遙見人家花便入不論貴賤与親〔疎〕 菅三品...
View Article恋歌四 寄月恋 松木宗綱筆断簡コレクション
松木殿宗綱公 天の戸を 天のとをゝし明がたの月みればうき人しもぞ恋しかりける ほの見えし月を戀しと帰るさの雲路になれてこし哉 人につかはしける 紫式部 いるかたはさやかなりける月影をうはの空にも待しよひかな 返事 読人しらず さして行山の葉もみなかきくもり心の空にきえし月かな 題しらず 藤原經衡...
View ArticleYouTube短歌 夏の午後 MJQ サマータイム
MJQ サマータイム Modern Jazz Quartet Summertime まどろみながらゆふべのことを考えてゐる 夏の午後。風立ちぬ YouTube短歌は、YouTubeの音楽、映像からイメージした事を短歌にしています。自称現代屏風会和歌。
View Article藤原定家ながめ歌三首 伝持明院基信筆 内容不明断簡コレクション
のも ちかくよりつねの事まるつかにや侍らん 西行○て○してし 圓位上人勧進百首 定家朝臣 はれくもるおなじながめのたのみだに しぐれにたゆる遠のさと人 右大臣家哥合 深夜待月 定家 夜□□さねたゆまずひさにながめする 山のはをそき月をこひつゝ 六百番 寄遊女恋 左勝 定家 心かよふゆきゝのふねのながめにも さしてかばかり物はおもはじ...
View Article鴨長明方丈記之抄 養和の飢饉3 いわんや川原などには
かり。いはんや川原などには馬車の行ちがぶ みちだにもなし。あやしき賤山がつも力つき て、薪にさへともしくなりゆけば、たのむかた なき人はみづがら家をこぼちて市に出 てうるに、一人が持出ぬるあたひ、猶一日が命 をさゝふるにだに及ばずとぞ。あやしき ことはかゝる薪の中に丹つき、白がねこがねの はく所〃につきて見ゆる。木のわれあひま しれり。これを尋ればすべき方なき者 の古寺に至りて仏をぬすみ堂の物の...
View Article歌論 無名抄 俊成清輔判偏頗事
俊成清輔哥判有偏頗事 顕昭云この比の和哥の判は俊成卿清輔朝臣さう なきこと也。しかあるをともに偏頗ある判者なる にとりてそのやうのかはりたるなり。俊成卿はわれも ひが事をすとおもひ給へるけしきにていともあら がはず世中のならひなればさなくもいかゞはなどや うにいはれき。清輔朝臣は外相はいみじう清廉 なるやうにて偏頗といふことつゆもけしきに...
View Article鴨長明方丈記之抄 養和の飢饉4 濁悪の世にしも生れあひて
濁悪の世にしも生れあひて、かゝる心うき わざをなん見侍き又あはれなることも侍き さりがたき女男など持たる者は、其心ざし まさりてふかきはかならず死すそのゆへは 我身をば次になして男にもあれ、女に もあれいたはしくおもふかたに、たま/\ 乞得たる物を先ゆづるによりてなり されば父子ある者は定まれける事にて 親ぞさき立て死にける。父母が命つ きてふせるをしらずして、いとけなき...
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