式部赤染勝劣事
或人云俊頼の髄脳に定頼中納言公任大納言に
しきぶあかぞめとがをとりまさりをとはる。大納言
いはく式部はこやとも人をいふべきにとよめる物なり。
ひとつ口にいふべからずと侍ければ中納言かさねて
云式部が哥にははるかにてらせ山の葉の月と
云哥をこそ世の人は秀哥と申侍れと云。大納言
いはくそれぞ世の人のしらぬ事をいふにくらき
よりくらきに入ことば経の文なればいふにもおよば
ず。すゑの句は又もとにひかれてやすくよまれ
ぬべし。こやとも人をいふべきにといひてひまこそ
なけれあしのやへぶきといへるこそぼんぷのおもひ
よるべきことにもあらねとこたへられけるよしはべ
めり。これにふたつの不審あり。一には式部をまされ
るよしことはられたれどそのころのしかるべき會は
れの哥合などを見ればあかぞめをばさかりにしやう
して式部はもれたることおほかり。一には式部が二
首の哥を今みればはるかにてらせといふ哥はことば
もすがたもことのほかにたけたかく又けいきも
あり。いかなれば大納言はしかことはられけるにや。かた/"\
おぼつかなくなん侍といふ。予心みにこれを會尺す。
式部赤染が勝劣は大納言ひとりさだめられたる
にあらず。世こぞりて式部をすぐれたりとおもへり。
しかあれど人のしわざはぬしのある世にはその人がらに
よりておとりまさることあり。哥のかたは式部さう
なき上手なれど身のふるまひもてなし心もちゐ
などのあかぞめにはおよびがたかりけるにや。むらさき
式部が日記といふ物をみ侍しかば和泉式部はけし
からぬかたこそあれどうちとけてふみはしりかきたる
にそのかたのさへあるかたもはかなきことばのにほひも
みえ侍めり。哥はまことの哥よみにはあらず。くちに
まかせたることゞもにかならずおかしきひとふしめ
とまる よみそへ侍めり。されど人のよみたらん哥なん
じことはりゐたらん。いでやさまでは心えじ。たゞ
くちに哥よまるゝなめり。はづかしの哥よみやとはおぼえず。
丹波のかみのきたの万をばみやどのなどわたりには
まさひら衛門とぞ侍ることにや。ことなきほどなら
ねどまことゆへ/\しう哥よみとてよろづのこと
につけてよみちらさねどきこえたるかぎりははかな
きおりふしのこともそれこそはづかしきくちつきに
侍れとかけり。かゝればその時は人ざまにもちけたれ
て哥のかたもおもふばかりもちゐられねどまこと
には上手なれば秀哥もおほくことにふれつゝまの
なくよみおくほどに撰集どもにもあまたいれるに
こそ。そねのよしたゞといふ物人かずにもあらず圓
融院の子日の御幸に推參をさへしておこの
名をあげたる物ぞかし。されど今は哥のかたには
やむことなき物におもへり。一条院の御時みち/\
のさかりなることを江師のしるせるにも哥よ
みには道信 実方 長能 輔親 式部 衛門
曽祢好忠とこの七人をこそはしるされて侍めれ。こ
れもみづからによりていける世にはよおぼえもなかり
けるなるべし。さて式部が哥にとりてのおとりまさ
りは公任卿のことはりのいはれぬにもあらず。今の
不審のひが事なるにもあらず。これはよく心えて
思ひわくべきことなり。哥はつくりたてたる風情た
くみはゆゝしけれどその哥のしなをさだむるとき
さしもなきこともあり。又思ひよれる所はおよびが
たくしもあらねどうちきくにたけもありゑん
にもおぼえて景気うかぶ哥も侍るぞかし。されば
詮は哥よみのほどをまさしくさだめんにはこや
とも人をといふ哥をとるとも式部が秀哥はいづれ
ぞとゑらむにははるかにてらせといふ哥のまさる
べきにこそ。たとへばみちのほとりにてなをざりに
みつけたりともこがねはたからなるべし。いみじく
たくみにつくりたてたれどくしはりなどのたぐ
ひはさらにたからとするにたらず。又心ばせをい
はんにはこがねもとめたるさらにぬしの高名に
あらず。はりのたぐひたからにあらねどこれを物の
上手のしわざとはさだむべきがごとくなり。しかあれど
大納言のその心を會せらるべかりけるにや。もしは
又哥の善悪も世〃にかはる物なればその世にこや
とも人をといふ哥のまさる方もありけるをすなはち
人の心えざりけるにや。後の人さだむべし。
式部赤染勝劣事
或人云、「俊頼の髄脳に、定頼中納言、公任大納言に、式部・赤染とが、劣り
勝りを問はる。大納言いはく、『式部は【こやとも人をいふべきに】とよめる
物なり。一つ口に云ふべからず』と侍ければ、中納言重ねて云、『式部が哥
には、【遙かに照らせ山の葉の月】と云ふ歌をこそ、世の人は秀歌と申し侍
れ』と云ふ。大納言いはく、『それぞ、世の人のしらぬ事を云ふに、冥きより
冥きくに入る詞、経の文なれば、云ふにも及ばず。すゑの句は、又もとにひ
かれて、易くよまれぬべし。【こやとも人をいふべきに】といひて、【ひまこ
そなけれ芦の八重ぶき】といへるこそ、凡夫の思ひよるべき事にもあらね』と
答へられける由はべめり。これに二つの不審あり。一には、式部を勝れる由、
理られたれど、その頃のしかるべき会、晴の歌合などを見れば、赤染をば、
盛りに賞して、式部は漏れたる事多かり。一には、式部が二首の歌を今みれ
ば、【はるかにてらせ】といふ歌は、詞も姿もことの外にたけ高く、又景気
もあり。いかなれば大納言は、しか理られけるにや。方々おぼつかなく、なん
侍」と云ふ。
予、試みにこれを会尺す。式部・赤染が勝劣は、大納言一人定められたるに
あらず。世こぞりて、式部を優れたりと思へり。しかあれど、人のしわざは、
主のある世には、その人がらによりて、劣り勝ることあり。哥の方は、式部
左右なき上手なれど、身のふるまひ、もてなし、心もちゐなどの、赤染には
及び難かりけるにや。紫式部が日記といふ物をみ侍しかば、「和泉式部はけ
しからぬ方こそあれど、うちとけて文走り書きたるに、その方の才ある方も、
はかなき詞のにほひも見え侍めり。歌はまことの歌よみにはあらず。口に任
せたる事どもに、必ずおかしき一節、目とまるをよみそへ侍めり。されど、
人のよみたらん歌、難じ理ゐたらん。いでやさまでは心得じ。ただ口に歌
よまるるなめり。はづかしの哥よみやとは覚えず。丹波の守の北の方をば、
宮殿などわたりには、匡衡衛門とぞ侍ることにや。ことなき程ならねど、
まことゆへゆへしう歌よみとて、よろづの事につけて、読み散らさねど、
聞こえたる限りは、はかなき折節の事も、それこそはづかしき口つきに侍
れ」と書けり。かかれば、その時は人ざまにもちけたれて、哥の方も思ふ
ばかりもちゐられねど、まことには上手なれば、秀歌も多く、ことに触つ
つ、まのなくよみ置く程に、撰集どもにもあまた入れるにこそ。
曽祢の好忠といふ物、人かずにもあらず、円融院の子日の御幸に推參をさ
へして、烏滸の名を挙げたる物ぞかし。されど今は、歌の方にはやむこと
なき物に思へり。一条院の御時、道々の盛りなることを、江師の記るせる
にも、「歌よみには、道信・実方・長能・輔親・式部・衛門・曽祢好忠と
この七人をこそは、記るされて侍めれ。これも自らによりて、生ける世に
は世覚えもなかりけるなるべし。
さて、式部が歌にとりての、劣り勝りは、公任卿の理のいはれぬにもあらず。
今の不審の僻事なるにもあらず。これは、よく心えて、思ひ分くべき事な
り。歌はつくりたてたる風情・巧みは、ゆゆしけれど、その歌の品を定むる
時、さしもなき事もあり。又思ひ寄れる所は及び難くしもあらねど、打聞
くに、たけも有り、艶にも覚えて、景気浮かぶ歌も侍るぞかし。されば詮は、
歌よみの程をまさしく定めんには、「こやとも人を」といふ歌をとるとも、
「式部が秀歌はいづれぞ」とゑらむには、「遥かに照らせ」といふ歌の勝る
べきにこそ。たとへば、道のほとりにて、なをざりに見つけたりとも、黄金
は宝なるべし。いみじく巧みに作りたてたれど、櫛・針などの類は、更に宝
とするに足らず。又、心ばせをいはんには、黄金求めたる、更に主の高名に
にあらず。針の類、宝にあらねど、これを物の上手のしわざとは定むべきが
如くなり。しかあれど、大納言のその心を会せらるべかりけるにや。もしは
又、歌の善悪も世々に変はる物なれば、その世に「こやとも人を」といふ歌
の歌の勝る方もありけるを、すなはち、人の心得ざりけるにや。後の人定む
べし。
◯太字は、他本により追加、修正。
※俊頼の髄脳 源俊頼の歌論書。長明の歌の師匠俊恵の父。
※定頼中納言、公任大納言に、 四条大納言藤原公任に、子の定頼が歌の評価を聞いた。
※式部赤染 和泉式部と赤染衛門。当時上東門院の女房で、女流歌人の双璧。
※こやとも人をいふべきに 後拾遺集恋歌二
わりなくうらむる人に
津の国のこやとも人をいふべきに隙こそなけれ芦の八重ぶき
津の国のは序、昆陽と小屋、来やの掛詞に掛かる。
※冥きより冥き 拾遺集哀傷歌
空上人の許に読みてつかはしける
冥きより冥き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月
※経の文 法華経 化城喩品 従冥入於冥 永不聞仏名
※会釈 【ゑしゃく】。解釈。理解。
※紫式部が日記 紫式部日記。本文とは若干差異がある。
※丹波の守の北の方 丹波守大江匡衡の妻、つまり赤染衛門の事
※烏滸の名を挙げたる者 今昔物語集巻第二十八 円融院御子日参曽祢吉忠語第三にあり。
※江師記るせる 大江匡房が書いた続本朝往生伝。