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Channel: 新古今和歌集の部屋
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新古今和歌集の西行歌の撰歌4

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(2)聞書集

前述の佐佐木信綱は、岩波文庫後記で、聞書集を「しかして、伊勢に関する記事が多いことから、西行が伊勢に在つたほど、その教を受けた西公談抄の編者蓮阿(家田滿良)が西行の歌を聞書した集の原稿であつて、後に定家が新古今集を編纂する際、資料としたものではないだろうかと推察される。」としている。

これを、この8首を聞書集と選者で検証してみると、表5の通りである。

表5 新古今和歌集と聞書集

 新古今和歌集聞書集歌   家 集   選 者 とめこかし梅さかりなる   異聞    有定 雅
吉野山去年のしをりの    異聞御    定隆雅
昔おもふ庭にうき木を    異聞宮   有定隆雅
亡き跡の面影をのみ     異聞     定隆
ふけにけるわがみのかげを  異聞御★   定 雅
おろかなる心のひくに    異★聞    定隆雅
うけがたき人の姿に     異★聞★   定隆
宮柱したつ岩ねに      異聞    有 隆 注)★印は、家集の歌が新古今集と若干異なっているもの。

宮柱の歌以外は、定家が撰進している。ただし、同じく異本山家集にも掲載されているので、確定はできない。「おろかなる」の歌は、異本山家集の歌は「つひの住かは」と新古今集の「つひの思ひは」とでは、若干の異同があり、聞書集の歌とは一致している事から、この歌は聞書集から入撰していると考えて良い。撰者は定家、家隆、雅経である。

(3)山家心中集

山家心中集は、前述の通り、藤原俊成が千載集資料を集めた際、西行が提出したものと推察されている。当然、息子で千載集編纂の手伝いをした定家は読んでいる。

選者の立場に立ってみた場合、まず一つの家集から抜き出す。次に別資料の家集から抜き出す。抜き出した歌を見て重複がないかを確認してから、和歌所に提出する。選者達は、集まってきた歌から部類を定め、配列を行う。

新古今和歌集の西行の歌の中には、並んで掲載しているものも多い。これを同一家集から取られた西行歌は、配列でも並べて撰歌するという事を仮説とした場合、新古今の配列と山家心中集及び異本山家集の配列並びに選者を検証すると表6の通りとなる。

表6 新古今和歌集と山家心中集、異本山家集の配列

新古今集番号 山家心中集番号 異本山家集番号 選 者   126         32     110     定隆雅   362       234     171     定隆雅   448       219     267      隆   501       213     252     定隆雅   502       214     253    有定隆   838       352     404     定隆   885       295     454    有 隆雅   937       311     474        雅   1100      ★ 79     318      隆   1148        78     349    有定   1155        87     376    不 明   1231       101     324     定   1307        92     348    有定隆雅   1530        64     224     定隆雅   1531        63     182     定隆   1617       112      54    有定隆雅   1674       120     554     定隆   1675       176      36     定隆雅   1676       329     507     定隆雅   1748        341     399     定隆   1808       125     573     定隆雅   1831        71    494     定隆雅   1845d        11     52      ー   1979       338   ★390      隆雅 注)1 新古今は岩波単行本、山家心中集は新編体系本、異本山家集は新編国歌大観番号。   2 ★印は、新古今和歌集との異同のあるもの。   3 選者名は、岩波単行本。

新古今和歌集の配列で西行歌が並んでいる箇所は3箇所。秋歌下の501、502においては、山家心中集213、214、異本山家集252、253と同じく並んでいる。雑歌上の1530と1531では、山家心中集64、63と並んでいるが、異本山家集では224、184と別の場所に配置されている。雑歌中の1674、1675、1676では、山家心中集120、176、329、山家集554、36、507とバラバラな場所から集められている。

秋歌下は、山家心中集と異本山家集で差はないので、判断出来ない。雑歌中は、両本ともバラバラで同じく判断出来ない。しかし、雑歌上では山家心中集ではほぼ一致しているが、山家集ではバラバラな箇所となっている。従って、雑歌上は、山家心中集から撰歌された可能性が大きいと言える。

なお、雑歌上の選者は、1530定家、家隆、雅経、1531定家、家隆となっていることから、共通している定家、家隆のどちらかが、山家心中集から撰歌したものと考えて良い。

一方、新古今和歌集の最後を飾る巻軸歌である1979においては、書写者は最後の歌である歌は感慨深く写すだろうと考えると誤写するの確率が少ないと考えられる。異本山家集では「心のうちに」とあり、新古今和歌集の「心の空に」とは異なり、山家心中集と一致する。選者は、隆家と雅経である。

同じく1100は、山家心中集が「なしはてじ」と新古今和歌集、異本山家集「なしはてて」とは異なっている。選者は隆家となっている。この場合、表記は「てし」と「てゝ」と読み間違い易い文字であり、山家心中集の底本(妙法院蔵伝為相筆本、鎌倉期書写)の誤写の可能性も否定出来ない。

 

写真は、大阪弘川寺の門前 寂しさに堪へたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里(冬歌)


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