後京極摂政前太政大臣 良經公
法性寺関白忠通公孫、後法性寺関白兼實公九条二条一条祖
子也。母は從藤原季行女也。建仁二年十二月二十五日摂
政、元久元年正月從一位、同十一月十六日辞左大臣、同十二月十
四日太政大臣、同二年四月二十七日辞太政大臣、建永元年二月
七日薨云云。和哥の事、鵜本云、摂政殿は天性不思議の
堪能とみえ給り。されば中/\とかく申に及ばず。人
の哥をもよく甲乙を見わかち、われもすぐれたる様を
存して、実に并なき事とぞおほく給ふ云云。新古今
の假名序、此おとゞ書給へり。千五百番の哥合の判詞
※鵜本 愚秘抄。定家に仮託した偽書
此おとゞ絶句にて書給り。御家集を秋篠月清
集とぞ六家集の中にあり。
きり/"\すなくや霜夜のさむしろに衣かたしき独かもねん
新古今秋哥下。百首のうた奉りし時云云。さむしろは、
小筵、狭筵。師説、此哥は、かの√さむしろに衣かたしき今
夜もやの哥と、人丸の√なが/"\し夜をひとかもねん、
此両首の心詞をとりて、かゝる霜夜を獨ねんかもと、侘
たる心をよめり。全体古哥の心詞用ひながら、上の句の
きり/"\すなくや霜夜のと云にて、本哥とは又各
別風情をかへて、珍らしく秋の夜のながく侘しきさま
も一しほにて哀ふかくまことにめでたき御哥なるべし。
御抄云、此哥、天然の宝玉也。古語にして、しかもあたらし
きもの也。毛詩に、十月蟋蟀入我床下云云。上の句此心あり。
宗祇云、理においては明也。只蛬と云より、独かもねんと
※師説 松永貞徳の説
※御抄 細川幽斎の百人一首解説本。幽斎抄
※宗祇云 宗祇の書いた百人一首解説本の祇註に記載
いへるまで、こと/"\く金言のみなり。宗長云、情以新為先詞
以旧可用と云によくかなへるにや。
※宗長 室町時代後期の連歌師。宗祇の弟子で宗祇の最後を看取った。