名をえたる山の花なればさこそはおもしろかり
ける。こけのむしろのうへに岩ねに枕をかた
むけてさすがにいける命のたよりには谷のし
水をむすび峯のこのみにたはぶれて
寂寞無人聲 讀誦此經典とよみて
いよ/\入出於山思惟仏道
とよみていよ/\おこなひこゝにあかねども熊野
のかたへまいらんと思て行道いとあわれのみまさりて
おろかなるこゝろのひくにまかせても
さてさはいかに露の命を
世中はおもへばなべてちる花の
わが身にさてもいづちかもせむ
さてやがみの王子にとゞまりていがきのわたり
にさきたる花のことにおもしろくおぼえて
まちつくるやがみのさくらさきにけり
あらくおろすな峯の松風
きの國やがみの王子
名を得たる山の花なれば、さこそは面白かりける。苔のむしろの上に、岩ねに
枕を傾けて、流石に生ける命の頼りには、谷の清水をむすび、峯の木の実にた
はぶれて、
「寂寞無人聲 讀誦此經典」と読みて、いよいよ「入出於山思惟仏道」
と読みて、いよいよ行ひ行ひ、ここに飽かねども、熊野の方へ参らんと思ひて、
行く道、いと哀れのみ勝りて、
愚かなる心のひくに任せてもさてさは如何に露の命を
世の中は思へばなべて散る花の我が身にさてもいづちかもせむ
さて、八上の王子に留まりて、斎垣のわたりに咲たる花の、ことに面白く覚え
て、
待ちつくる八上の桜咲きにけり荒くおろすな峯の松風
紀伊国八上の王子
西行物語
愚かなる心のひくに任せてもさてさは如何に露の命を
異本山家集
おろかなる心のひくにまかせてもさてさはいかにつひの住かは
聞書集
地獄ゑを見て
三河の入道、人すすむとて書かれたる所に、例ひ心にいらすともおして
信しならふべし。この道埋を思ひ出でて
おろかなる心のひくにまかせてもさてさはいかにつひのおもひは
新古今和歌集巻第十八 雑歌下 題しらず
おろかなる心のひくにまかせてもさてさは如何につひの思は
よみ:おろかなるこころのひくにまかせてもさてさはいかにつひのおもいは 定隆雅 隠
意味:愚かなる心のままに任せていて、そのまま臨終の際になった時の覚悟はどうなるのだ
備考:聞書集には、「地獄絵を見て」とある。
西行物語
世の中は思へばなべて散る花の我が身にさてもいづちかもせむ
異本山家集 花
世の中をおもへばなべてちる花の我かみをさてもいづちかもせん
宮河歌合
世の中を思へばなて散る花の我が身をさてもいかさまにせむ
新古今和歌集巻第十六 雑歌上 題しらず
世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせむ
よみ:よのなかをおもへばなべてちるはなのわがみをさてもいづちかもせむ 定隆雅 隠
意味:人の一生を思って見ると、全て散る花のように儚いものだが、さて我が身をどこへやったら良いだろうか
備考:宮河歌合。
西行物語
待ちつくる八上の桜咲きにけり荒くおろすな峯の松風
山家集
熊野へ参りけるに、八上の王子の花おもしろかりけれは、社に書き
つけける
まちきつる八上の桜さきにけりあらくおろすなみすの山かぜ
異本山家集
熊野へまゐり侍りしに、やかみの王子の花さかりにて、おもしろか
りしかは、社に書付け侍りし
待ちきつるやかみの桜さきにけりあらくおろすなみすの山かせ
※八上王子 和歌山県西牟婁郡上富田町岡1337