源心
かなれど、なつかしう聞ゆるに、つらさ
もわすられて、先泪ぞおつる
源
月かげはみし世の秋にかはらぬを
/
へだつる霧のつらくもあるかな。かす
みも人のとか、むかしも侍けることにや
藤
など聞え給。みやは春宮"をあかず
思ひ聞え給て、よろづのことを聞え
させ給へどふかうとおぼしいれたらぬ
春宮
を、いとうしろめたく思ひ聞え給。例
藤ノ
はいととくおほとのごもれるを、いて
給までは、おきたらんとおほす成べ
し。うらめしげにおぼしたれど、さ
藤心
すがにえしたひ聞え給はぬを、いと
源心 の
あはれと見奉り給。大将は頭弁の
すじつることを思に、御心のをにゝ、よの
朧つく
中わづらはしうおぼし給ひて、かんの
君にもをとづれ聞え給はで、久しう
なりにけり。はつしぐれいつしかと
朧
けしきだつに、いでおぼしけん。かれ
より
朧
木がらしのふくにつけつゝ待し
まにおぼつかなさのころもへにけり。
源心
と聞え給へり。おりもあはれにあながち
に忍びかき給へらん。御心ばへもにく
からぬば、御つかひとゞめさせ給て、から
のかみどもいれさせ給つるみづしあけ
させ給て、なべてならぬをえり出
つゝ、ふでなども心ことに、ひきつく
ろひ給へるけしきえんなるを、お
まへなる人々たればかりならんとつ
源ノ返
きしろふ。聞えさせてもかひなき
物こりにこそむげにくづをれにけれ
/
身のみものうきほどに
源
あひみずてしのぶる比の泪をも
/
なべての秋の時雨とやみる。心の
文ノ詞
かよふならば、いかにながめの空も物
わすれし侍らんなど。こまやかに成に
地
けり。かやうにおどろかし聞ゆるた
ぐひおほかめれど、なさけなからず
うちかへりだち給て、御心にはふかう
藤
しまざるべし。中宮"は院の御はて
のことにうちつゞき、御は講のいそぎ
をさま/"\に心づかひをさせ給けり。
霜月のついたちごろ、御圀忌なる
源
に雪いたうふりたり。大将殿"より
宮にきこえ給
源
別にしけふはくれとも見し
人に行あふ程をいつとたのまん。いつ
かなれど、懐かしう聞こゆるに、辛さも忘れて、先づ泪ぞ落つる。
月影は見し世の秋に変はらぬを隔つる霧の辛くもあるかな
「霞も人の」とか、昔も侍りける事にやなど聞こえ給ふ。宮は、
春宮を飽かず、思ひ聞こえ給ひて、万づの事を聞こえさせ給へど、
深かうとおぼし入れたらぬを、いと後ろ目たく思ひ聞こえ給ふ。
例は、いと疾く大殿籠もれるを、出で給ふまでは、起きたらんと
おほす成るべし。恨めしげにおぼしたれど、流石にえ慕ひ、聞こ
え給はぬを、いと哀れと見奉り給ふ。
大将は、頭の弁の誦じつる事を思ふに、御心の鬼に、世の中、煩
はしうおぼし給ひて、尚侍の君にも、訪れ聞こえ給はで、久しう
なりにけり。初時雨、いつしかと気色立つに、出でおぼしけん。
彼より
木枯しの吹くにつけつつ待ちし間に覚束なさの比も経にけり
と聞こえ給へり。折りも哀れにあながちに、忍び書き給へらん。
御心映へも、憎からぬば、御使ひ、留めさせ給ひて、唐の紙共入
れさせ給ひつる御厨子、開させ給ひて、なべてならぬを選り出で
つつ、筆なども、心ことにひき繕ひ給へる気色、艶なるを、御前
なる人々、誰ばかりならんと突きじろふ。
「聞こえさせても甲斐なき物懲りにこそ、無碍にくづをれにけれ。
身のみものうきほどに
あひ見ずて忍ぶる比の泪をもなべての秋の時雨とや見る。
心の通ふならば、如何に眺めの空も、物忘れし侍らん」など。細
やかに成りにけり。かやうに驚かし聞こゆる類ひ、多かめれど、
情けなからず、打ち返りだち給て、御心には、深う染(し)まざる
べし。
中宮は、院の御果ての事に打ち続き、御八講のいそぎを、様々に
心遣ひをさせ給ひけり。霜月の一日比、御国忌なるに、雪いたう
降りたり。大将殿より宮に聞こえ給ふ。
別にし今日は来れども見し人に行き逢ふ程をいつと頼まん
いつ
引歌
※/かすみも人の 後拾遺集巻第一 藤原隆経 山桜見に行く道を隔つれば人の心ぞ霞なりける
※/身のみもの 後撰集巻第十八 よみ人知らず(むこ) 数ならぬ身のみ物憂く思ほえで待たるるまでもなりにけるかな
京都堀川 風俗博物館