都の條里たちまちにあらたまりて、たゞ ひなびたる武士にことならず。これは世の 乱れる瑞相とか聞をけるもしるく日、をへ つゝ世中うき立て、人の心もおさまらず 民の愁つゐにむなしからざりければ同年 の冬なを此京にかへり給ひにき。されど こぼちわたせりし家共いかになりにける。こ と/"\くもとの樣にもつくらず。ほのかに傳ヘ 聞いにしへのかしこき御代には憐をもちてくに を治め則御殿に茅をふきて軒をだに とゝのへず。煙のともしきを見給ふ時は 都の条里たちまちに改まりて、ただ鄙たる 武士に異ならず。これは世の乱れる瑞相 とか聞くをけるもしるく、日を減つつ世 中浮き立て、人の心もおさまらず、民の 愁つゐに空しからざりければ、同(おなじき) 年の冬、なを、此京に帰へり給ひにき。 されど、こぼちわたせりし家共、いかに なりにける。ことごとくもとの樣にも造 らず。ほのかに伝ヘ聞く、いにしへの賢 き御代には、憐を持ちて国を治め、則御殿 に茅をふきて、軒をだにととのへず。煙 のともしきを見給ふ時は (参考)前田家本 都の条理、忽ちに改まりて、ただ鄙たる 武士に異ならず。世に瑞相 とか聞けるも著く、日を経つつ、世の 中つき立ちて、人の心も治まらず。民の 憂へ、遂には空しからざりければ、同じき 年の冬、猶この京に帰り給にき。 されども、毀ち渡せりし家どもは、如何に なりにけるにか、悉く元の樣にしも造 らず。伝へ聞く、いにしへのかしこ き御世には、憐れみを持ちて國を治め給。即ち、御殿 に茅葺きても、軒をだに整へず。煙 の乏しきを見給ふ時は (参考)大福光寺本 ミヤコノ手振里タチマチニアラタマリテタゝヒナタル モノゝフニコトナラス世ノ乱ルゝ瑞相 トカキケルモシルク日ヲヘツゝ世 中ウキタチテ人ノ心モヲサマラスタミノ ウレヘツヰニムナシカラサリケレハヲナシキ 年ノ冬ナヲコノ京ニ帰リ給ニキ サレトコホチワタセリシ家トモハイカニ ナリニケルニカ悉クモトノ様ニシモツク ラスツタヘキクイニシヘノカシコ キ御世ニハアハレミヲ以テ国ヲゝサメ給フスナハチ殿 ニカヤフキテモノキヲタニトゝノヘス煙 ノトモシキヲミ給フ時
又延暦十三年十一月廿三日 長岳京より此京へ遷て 帝王は卅二代◯霜は三百八 十餘歳の春秋を送それ より以來代〃の御門◯聖 へ多の都を遷れし◯此 の勝地はなしと桓武天皇将 に思召て大臣公卿◯ 道の才人等に仰て長久な るべきやうとて土で八尺の 人形を作鐵の鎧甲をき せ同く鐵の弓矢を持せ て東山の峯に西向に立て 埋ける。されば天下にを◯んいで とては此塚◯鳴動す。将軍 がつかとて今に有など◯物語有